ギルド本部の朝は、いつも通りにざわついていた。
討伐依頼の受付、素材の買い取り、報酬の分配、報告書の不備に怒鳴られる中堅冒険者。
受付嬢たちは、優雅な微笑みの裏で、苛烈な事務処理バトルを繰り広げていた。
その中心に、今日も例の“看板受付嬢”がいた。
「おはようございます。討伐報告ですね。はい、こちらにどうぞ。失礼、提出書類の形式が旧式ですので、新しいフォーマットを……」
笑顔で流すように指示を出すエリシア。
その様子に見惚れるようにしていたライオが、すかさずリゼルに肘で小突かれる。
「ほら、見とれてないで働けっての」
「いや、もうこれは信仰の域だろ……」
「アホか」
そのやり取りを横目に、ティナはふと、一通の封書を手に取った。
「……ん? これ、回収忘れた依頼書かな……?」
だが、それは依頼書ではなかった。
羊皮紙に丁寧な筆記体で綴られた、宛名のない封筒。
見た瞬間、エリシアの表情が少しだけ変わった。
「――それを、どこで?」
「……あ、あの山のような未整理書類の中から」
「少し待って。これ、私に預けてもらえるかしら」
封を切ったエリシアの目が、数秒、止まった。
◆
その日の午後、ギルドの応接室には珍しく、エリシアと新人三人組の姿があった。
「その手紙……誰からだったんですか?」
リゼルが静かに問う。
「差出人の名前はなかった。でも、これは……私がまだ訓練生だった頃に出した、“出すことのなかった手紙”に、返事を返してくれた人からのものだと思う」
「……え?」
エリシアは、そっと羊皮紙をテーブルに置いた。
『拝啓、かつて手紙を書こうとしたあなたへ。
その悩みがまだ終わっていないのなら、王都北方の“風見の丘”へおいでなさい。そこに一通の瓶が、地に埋められています。それは、過去のあなたの声であり、未来のあなたの選択でもあるでしょう』
「……これって、もしかして、トレジャーハント的な?」
リゼルが目を輝かせる。
「……え、違うでしょ。え、違う……よな?」
ライオが少し不安げな顔をする。
エリシアは、少しだけ困ったように微笑んで言った。
「よくわからないわね。でも、気になるのは事実。……行ってみる?」
それが、“小さな冒険”の始まりだった。
◆
王都北方、風見の丘。
木々の間を風が吹き抜けるその場所には、古びた風車の残骸と、誰かが座っていたような跡が残るベンチがあった。
「……この辺りかな。瓶、瓶……」
「ええと、エリシアさん、瓶って埋まってるんですよね? まさか地面全部掘るわけじゃ……」
「直感で、ここと思ったところを掘れば当たるわよ」
「いや直感て」
しかし、エリシアが足元の小石をどけた瞬間、カン、と何かが当たる音がした。
「……あったわね」
「マジかよ!!」
瓶の中には、たった一枚の紙があった。
『君がいま、笑っていられるように。君が、誰かのために涙を流せるように。いつか未来で、誰かが君を支えてくれますように。それが、昔の私から、今のあなたへの祈りです』
エリシアはその紙を手に、しばらく風に吹かれていた。
ティナが小声で言う。
「……誰が書いたんでしょうね、それ」
「きっと……昔の主任自身、なんじゃないかな」
リゼルの呟きに、ライオも静かにうなずく。
エリシアは、ふっと微笑んだ。
「……あの頃の私が、いまの私を励ましてるなんてね。ちょっと不思議。でも、嬉しい」
彼女の表情は、少しだけ幼さを取り戻していた。
◆
帰り道。
「主任ー、今日の分のシフトは免除ってことでいいですよね?」
「いいわよ。明日の早朝分、代わってもらえるなら」
「えっぐい条件出された!?」
「まぁまぁ、冒険ってそういうもんでしょ。後で大抵怒られる。昔から二人ともそうだったじゃん」
「「ティナもだからな!!」」
「え!?」
「あらあら」
笑い合いながら、4人は夕暮れの道を帰っていった。
ギルドでは、またいつもの喧騒が始まっている。
けれど――
受付嬢の心には、確かに“かつての自分”からの祈りが届いていた。
そしてそれは、彼女を見つめる三人の目にも、同じように輝いていた。
小さな冒険の、ほんのひとときの、あたたかな奇跡。
それは、明日のための新しい記憶。