──午後1時。
「よし、オヤジの敷布団もちゃんと届いたし……携帯にも連絡なし。じゃ、外に出るか!」
リビングの一言に、台所でコップを片付けていたミーナの耳がぴくんと動いた。
「ほんと!? やったー!」
目を輝かせて飛び跳ねるように玄関へ走っていくミーナ。玄関のドアの前で靴を履く手元さえどこか弾んでいた。
その背中に向かって、優は苦笑しつつも、つられるように顔をほころばせた。
──
昼下がりの陽射しはやさしく、風はほんのり潮の匂いを含んでいた。
ふたりは、茅ヶ浜の海岸沿いを並んで歩いていた。
海の見える遊歩道を、ミーナは何度も立ち止まりながら左右を見回す。
目に映るものすべてが珍しいようで、指さしたり、小さな声でつぶやいたりしていた。
「ねえ、あの雲、なんかイルカみたいじゃない?」
「どこがだよ。……って、ああ、言われてみれば」
「ふふっ、ちょっとだけでしょ?」
いつもの元気な調子よりも、少しだけ落ち着いた声色。
それがかえって、ミーナの表情を柔らかく見せていた。
「……気持ちいい。海の風って、なんだか懐かしい匂いがする……」
「懐かしいって、お前、こっち来てまだ数日だろ」
「えへへ。でも、そう感じたんだもん。なんでかなぁ……あったかい感じっていうか……」
ふたりの歩調は自然にそろい、ゆるやかに時間が流れていった。
風の音と波の音が交差しながら、浜辺の風景に溶け込んでいく。
やがてミーナが、ぽんっと何かを思い出したように指をさす。
「あっ、見て見て、あれ! ピーヒョロロロ〜〜って、なんか笛みたいな声してる!」
「……トンビだよ。あと、食べ物持ってると襲ってくるからな」
「えっ、あんな可愛い声してるのに……!? 信じられないっ!」
ミーナの好奇心はまるで、潮風と一緒に弾けるシャボン玉みたいだった。
「これなに?」「あれは?」と矢継ぎ早に質問するたびに、優は「はいはい」と答えつつも、どこか嬉しそうに目を細めていた。
──
浜辺に到着すると、優はリュックサックからビーチサンダルとフリスビーを取り出した。
「はい、着替えて」
「わぁ、サンダル! ありがとう!」
ミーナは制服の足元から靴下を外し、素足でサンダルを履いた。少し大きめだったけれど、砂の感触と風の冷たさが心地よさそうだった。
「よーし! じゃあ、フリスビーとかいう円盤って、どうやって遊ぶの?」
「投げて遊ぶんだよ。回転つけて、こう、スナップ効かせて――って、見てるか?」
「えいっ!」
ミーナは見よう見まねでフリスビーを放った。見事に真横にすっ飛び、優の足元に突き刺さる。
「……うん、まあ、まずは練習だな」
笑いながら走るミーナ。何度も何度も投げて、拾って、また笑って。
風が強くなるたびに、フリスビーが思わぬ方向に流れて、それを追いかける姿はまるで小犬のようだった。
──
「ちょっと休憩しよっか」
砂浜に並んで腰を下ろしたふたり。波の音が静かに押し寄せ、引いていく。
ミーナは足を伸ばし、指先で砂をすくっては、ふわりと風に乗せて落とした。
「さらさらで気持ちいい……。ボク、海の砂って初めて触った……」
「そっか」
「……前の世界には、こういうのなかったんだ。砂浜も、波の音も……だから、すごく嬉しいの。今日」
ミーナがぽつりとつぶやいた言葉に、優はすこし驚いたように横顔を見た。
「ねえ、優!」
「ん?」
「水、蹴っていい?」
「……は?」
ぱしゃっ!
「うわっ!? 冷てっ、おまっ!」
突然立ち上がったミーナが、ちゃぷんと足で海水を蹴り上げ、優のズボンの裾に命中。
「こらっ、やり返すぞ!」
「やだー! 逃げるーっ!」
駆けだすミーナと、それを追いかける優。
砂浜に残るふたりの足跡は、少しして波にさらわれて、跡形もなく消えていった。
それでも、心のどこかに――
ふたりの“今日”という一日は、やさしく刻まれていた。