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第11話 宿敵 勇者・現代入り

「……言おうかどうか迷ったんだが――」



守は、湯呑みを手にしたまま、ゆっくりと口を開いた。


「昨日、博物館で“勇者”を名乗る奴が現れたそうだ」


その言葉に、優とヘレナが同時に動きを止めた。


ダイニングテーブルに、静かな緊張が走る。


「……勇者?」


優が、訝しむように眉をひそめた。


「どこで……?」


「茅ヶ浜市博物館———。昨日の夜の話だ」


守はそう答えると、ゆっくりと湯呑みを置いた。


「……まずは、順を追って説明させてくれ。今日なにが起こったのかを」




──



本日、金曜日の朝。


夜勤明けの休みを挟み、守は久々にプロテクシア警備保障の制服に袖を通していた。


いつもと同じように、警備拠点の事務所で身支度を整え、出勤前の連絡事項に目を通していると、朝の定例報告会が始まった。


その場にいたのは、ベテランの先輩ガードマンである秋山と、若手の巡回員たち。


「おはよう。今日も無事故でいこうな」


そう挨拶した秋山の表情は、どこか緩んでいた。


「……でさ、小川。お前、今日の“ネタ”聞いたか?」


「ネタ、ですか?」


守は首をかしげた。


「……博物館に、勇者が現れたんだとよ。鎧と剣、まさに“フル装備”だったらしい」


「……!」


守の背筋が、すっと冷える。


「“勇者”って……コスプレか何かですか?」


「まぁな。年の頃は、高校生くらいの少年だって話だ。

金色の装飾の入った鎧に、背中には幅広の剣。まるでゲームの中のキャラがそのまま出てきたような感じだったそうだ」


秋山は笑いながら続ける。


「目撃した館員の話によれば、奴は博物館内をうろうろしてたが、明らかに“何かを探してる様子”だったらしい」


「……異常者では?」


「そう疑った館側が非常警報を鳴らしたんだよ。すぐにプロテクシアの常駐チームが駆けつけた。

だが、その瞬間――」


秋山は眉をひそめた。


「……ありえないほどの動きで、ガードを振り切ったそうだ」


「ありえない、って……?」


「非常口から逃げたって話だけどな。階段を駆け下りながら、柵を一瞬で飛び越えたらしい。

それも、まるで重力を無視するような動きで、あっという間に視界から消えたと」


「……」


守は、息を飲んだ。


その姿は、あまりにも、“彼女たち”が語った“勇者”の姿に重なっていた。


「館側は騒ぎ立てたが、ケガ人も被害もなく、警察への通報も見送られた。所轄としては“悪質なコスプレイヤーの可能性あり”で処理されたそうだが……」


「……何かを、探していた」


守は、秋山の言葉をなぞるように、低く呟いた。


秋山は気づいていない。


だが、守の頭の中では――その情報が、ある“現実”と結びついていくのを止められなかった。


ケルベロス三姉妹のこと。


“勇者”という存在の予兆。


守は、じっと自分の手のひらを見つめていた。


(……ついに、来たのか)


彼女たちが語っていた“魔界の戦い”が、現実味を帯びて動き出している――


そんな予感が、心を重く支配した。



──



その日、守の心は朝から落ち着かなかった。


博物館で“勇者”を名乗る人物が現れたという報せ――

その情報が頭から離れず、警備先の動きにもいつも以上に目を光らせていた。


定例業務をこなしつつも、情報共有アプリを何度も確認し、館内巡回中の隊員たちにもそれとなく聞き取りを行っていた。


しかし、それ以降、“勇者”に関する新たな情報が上がることはなかった。


(……警備としての動きは、通常通り)


(でも、“勇者”は……確かに、姿を現した)



午後15時半を回った頃だった。


守が詰所で日報をまとめていると、会社の内線が鳴った。


「小川さん、至急。交番から連絡が入っています。十軒浜交番の山本さんという方が……」


心臓が、ひときわ強く打った。


(交番……? まさか――)


電話を受け取ると、受話器の向こうから、穏やかな声が聞こえた。


「小川さん。お世話になります、十軒浜交番の山本です。……お嬢さんを、こちらでお預かりしています」


その一言で、守の中に張り詰めていた緊張の糸が、一気に切れそうになった。


「……わかりました。すぐ向かいます!」


守はすぐさま本部に連絡し、事情を伝えて早退の手続きをとった。


そして、走った。


春の夕陽の差す街を、ただただ一直線に。


迎えに行かなければという想いが、胸を焦がしていた。


そして、16時。


十軒浜交番に駆けつけた守は、無事にヘレナの姿を確認する。


(……本当に、無事でよかった)


その安堵とともに、胸の奥にずっとくすぶっていた不安が、今度は別のかたちで燃え上がっていた。


(……勇者。そいつは、確実にこの町にいる。

これから、何かが始まる――



──



「……以上が、今日の出来事だ。」


守が静かに言い終えると、リビングには重たい沈黙が落ちた。


優は、口をつぐんだまま俯いていた。


ヘレナもまた、表情を硬くしていた。


守は、深く息を吐いてから頷く。


「……今は、確証はない。だが、もし本当に“彼”なら――油断はできない」


優が、そっと口を開いた。


「……明日は、俺、バイト休みだ」


「そうか」


守も頷いた。


「……だからといって、ずっと家に閉じこもっている必要はないと思ってる。逆に、気が張りすぎて疲れてしまっても、本末転倒だ」


二人が顔を上げる。


守は、静かに言葉を継いだ。


「午前中までは、できれば家で様子を見ていてほしい。

ただ、昼以降……近場に出るくらいなら構わない。遠出だけは避けてくれ」


優は目を細め、少しだけ頷く。


「……分かった。また明日次第でどうするのか、考えるってことでいいんだな?!」


「そうだ」


守は真剣な眼差しで言う。


「ただし、スマホは必ず持っていろ。こまめに確認してくれ。連絡にはすぐに出られるようにな」


「……了解」


優は短く答えた。


ヘレナは、そっと息を吐いてから言った。


「……お父様、ありがとうございます。

そしてそんな中、本日は本当に申し訳ございませんでした。」


——もう気にするなと、守はヘレナを頭を優しく撫で、ゆっくりと二人を見つめる。


「これから先、何が起こるかは分からない。

でも――忘れるな。“戦う”ためじゃない。“守る”ために、動くんだ」


ヘレナは、はっとして顔を上げた。


その瞳には、静かな決意の光が宿っていた。


守は、改めて二人に目を向けながら、最後に言った。


「明日は慎重に、でも――怯えすぎず、しっかりと過ごそう」



──



外では、夜風が窓をかすかに揺らしていた。


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