「なあ、オヤジ……」
三姉妹たちとの団欒の中、
優が、ぽつりと呟いた。
箸を置いた守が、顔を上げる。
「ん、……どうした?」
優は、少し拗ねたように目を逸らしながら言った。
「俺のせい、だろ。
……オヤジ、前の仕事を辞めたの。」
「……なんでそんなことを聞く?」
守が静かに問い返すと、
優は唇を噛み締めながら、震える声で続けた。
「俺がいたからさ……。
母さ――いや、あの人がいなくなって……。
俺と二人になって……。俺がまだ小さくて。
……だから、オヤジ、仕事辞めたんだろ……?」
リビングでは、三姉妹も驚いた顔でふたりを見つめていた。
守はそっとため息をつく。
「……違うさ。」
顔を上げた優を見ながら、守はゆっくりと言葉を紡いだ。
「確かに、前は製薬会社の営業(MR)をやってた。給料は悪くなかった。
でもな、どんなに頑張っても、安い薬に切り替えられて、
指定されたお弁当の種類や個数を断っただけで売上を減らされて……」
優が小さく目を見開く。
「それに、毎月毎月…。医療貢献などと会社からは明るいことを言われながらも、ノルマで上から責められて……。
正直、疲れたんだ。」
静かな夜の空気に、守の声だけが、ぽつりぽつりと落ちていく。
「そんなときに、異動の辞令が出た。
……しかも、“あの場所”に絡むエリアだった。」
優は震える声で問いかけた。
「……じゃあ……俺のせいじゃ……ないのか?」
守は、微笑みながら答えた。
「――自分自身が限界だった。
お前のせいなんかじゃない。
タイミングってやつだよ。」
優は、テーブルの端をぎゅっと握り締めた。
「……なんで、言ってくれなかったんだよ。」
今度は、低く、震えた声だった。
「……家族だろ……?
なのに、なんで一人で抱え込んでたんだよ……!」
守はそっと目を伏せた。
「子どもに愚痴るなんて、カッコ悪いだろ。
……大人のオレが弱音吐いたら、お前に余計な心配かけるからな。」
優は顔をそむけ、膝の上で拳を握りしめていた。
──
そのとき。
ヘレナが、震える声で言った。
「……しかし、お父様。
本当の強さとは、孤独に耐えることではありません。支え合うことです。」
ミーナも、涙ぐみながら続ける。
「うんうん! ボクたち、もう家族なんだから!
おとうさんも、ユウも、これからはボク達にも頼っていいんだよ!!」
セリナは、そっと守の袖をぎゅっと掴んだ。
「……パパ……つらいとき、……いっしょに、がんばる……」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「……ありがとな。」
守は、三姉妹に向かって深く頭を下げた。
そして、優を見る。
「これからは……ちゃんと頼るよ。」
優は、涙をにじませながら、力強く頷いた。
──
食後のティータイム。
カップから立ちのぼる湯気の向こう、ヘレナが静かに口を開いた。
「それでは、改めてお伺いしてもよろしいでしょうか。」
「ん?」
守が返すと、ヘレナは丁寧に問いかけた。
「お父様は、現在どのような仕事をなさっているのでしょう?」
守が答えようとしたその瞬間、優が先に口を開いた。
「ガードマンだよ。警備員。……夜勤も多いけどな。」
ヘレナ、ミーナ、セリナの三人が、ぴたっと姿勢を正す。
「警備……!」
「門を守るの!? すごい!!」
「……パパ……まもるの……すごい……」
守は思わず苦笑した。
「まあな。【プロテクシア警備保障】って会社で、
主に病院の夜間入口や非常口を警備したり、
夜中に巡回して異常がないかチェックしたりしてる。
人が眠っている間、施設を守る仕事だ。」
ミーナが目をきらきら輝かせた。
「門番みたいだ!! かっこいい!!」
セリナもぽつりと呟く。
「……おなじ……ケルベロスも……門を、まもる……」
優も、思わず「へえ」と声を漏らした。
「初めてちゃんと聞いたかも。
ただ立ってるだけじゃ、ないんだな……」
守は笑って答える。
「立つだけじゃないさ。
目を配って、耳を澄ませて、いざというときは迅速に動かなきゃならない。
それに、人と話す力も必要だ。
……前職で無駄に鍛えられた“状況判断”と“コミュニケーション”が、今も役に立ってるよ。」
ヘレナは深く、深く頭を下げた。
「……素晴らしいお仕事です、お父様。」
ミーナが嬉しそうに笑い、
セリナもうん、と小さく頷く。
そんな三姉妹に、守は少し照れくさそうに微笑みかけた。
──
だが、そのときだった。
「でもさ……」
優がふと口を滑らせた。
「やっぱり、MRの方が……かっこよかった気がするっていうか……」
静かな空気が、ぴたりと止まった。
ヘレナが、ゆっくりと優に向き直る。
ミーナも、セリナも、じっと優を見つめた。
「……優くん。」
ヘレナが低い声で言う。
「お父様は、誰かの“命”を守るために、今ここに立っているのです。」
ミーナがふくれっ面で腕を組む。
「ボクたちみたいにねっ!! 門を守るって、ほんとに大変なんだよっ!」
セリナは、泣きそうな顔で呟いた。
「……パパ、……すごい……。そんなこと言ったら、優さんメッ!!」
優ははっとして、顔を青ざめさせた。
「ち、ちがう!! 俺は、そんなつもりじゃ……!」
だが、三姉妹は静かに、真剣に、彼を見つめ続けた。
優は、ぎゅっと拳を握り締め、頭を下げる。
「……ごめん、オヤジ。
ほんとに、ごめん。」
守はふっと息を吐いた。
「わかってるよ、優。」
ゆっくりと笑いながら、優の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。
「ありがとな。」
優は顔を真っ赤にしながら、涙をこらえて頷いた。
三姉妹も、にこにこと微笑んでいる。
リビングには、またあたたかな空気が満ちていた。
──こうして、
父子と三姉妹の距離は、また一歩、確かに近づいたのだった。