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第56話「最果てのアルド」

 フロントライン公国に罪を犯した王族を罰する法律はない。

 だがそれでも罪を犯す王族は出るので、その場合は生涯修道院に幽閉されることとなる。


 公国の北の果て、最貧の修道院と言われるアルド修道院。

 本来なら王族が行くはずもない場所だが、謹慎となった元公国軍総帥マチルダはあえて最も貧しい修道院を幽閉先に選んだ。


 ザク、ザク、ザク……。

 土を耕す音が響く。


「マチルダ様……」


 一瞬、マチルダとは思えなかった。

 薄汚れたボロボロの服をまとい、畑でくわを振るっているのはまるで貧しい村娘のような姿の姫様だった。


「おお、オージンか。ちょっと待ってくれ、もう少しで終わるから」


 手ぬぐいで汗を拭くが、頬が余計に土で汚れてしまう。


「マチルダ様自ら鍬を振るっておられるのですか!」


 あまりの変わりように驚いた。

 謹慎とは言え、仮にも王族が農民に混ざって土を耕すなど本来ありえぬことだ。


 慌ててオージンがお付きの者に尋ねると、マチルダ自身が望んだことだと言う。


「公国最強の騎士である私が、農家に負けたのはなぜか。オージンは知っているか」

「わかりかねます」


「最強は農家だったのだ」

「いや、それは……」


 そういうことじゃないと思うのだが、粗末なくわを大事そうにさすって微笑むマチルダを見て、背筋が凍った。


「自ら畑を耕して、初めて知ったことが多くある」

「それは良きことに思いますが、剣はどうされたのですか」


 畑の近くに置いてあるボロ布に包まれた聖剣をマチルダは取り出してみせる。


「心配するな、こうしてきちんと聖剣天星剣シューティングスターには祈りとともに毎日聖力を溜めている」

「そうですか」


 あまりの姫様の変わりようにどこかおかしくなったのかとオージンは焦ったが、どうやら正気のようだ。


「もはや、これだけしか私の価値はないからな」

「いえ、そのようなことはありません!」


「そのようなことはあるだろう。私は自らの判断ミスにより不必要な戦を起こし、多くの兵の命を無為に散らせてしまった。じい、お前の言う通りだった。私はあの時死ねばよかったのだ」

「姫様……」


 それを否定する言葉がないのが、オージンには悲しかった。


「公国軍にもはや籍はないし、私も二度と軍に戻るつもりなどない。ただ聖剣の力が必要であれば、いつでも出向いて祖国のために一兵士として死のう。その覚悟だけは今もある」

「……マチルダ様、これだけは言わせてください。タダシ王の慈悲にすがっても、私は貴女の命が助かってよかったと思っております」


「ありがとう。私には過ぎた言葉だ……」

「それに公国軍のことなら心配いりません。アンブロサム魔王国の方で政変があったらしく、魔王軍の侵攻が止まり、奪われた穀倉地帯を奪還するところまで来ています」


 あれほど負け続けで、マチルダのせいで公国軍は身動き取れない状態だったというのに……。


「それはどういうことだ?」

「マチルダ様には教えていいでしょうが、これは内密に願います。実は公国の情報は敵に筒抜けだったようで、国家の防諜ぼうちょうについても洗い直しているところなのです」


「もちろんだ。私が至らぬことで苦労をかけるな」

「タダシ王からの情報提供によると、アンブロサム魔王国はクーデターで滅びました」


「なんだと! 敵国が滅びたというのか!?」


 一体どうなっているのか、マチルダには想像もつかない。


「魔王ノスフェラートが新しい魔王によって倒され、魔王国は人族に対する穏健派と強硬派で割れた状態だそうです。これに対して、タダシ王国は魔王の遺児と魔族の穏健派の種族を受け入れて旧アンブロサム魔王国の亡命政権を手中としました」

「なんと、一兵も動かさずに魔王軍の侵攻を止めて敵国を二つに割るとは、タダシ王はなんという策略家なのだ!」


 公国軍と国民に多大な犠牲を払う無謀な奇襲作戦しか思いつかなかった自分と、為政者としての格が違いすぎるとマチルダは震えた。


「タダシ王国は自国に魔族も受け入れるそうです。よくぞ踏み切ったとは思いますが、この政策は聖王国あたりはうるさく言ってきそうですな」

「聖王国など、魔王軍との戦いを我が国に任せてろくな援助もしないで人族の宗主を気取っている最低の国ではないか。あんな連中に前線で戦う我らの何がわかる!」


「そうですな。情報戦においてもタダシ王は、二手も三手も先をいっておられます。内乱で力を落とした魔王国ですが、強硬派が力を持つために再び力を盛り返して激烈な侵攻が予想されるだろうということです」

「そうか……」


 聖剣を持つマチルダの手にギュッと力が籠もる。

 一度は、残りの余生を修道院で静かに送ろうと決心したものの、国の危機となれば姫騎士の血が騒ぐのだ。


「もちろんそう聞けば、こちらも手をこまねいてはおりません。幸いなことに、タダシ王がエリクサーと食糧をたくさん送ってくださったおかげで傷病者も回復して補給も充実しつつあります。今の戦線で、敵を食い止める準備は着々と進んでおります」

「そうか。ここでは何の情報も入らず、心配していたのだ」


「あと、姫様にもう一ついい報告があります。タダシ王が送ってくださったエリクサーを公王陛下にも飲ませたところ、ベッドから起き上がれるほどに回復されました」

「お父様が……。そうか、よかった……」


 ホッとしたのだろう。

 思わず泣き崩れるマチルダを、オージンは支える。


 病床の父王さえ回復してくれれば、公国は滅びずに済む。


「タダシ王との協調のもとで、公国の防戦に努めてまいります。どうか姫様もお心を安んじられますように」

「ああ、安心したらなんだかお腹が空いた。そろそろ飯時だ。オージンも飯を食べていくか」


「それでは、ご相伴にあずかります」


 マチルダがここで一体どのような物を食べているのか、オージンにも興味はあった。

 そこで修道院の食堂に同席したのだが、そこでテーブルに出されたものを見て驚く。


「どうしたオージン」

「姫様、これはなんですか」


「なんだって飯だ」

「これは、食べやすく粥にされてますが燕麦えんばくですな」


 オートミールというものだ。

 言いたくはないが、燕麦は馬の餌にするものだ。


 少なくとも、王族や貴族が食べる物ではない。


「アルドの人々にとってはこれが主食だ。食べられるだけ幸せと思わねばならん」


 マチルダは黙って食べる。

 姫様が食べているのだからオージンも付き合って食べるが、オートミールはとても味気ない。


 続いておぞましいものが食卓に出される。

 藁に巻かれた糸を引いたこれは……。


「こっちは納豆と呼ばれるものだ」

「腐った豆……」


「腐ってはいない発酵だ。古の賢者がこの地に伝えたと言われる。慣れればオートミールよりも美味いし栄養がある」

「酷い匂いのように思いますが」


「この地ではご馳走だぞ。慣れれば食べられないことはない。あとはこれだな」


 続いた出されたものは……。

 さすがにこれは、オージンも黙ってはいられない。


 おおよそ食べ物などとは思えない。


「これは虫ではないですか!」

「イナゴだな。作物を食い荒らす害虫だが、この地では焼いたり煮たりして食べるのだ。害虫駆除にもなるし、一挙両得だろう」


 平然と虫を口に運び、シャリシャリと渋面で噛み砕くマチルダにオージンは見ているだけで吐き気を覚えた。


「うっぷ」

「……ゴクン」


 本当に呑み込んでしまったと思って、オージンは恐る恐る尋ねる。


「もしかして、美味いのですか?」

「まじゅい! 土を食べてるみたいだ!」


 ぷるぷると震えて碧い瞳に涙すら浮かべている。

 そりゃ、イナゴを焼いただけのものが美味いわけがない。


「まずいなら食べなければ良いではないですか」

「……私はな、悔しいのだオージン」


 泣き出してしまったマチルダは、テーブルをドンと叩いて嘆く。


「姫様……」

「アルドは名馬の産地として国のために貢献してくれている。それなのに、貧しいこの土地では人も馬と一緒のものを食べるしかない。それすらも税金が重いために足りず、木の根や虫でも食べられるものはなんでも食べて辛うじて生きている。全ては愚かな私のせいだ!」


「それは、内政を統括する私どもが至らぬからです」

「こんなこと、私は何も知らなかった! いやじいはずっと民の窮状きゅうじょうを訴えていたのに、知ろうとしていなかった!」


「姫様ばかりが悪いわけではありません。家臣の私たちとて同罪なのです」


 本来ならば、マチルダをいさめられなかった家臣の自分こそが罰を受けるべきなのだ。

 そう思うからオージンも心苦しい。


「今更後悔してもどうにもならないが、今思えば私はタダシ王に負けて当然だった。為政者としての、いや人としての器ですでに負けていた」

「それは、残念ながらその通りですな」


「ここで畑を耕しながらずっと過去を振り返って、もっとあの時違うやり方はできなかったかと。そんなことばかり考えている」

「姫様、そこまで反省なさっているのであれば、今一度前線へと一緒に参りませんか?」


「どういうことだ」

「タダシ王が補給物資を持って応援に来てくれるそうなのです。儀礼としては、こちらも王族が出てお礼を述べなければならないでしょう」


「恥ずかしくて合わせる顔もないが……」

「そこまで殊勝な態度であれば、きちんと謝って感謝を述べれば良いだけではないですか。寛大かんだいなるタダシ王であれば、きっと許してくださるでしょう」


「そう言えば、私はあれほどの迷惑をかけて謝ってもいなかったのだな」

「そうでしょう」


「本当に今更だが、謝罪は私もしたいと思う。父上を助けてくださった感謝も述べたい」

「それがよろしいかと」


 タダシ王が許せば、病状が回復した公王ゼスターとマチルダの面談も叶うだろう。

 聖剣を持つマチルダは、いまだに戦力としての価値があるという計算はもちろんある。


 だがこれも、最愛の父親に会いたいと言い出せないマチルダに対するオージンなりの忠心ちゅうしんであった。

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