目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第36話「……はぁ」

「そんじゃあホームルーム終わり。お疲れさん」


 帰りのホームルームが終わった。

 学校では先輩に会うことがない。

 会いに行きたいけど、「彼氏」って噂が立っている今、先輩に迷惑がかかるかもしれないから。

 だから、放課後のこの時間が、一番のご褒美だ。


「菊川、今日帰りラーメン寄ってかね?」

「ごめん、先約があるんよ」

「また女か。佐々木がいることも忘れるなよ」


 相原は冗談交じりにそう言って、他の男子と一緒に教室を出ていった。

 俺も鞄を肩にかけて、駐輪場に向かう。


「せんぱぁい!」


 姿が見えた瞬間、無意識に声が漏れた。


「お疲れ様、どうだった?」

「先輩、それ俺のセリフですよ。今日は普通でした。ただ授業受けて、クラスのやつらと話して、って感じです。先輩は?」

「私も、変わらないかな。……色々とやらかしてるから、仕方ないんだけどね」

「挽回できますって。とりあえず帰りましょ」


 俺は自転車を出し、後ろに先輩を乗せてペダルを踏んだ。


「朝、大丈夫でした?」

「うん。最高の作戦だね。朝に人目を気にしないで済むって、すごく気が楽。ありがとうね、菊川くん」


 そう言って、俺の腰に回された手の力が少しだけ強くなった気がした。背中に感じる温もりに、胸が高鳴る。


 信号に引っかかって、自転車を止める。

 ふと背中にやわらかい感触が押し当てられて、意識が跳ね上がった。


「んっ。赤だね」

「……せ、せんぱい」


 なんとか平静を装って信号が青になるのを待ち、自転車を走らせる。


「また彼氏と下校か」

「橘って、いきなり泣き出すってマジ?」

「ほんとだよ、正直怖い」

「不思議っ子って類じゃないもんね」


 前を歩く数人の学生の会話が、耳に入ってきた。


「……菊川くんも知ってるの?」

「……はい。風の噂で聞きました」


 先輩の手が、少しだけ震えた。

 黙っていても、その震えが全てを語っている気がした。


「俺も昔、授業中に教科書投げたりしてたなぁ。花瓶割って先生に怒鳴られて、家に帰ったら姉にどやされて」

「それって、島にいた頃?」

「そうですよ。ボール蹴って窓ガラス割ったり、その破片が早食いしてた先生の弁当に飛び込んだり」

「なにそれ、面白い」


 先輩の表情は変わらなかったけど、どこか肩の力が抜けたように見えた。


「もっと面白い話ありますよ」

「じゃあ、もっと聞かせて」


 先輩が珍しく前のめりになってきたのが嬉しかった。


「じゃあ、明日。大富豪で俺に勝つ度に、1つ教えます」

「えー、そんなに聞けないじゃん」

「じゃあババ抜きでも」

「やった。全部聞ける」


「先輩?」

「なに?」


「好きです」


 しばらくの間、沈黙が続いた。

 長い、長い間だった。


「……んっ。ありがと」


 その一言が、やけに胸に染みた。


「今日はまだ言ってなかったので」

「毎日言うつもり?」

「だって、毎日思いますから。1回か2回くらいは、口にさせてください」


「別に、私がいるときに言わなくてもいいじゃん」

「でも、言いたいんですよ。先輩の前で」


「……はぁ」


 先輩はため息をついた。


 それでも俺は、少しだけ笑った。


 だってそのため息の奥には、きっと「拒絶」じゃない何かが、混じってる気がしたから。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?