──朝。
守は、誰かに体を揺すられている感覚で目を覚ました。
「おとうさん……おとうさん、起きてー」
まどろみの中で聞こえたのは、元気で可愛らしい女の子の声だった。
目を開けると、視界に飛び込んできたのは――
「……ミーナ?」
「うんっ!ボク、お腹空いたなあ!」
ミーナがにこにこと笑っていた。
視界には、ぼんやりとした朝の光。
守は、慌てて体を起こす。
時計を見れば、午前6時20分。
(しまった、目覚ましをかけ忘れてた……!)
寝ぼけた頭が一気に覚める。
「……ありがとう、ミーナ。助かったよ」
守は苦笑しながらミーナの頭を優しく撫でた。
すると、ミーナは一瞬びくっとして、少し照れたようにモジモジした。
「えへへ……おとうさん……」
そして、おずおずと顔を上げる。
「ボクね、昨日の朝、みんなが食べてた“目玉焼き”……作ってみたいなって思ったんだ」
その瞳は、子犬のようにキラキラしていた。
守は思わず笑ってしまう。
「よし、ミーナが起こしてくれたから、時間もあるし。一緒に作ってみようか」
「やったーーー!!」
ミーナは両手を上げて、ぴょんぴょんと跳ねた。
キッチンに並んだ、父と娘。
守は冷蔵庫から卵を取り出しながら、フライパンと調理器具を手に取った。
「じゃあ、まずは見本で作ってみるから、よく見ててね」
「うんっ!」
ミーナは、目を輝かせて横に立つ。
守はフライパンを中火で温めながら、サラダ油を少し垂らした。
じゅわっ、と心地よい音が立つ。
「この音、好きかも……!」
ミーナがうっとりした声を漏らす。
「フライパンが温まったら、卵を割って――」
ぱかん。
「そーっと、入れる……っと。あとは、焦がさないように焼き加減を見て……」
卵白が白く固まり始め、黄身がぷるんと揺れている。
「こんな感じかな。ミーナ、見てた?」
「うんっ、バッチリだよ! ……わぁ、ほんとに、朝って感じの匂いがするね!」
ちょうどその頃、奥の部屋から足音が聞こえてきた。
寝ぼけた顔で現れたのは、優だった。
「……うわ、いい匂い。……あれ、今日はミーナ?」
「おはよう、ユウ!! 一緒に朝ごはん作ってるの!」
「ふーん……なんか、にぎやかだな……」
優は欠伸を噛み殺しながら、理科の教科書を小脇に抱えて歩いていく。
「って、やべ。今日、洗濯当番だったわ……」
そう言って、器用に洗濯物を抱えて、洗濯機に詰め込んでいく。
「勉強しながらかよ。ほんと、お前ってやつは……」
守が呆れ半分に言うと、優は肩をすくめて答えた。
「テストあるしな。抜き打ちが好きな先生でさ」
その間にも、ミーナは守の見本を真剣な目で見ていた。
「ねえ、次はボクも一緒に作ってみたい!」
「いいよ。じゃあ一緒にやろう」
——————
「ねえ、次はボクもやってみたい!」
「いいよ。じゃあ――」
「ひとりでやってみてもいい?」
ミーナは、ちょっと照れたように眉を下げながら、でも目はきらきらと輝かせていた。
守は少し迷ったが、頷いた。
「……分かった。見てるから、やってごらん」
「うんっ!」
ミーナは意気込んで卵を手に取った。
だけど――
「えいっ!」
ぱかん。
勢いよく割った瞬間――
「……あっ!!」
ぐしゃっ。
黄身が崩れ、白身もフライパンの外にまで飛び散った。
「うわぁ、ごめんなさいっ!」
ミーナは慌てて身を乗り出す。
「大丈夫、大丈夫。誰でも最初はそうなるもんだよ」
守が落ち着いて声をかけ、フライパンをさっと片付ける。
ミーナは少ししょんぼりしながら、ぽつりと呟いた。
「……くやしいなぁ。次こそ、上手に作りたい……」
守はその言葉を聞いて、にこりと笑った。
「よし。じゃあ、今度は一緒にやってみよう」
「うんっ!」
「じゃあミーナ、まずは卵を持ってみて」
「うんっ……そぉ~っと、だね」
ミーナは小さな手で卵を持ち、慎重にフライパンの縁でコツンと割る。
「わっ、ちょっと割れすぎた……!」
ひびが斜めに広がり、少し白身が垂れてしまった。
「大丈夫だよ。ここで割って、両手でこうして……」
守が手を添える。
「よし、入った! すごいじゃないか、ミーナ」
「えへへっ……!」
ミーナの顔がぱあっと輝いた。
「火加減はちょっと弱めにして。あとは黄身をつぶさないように――」
「わかってるよ!」
ミーナは真剣そのものの顔つきで、じっとフライパンを見つめた。
しばらくして、ぷるぷると揺れる黄身の上に、ほんの少しだけ焼き目がつく。
「……そろそろいいかな?」
「うん、いいタイミング。ほら、フライ返しで――」
「よっ……と! できたっ!」
「上手いぞ、ミーナ!」
「わぁ……すごい、すごい!」
パチパチと拍手してくれる守に、ミーナは思わず尻尾をぶんぶんと振ってしまう。
「次は……ボク、ひとりでやってみてもいい?」
「もちろん。見てるから、やってごらん」
ミーナは少し深呼吸してから、最後の卵を手に取った。
「さっきみたいに……コツン、パカッ……」
ぱしゃん。
少し勢いよく白身が飛び出し、端っこがフライパンの縁に広がった。
「うわっ、ちょっと焦げそう……!」
「火を少し弱めて」
「うんっ……!」
じゅぅぅ……。
焼きあがった三つ目の目玉焼きは、少しだけ焦げていた。
けれど、ミーナの顔は、どこか満足げだった。
「……ごめん、ちょっと焦げちゃった」
「いや、すごく上手だよ。ひとりでここまでできるなんて、大したもんだ」
守がニッと笑って褒めると、
「ほんと!? わーいっ!!」
ミーナは満面の笑顔で、尻尾をさらにぶんぶんと振った。
その様子に、奥で洗濯機を回していた優が声をかける。
「いいなー、ミーナ。次は俺にも作ってよ。」
「ほんと!? やったぁ!」
ミーナは嬉しそうにぴょんと跳ねた。
にぎやかな朝だった。