弘樹は対戦相手を知りたいと思った。姉の朱良を闘わせてよいかどうかを確認するためである。弘樹は相手が経営するスポーツジムを訪ねることにした。
二駅ほど電車に乗り、駅の改札を出ると白木結衣がいた。
驚いている弘樹に「待ってたのよ」と結衣。
とまどう弘樹が「結衣ちゃんがどうしてここに?」と、しどろもどろになりながら言った。
「対戦相手の人に会いに行くんでしょ」と結衣。「私も連れてって。」
「今日は危ない用事だからだめだよ」と弘樹。
「弘樹君が守ってくれるんでしょ」と結衣。「もし連れてってくれなかったら、弘樹君が鉄塔に登ってたこと、他の人に言っちゃうよ。」
弘樹は結衣とスポーツジムの方向に歩き出した。地図では県道沿いのはずだ。安東ジムと書かれた看板がすぐに見つかった。繁華街からは少し外れているが、思ったより敷地が広い。一階がスポーツ用品店、事務所とラウンジで二階がジムのようだった。
一階の店のレジには女性店員が一人いたが、ラウンジに入った弘樹達には関心がなさそうだった。弘樹と結衣は玄関ホールのわきにある階段で二階にあがった。
右側に筋力トレーニング用のマシンが並んだ部屋があって、左手にリングがある。ドアを開けると、がらんとしたホールに汗のにおいがした。奥の控室から体の締まったガタイのいい中年の男が出てきた。
「何の用だ?子供が勝手に入っちゃだめだぞ」と男が怖い顔をした。
「話をしに来たんだ」と弘樹。
「話?」と男は怪訝そうな顔をした。
「来週の試合のことで」と弘樹。
「お前、関係者か?小学生だろ?」と男。
「八角学園の高校生よ。私たち」と結衣。
「ああ、あの高校の生徒か。飯島と八木の知り合いか?」と男。
「いや、朱良の知り合いだよ。同門なんだ」と弘樹。
「ああ、そうか。ならそこに座れよ」と男が言った。
男は控室に入ってカップを三つのせたお盆を持って戻ってきた。男は弘樹と結衣の前にコーヒーカップを置いて「ミルクと砂糖、いるか?」と聞いた。
「私はいらないわ」と結衣。
「ぼくも結構です」と弘樹。
男はドスンとパイプ椅子に座った。「それで話ってのは何なんだ?」
「試合をやめてほしいんだ」と弘樹。
「何だと?」と男。
「意味がないよ」と弘樹。
「お前、何を言ってるんだ?」と男。
「技を使って殺しあうなんて、無意味だよ」と弘樹。
「何だ、そんな理由か。大人の事情があるんだよ。無意味だからやめます、なんて言えないんだよ」と男は笑いながら言った。
「おじさんでは朱良に勝てないよ」と弘樹。
「なんだと」と言ってから男は続けた。「確かに朱良ってやつは強いらしいな。飯島と八木は瞬殺だったらしいじゃないか。だが俺はあいつらよりずっと強いぞ。女子大生に負けるわけがねえ。」
「朱良は技を使うんだ」と弘樹。
「俺も使うよ。自慢じゃないが、かなりの使い手だぞ、俺は」と男。
「なんで、高校生に技を教えたの?」と弘樹。
「ああ、あいつらはここの道場の弟子なんだ。子供のときから格闘技を教えてたんだ。少しぐらい技を教えてもいいだろう」と男。
「よくないよ。あの人たちは使い方を間違ってたよ」と弘樹。
「そうかもしれん。お前たちは特別なんだっておだてたら、舞い上がっちまって、俺にはどうしようもなかったよ。うすうす犯罪に走ってたのは気が付いてたんだがな」と男。
「すぐ止めるべきだったね」と弘樹。
「だが、俺はあいつらに少し同情していた。特待生の待遇につられて入学したのはよかったが、お高くとまった女どもが気に食わないって、いつも文句を言ってたよ」と男。
「ぼくもあの高校が好きじゃないけど、あんな犯罪行為は間違ってるよ」と弘樹。
「まったくだな。俺もそう思う」と男。「だが今更言っても始まらんだろ。」
「ところで、おじさんは、今度の試合でお金をもらえるの?」
「もちろんもらえるよ」と男。
「誰からもらえるの?」と弘樹。
「そんなこと聞いてどうするんだ?」と男。
「知りたいんだ、何で技を使う人同士が闘わされてるのかを。それに外法なんて呼ばれるのは、すごく気に食わないんだ」と弘樹。
「なるほどね。この世の中には子供には理解できないことが多いんだよ」と男。
「弘樹君、私が教えてあげる」と結衣。「この人は、夢未来スポーツ財団からお金をもらってるのよ。」
「お嬢ちゃん、よく知ってるね。関係者だったのか」と男。
「何でそんなところからお金をもらうの?」と弘樹。
「もちろん、スポーツ振興のためだよ。特殊な技をスポーツに生かす研究をしているんだ。それを阻もうとする悪い集団と闘う場合は、支援をしてくれるんだよ」と男。
「悪い集団って何?」と弘樹。
「知ってるだろ。正森ネットワークだよ。技を独占して甘い汁を吸っているんだ」と男。
「何のために?」と弘樹。
「技をこっそり利用してる人たちがいるんだよ。一部の人たちだけに協力して儲けているんだ」と男。
「本当なの?」と弘樹。
「俺が知る限りはな」と男。「お前、何も知らないんだな。」
「朱良は事情を知らないで雇われているだけなんだ。ぼくは闘ってほしくないんだ」と弘樹。
「俺じゃなくて、朱良を説得した方がいいんじゃないか?」と男。
「説得したけどだめだったんだ」と弘樹。「それより、なぜおじさんは格闘家として、ちゃんとした試合に出ないの?おじさんなら年末のお祭り試合に出ても勝てるでしょ?」
「以前は出てたんだ。覆面レスラーとしてだけどな。だけどちょっと事件に巻き込まれて、出られなくなったんだ」と男。
「事件って?」と弘樹。
「お前、遠慮を知らねえな」と男。「八百長事件に巻き込まれたんだ。というか俺が八百長をしたんだがな。」
「プロレスってシナリオがあるんでしょ?」と弘樹。
「ああそうだ。だからそのときは八百長だと思ってなかったんだが、闇賭博をやってる連中に大損させちまって業界を追い出されたんだよ」と男。
「ひどいね。だから戻れないの?」と弘樹。「ああ、むりだな。興行主や団体がガチの勝負って売り込んでたから、言い訳できなかったんだ。」
「それでやさぐれてたら夢未来財団に拾われたってわけよ。捨てる神あれば拾う神ありだな」と男。
「だけど負けたら、ここを追い出されるんでしょ」と弘樹。
「ああ、だが勝っても負けてもファイトマネーが入るからな。まあ、ここを畳んじまっても何とかなるんだ。どうせ、飯塚と八木の件があって、もうここじゃあ商売できねえ。見ての通り閑古鳥が鳴いてるだろ。最後に格闘家らしく試合ができるだけありがたいってもんよ」と男。
困った顔をしている弘樹に向かって、「そんなわけだから、俺が試合を辞退するなんてありえないぞ。あきらめて帰りな」と男。
「そうだね。おじさん、話を聞かせてくれてありがとう。ごちそうさま」といって弘樹は立ち上がった。