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introduction 01 九法 悠の時間―記録と授業

【記録映像の音声ログ】


「ようこそ、オラクルの時代へ!」


 AI技術の発展、ブロックチェーンによる分散経済、仮想現実の普及により、従来の統制は限界を迎えた。

 政府の規制は形骸化し、対応は追いつかなくなった。

 結果として、世界各国の経済運営は企業に完全委託される形へと移行した。


 古い体制は崩壊し、新たな時代が求められたのである。


 オラクルCEO、ラリー・ゴールドマンの伝説のプレゼンテーションは、他のテリトリーにも影響を与え、オラクルを含む当時、最も影響力のあった三大テリトリーが同盟を結んだ。


 しかし、技術と経済の進化は早すぎた。V3も次第にその限界を露呈し、さらなる支配体制が必要となった。

 そして、新たな時代の礎としてV5(Virtual Five)へと進化したのである。


【映像終了】


 壁に掛けられたアナログ時計が、無機質に時を刻む。


 カチ、カチ、カチ……。

 秒針の音が、教室の静けさに響いている。


 教師の声が淡々と響く。

 俺は机に肘をつき、目の前の時計をぼんやりと眺める。


「このように、V3の成立により政府の役割は現実世界の管理機関へと変容した。それまで各国が担っていた経済の調整はV3が一元的に行うようになり、仮想通貨とデータ資産の流通は国境を越えた統治のもとで規制されることとなった」


(この授業に、本気で興味を持っているやつなんているのか?)


 画面のホログラムには、淡々と歴史の年号が流れている。


「次のスライドに進むぞ」


 教師の説明は続く。ホログラムに映し出される年表。

 だが、クラスメイトたちはほとんどが端末をいじるか、無言で画面を眺めているだけだった。

 画面上では、仮想空間内のゲームや投資アプリが開かれているのが見える。ここにいる全員が、すでに学校というシステムに興味を失っている。


 形骸化─それは、制度の問題ではなく、俺たちの意識の問題だった。

 教師の声は、ほとんど誰にも届いていないようだった。


 一応、授業は進行している。だが、教師の声は響かず、誰も発言することはない。週に一度の授業は、もはや意味をなしていなかった。


「V3ができたことで、国家という枠組みは形骸化し、経済の主導権は仮想空間へと移った。そして、さらにそれを管理するためにV5が成立した」


 教師は黒板を模した多目的ボードに投影されたホログラムを指し、淡々と言い切った。


「V3成立当初、仮想経済は安定し、取引の透明性が向上した。だが、市場の急拡大により富の偏在が加速し、規制の穴が次々と露呈した。個人間取引が膨張し、政府や企業の監視は追いつかず、仮想空間は無法地帯と化した」


 教師は一度間を置き、慎重に言葉を選びながら続けた。


「これが何を意味するか考えてみよう。一方で、日本の大手ベンダーは、長年ガラパゴスポリシーと揶揄される独自の技術戦略を維持してきた。基盤テクノロジーの根幹を厳重な特許ライセンシングで守り、海外の技術を容易に受け入れなかった。しかし、V3の影響力が低下するにつれて各企業の経営体制の統合が進められ、八咫の門ホールディングスが設立され、一つの巨大勢力として再編された」


 ホログラムのスライドにはV3からV5への変遷の画像が写し出される。


「V3時代に特に、匿名性を保持した取引が増えた結果、一部のテリトリーでは通貨の不正操作や経済的な搾取が横行。こうした問題を受け、仮想社会を管理する新たな枠組みが必要になったという流れだ」


 PRAXISプラクシスと八咫の門の名前が強調され発光する。


PRAXISプラクシスの急成長、八咫の門ホールディングスの台頭により、かつてV3と呼ばれた三大勢力は、より強大な五つの巨大テリトリーへと再編され、現在のV5体制が確立された。いいか、ここは重要だからな。よく確認しておくように。仮想通貨・データ資産の管理、仮想空間内での企業間取引の調整、国家機関との連携この三つがポイントだ」


 教師は一拍置いてさらに続ける。


「……すなわち、国家ではなく、仮想空間そのものが秩序を生み出すようになった。この秩序は、従来の国家が担っていた法や規則ではなく、企業やアルゴリズムによって管理される新たな形の統治システムへと移行している。この移行期に起きた社会的変革の中でも特筆すべきは、現実社会での労働の形態だ。V3成立以降、企業の活動は完全に仮想空間へとシフトしている。これにより、地理的な制約が消え、労働の柔軟性が向上したが、一方で現実世界との乖離や社会的孤立といった新たな問題も生じたが、利便性が勝り、現実世界のオフィスという概念はほぼ消失し、仮想空間上での労働が標準化されることになった。今こうやって通う学校も、その流れの一つだな。この学校は、V3時代の終焉とともに、国家主導の教育制度が崩壊し、企業連携による新たな教育システムの一環として設立された。大手企業が教育機関と直接提携し、特定のスキルや専門分野を重視したカリキュラムが導入されているのは、よく知ってるな」


 ここから先は誰でも知ってる。なんせ就職したい企業ナンバーワンのPRAXISの話だ。


「この流れを決定的なものにしたのが、現在V5の一角を担うPRAXISだ。PRAXISの操業は、現実世界のレンタルオフィスのたった一個の机の上から始まっている。しかし、現実世界ではわずか六年の間に飛躍的な成長を遂げ、ついにV3に匹敵するほどの影響力を持つ企業へと急成長した。この理由は、現実世界とインター・ヴァーチュアの時間差の利用による徹底した効率化によるものだ。現実では六年だが、インター・ヴァーチュアでのサイクルで言うと十二年に換算される。それでもV3のアドバンテージを考えれば驚異的なスピードだ」


 そうだ……現実と仮想現実の時間の流れの差。

 これが今の人間社会発展の根底だ。誰でも知っている理屈だ。

 正直聞き飽きた。


「だがこのPRAXISは、実績によって完全に世界のビジネスモデルを書き換えた。インター・ヴァーチュアの得られる時間のメリットは現実の二倍となる。この時差の利用が、今のインター・ヴァーチュア発展の原動力になっていることは、お前たちも知っての通りだ」


 不規則に端末の小さい操作音が教室のどこかしらから聞こえる。だが、俺の興味はそこにはなかった。


 それよりもアナログ時計の針が、どこかぎこちなく動いている気がする。一定のリズムで刻まれているはずなのに、まるで意識に引っかかるように違和感を覚える。

 まばたきするたびに微妙にズレているような、そんな感覚がする。


(……遅い。)


 時計の針は、ネットワーク時刻同期NTPで正確に管理されている。

 ズレることはない。けれど、俺の感覚とは噛み合わない。


 目の前の秒針は、一定のテンポで動いている。

 だが、俺には不自然に遅れているように思える。

 仮想空間のニキシー管時計は、数字が滲むことも、リズムが狂うこともなかった。


 この学校の授業は、現実時間で週に一度しかない。

 理屈では、現実世界の時間に合わせた教育プログラムだが、俺たちはほとんど仮想世界で生きている。


(俺にとって、本当の時間ってどっちなんだろうな……?)


 インター・ヴァーチュアの時間は、一サイクル=三十分で区切られる。つまり、現実の三十分が、ここでは一時間と換算される。

 だから、働き方も変わった。二十四時間労働なんてものはもう存在しない。仮想空間では三日分の仕事を一日で終わらせることができるのだ。


 学生は週休六日が当たり前だ。

 もう『時間が足りない』なんて言い訳は通用しない世界になった。

 二倍の時間がこの世界には存在していて、理論的には人間は二倍の人生を手に入れたってことになるわけだ。


 理論上はすごいはずなんだけど、俺自身はどうだろうな……。

 まったく実感はない……。


 だが、現実の時間と進み方に時差があるだけで、体感は現実と変わらない。

 だから時計も見た目は現実の時計と変わらないが、実際には異なるリズムで動いているってことになる。


 それにアナログ時計なんて、こんなところ学校以外ではまず見かけない。

 普通はニキシー管時計だ。


 大昔の現実世界で、封入した電極入りのガラス管を放電発光させて数字を表示するニキシー管を並べて時計にしたものなんだそうだ。


 気づけば、いつの間にかインター・ヴァーチュアのどこにでも、そのニキシー管時計があったらしい。

 当然、デザインだけで本物じゃないが、街の掲示板、駅のコンコース、カフェの片隅。仮想空間のオブジェクトとして標準採用されている。


 なんでそんなものが溢れているのか。

 理由はいくつか諸説ある。オジーって呼ばれたエンジニアが、インター・ヴァーチュア創世記にいろいろ決めたらしい。

 そいつが趣味で至るところに採用したとか、UI設計の初期段階で一番視認性が良かったとか言われているけど、誰も本当の理由を知らないし、歴史の授業にも出てこない。


 でも、そんな背景はどうでもいい。

 実際、この世界にいる限り、どこでも淡く明滅しながらカウントされている。

 そして、それがなんとなく落ち着く。


 俺はニキシー管時計のUIのほうがしっくりくる。

 デジタルの数字が淡く光り、変化するときもスムーズだ。

 時間の流れが可視化され、心の中のリズムと合致する感じがする。


 体感に差はないはずなのに、アナログ時計があると妙に落ち着かない。

 秒針がカチリと動くたびに意識を引っ張られ、リズムを狂わされるような不快感がある。

 まるで、そこだけ時間の流れが違うような感覚。

 俺はそんな居心地の悪さを感じていた。


 ふと、教室を見渡す。

 多国籍の生徒たちが机に向かっている。

 青い瞳、琥珀色の瞳、黒髪、金髪、赤毛、そしてさまざまな肌の色が混ざり合っている。

 それぞれ異なる文化的背景を持ちながらも、彼らは一様に同じ制服を着ていた。


 黒の詰襟、ブレザー、プリーツスカート。

 その整然とした姿は、まるで仮想空間が記憶の中のをテンプレートとしてコピーしたかのようだった。


 机の配置も、黒板のレイアウトも、異様なまでに統一されている。

 国籍や人種も異なる生徒たちが、日本式の教育環境に押し込められている様は、不自然さを際立たせていた。


 これは、かつての日本の学校のなのだろう。

 それも、どこかの時代の理想化された日本の教育システムを、データとしてインポートしたかのような違和感がある。


 それが逆に作り物めいて見えてしまう。

 均一化された環境、均一化された制服。

 しかし、根本的に異なる背景を持つ生徒たち。

 表面的には整然としているが、根底には歪みがあるように感じる。


 本当は存在しない学校という概念を、形骸化した教育の名のもとに無理やり維持しようとした結果なのかもしれない。


 この仮想現実世界の教育制度は、かつての学校制度の名残を形式的に残しつつも、実際には社会適応型の人材育成プログラムへと変化している。


 卒業すれば能力に合わせて、どこぞのテリトリーで職につくか、しっかりしたツテを頼るか、資格試験に挑んでイントラで公務員を目指すかだ。

 どちらも嫌なら、いっそコミュニティでその日暮らしを始めるしかない。


 この学校が形だけのものだとみんな知っている。

 だけど、それを口にすることすら無駄だと悟っている。

 俺が小学生だった頃はまだ現実世界に学校があった。

 その時は、月曜から金曜まで毎日通って、クラスメイトもほとんど日本人だった。

 でも、パンデミックスやブラックアウトの後、完全にインター・ヴァーチュアの学校に移行した。

 小学校六年生の時だ。

 暗黒時代には、もはや学校どころの話じゃなかった。

 日本はまだマシだったが、うちの家族も一時期はひどい生活を送った。


 父親は登記上で日本法人のオラクル系列の企業に勤めている。

 その関係で俺はオラクルのテリトリーでも日本色が濃い学校に通っているわけだ。

 だが、それが特別なことというわけでもない。


 暗黒時代以前から公務員だった母親は、イントラの最も外側に位置し、比較的自由に出入りができる日本政府の区役所のあるエリアで働いている。

 イントラとはいえ、地方行政区画は民間との接点がある領域だ。

 純粋な行政機関というより、現実世界の枠組みを保つための窓口みたいなものだ。

 そういう意味では、俺にもイントラのツテはあるらしい。


 俺と両親は、現実では同じ家に住んではいるが、お互いにとって必要不可欠な存在ではない。


 かつての家族は共に食卓を囲み、日々の出来事を共有するものだった。

 だが、今の世の中ではかつての家族の形は子供が中学校に上がるあたりまでが限界だ。

 それから後は、各自が仮想空間での生活に没頭し、必要最低限のやり取りだけで成立してしまう。


 それぞれの時間が仮想空間で流れ、食事も別々。

 現実世界での会話は業務連絡のようなものばかりだ。

 昔の家族のあり方とは違い、今では単なるルームシェアに近い関係となっている。

 ただ、現実で同じ屋根の下にいるだけ。

 インター・ヴァーチュアでは、それぞれ好きにやっている。


 むしろ、顔を合わせるのもインター・ヴァーチュアの方が多いぐらいだし、まだこっちでのやり取りの方が家族らしい。

 父や母も、インター・ヴァーチュア内のほうがよほど夫婦らしいことをしている。

 定期的に「どこに行った」「楽しかった」なんて、デートの報告だけは届く。

 現実ではお互い笑うことも、口を聞いているところなんてもう長いこと見たことないが……不思議なもんだ。

 子供としては一応、それを見て気恥ずかしさもあれば、両親が仲睦まじいことに喜びもある。


 きっと俺に何かあれば両親は泣くだろう。

 逆なら俺が泣くのだろう。

 でも、きっと次の日にはまたいつもの生活に戻っているだろうなと思う。

 たぶん、お互いその程度だ。

 この時代、家族というものは、かつてのように強く結びつくものではなくなっている。


 結局は、世間体と現実世界での最低限のルールと道徳心から、家族を続けているだけのようなものだ。


 ――――


 授業が終わりを告げるベルが鳴る。


 アナログ時計の針が、ちょうど十六時を指していた。

 その瞬間、九法 悠くのう ゆうはふと、自分がどちらの時間の中に生きているのか分からなくなった。


 だが、その静かに刻む時間は、悠にとっては妙に浮いた存在だった。

 まるで、この場所だけが現実世界にしがみついているかのように感じる。


 軽く伸びをし、端末を手に取る。


「ログアウト……と」


 ニキシー管時計のUIが表示され、カウントダウンが始まる。


 ログアウトの瞬間、端末のUIに表示されたカウントダウンがゼロになる。

 仮想世界の時間と現実の時間が交錯し、意識が一瞬浮遊するような感覚。

 次の瞬間——。


 光が途切れた瞬間、何かが『切り替わる』感覚。

 空気が重い。皮膚が直接、世界と接触する。

 仮想世界では感じなかった『生々しさ』が、神経を通じてゆっくりと体に戻ってくる。


 インター・ヴァーチュアでは意識しなかったそれらが、急にのしかかる。

 一瞬、自分の体が自分のものではないような違和感。

 手を握ると、微かに指が遅れてついてくる感覚がする。


(……戻った、はずだ)

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