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第89話「聖姫アナスタシアの来訪」

 タダシ王国首都、王城の執務室。

 細身の子が多い吸血鬼の女官には珍しい、ぽっちゃりとした吸血鬼アマミツが、山積みになったおまんじゅうをパクパクと食べながらつぶやく。


「もぐもぐ、あんこって美味しいですね。フジカ様。タダシ様は良いもの作りますですねえ」


 それに、フジカがため息を吐きながら言う。


「お菓子もいいけど、聖王国から続々となだれ込んでくる密偵の対応の方はどうなってるの」

「まー、限りあるリソースをフル活用して、ギリギリなんとかなってるってところです」


 人族の最古の国、聖王国は歴史ある諜報の本場だ。

 軍事力は北の帝国に劣るが、高い政治力と経済力を誇り、それによって培われた諜報機関は侮ることはできない。


 諜報戦にとてつもなく疎い騎士の国、フロントライン公国などはやられ放題で、ろくな援助もなく聖王国の盾として戦わされ続けていたほどだ。

 自然と、三カ国では唯一諜報機關があるアンブロサム魔王国のスタッフに負担がかかる。


「ズズズ……」


 のんびりとあんこのおまんじゅうを食べてお茶をすすってるアマミツではあるが、こう見えても情報分析が担当の彼女の頭脳は目の前の書類をパラパラとめくって目まぐるしく回転している。


「どう思う、アマミツ?」

「このままだと、うちは近いうちにパンクしますですねえ。もぐもぐ……いっそのことタダシ王国内の要点だけの機密防衛に絞って、他は放置すべきではないでしょうか」


 アマミツは、食べる手を休めずに言う。


「そうするしかないか……」


 北の帝国や自由都市同盟諸国からもタダシ王国を調査するために諜報員は入ってきているが、見え見えの偵察だけなのでそちらはもう支障がない限りは放置している。

 大陸中の国家が新しく出来た謎の新興国タダシ王国の情報を欲しがっており、密偵の数が多すぎて摘発する手が足りないのだ。


 それより注意すべきは、明確にタダシ王国を敵視している聖王国の危険な諜報の手練たちだ。

 このところ、聖王国からと思われる密偵の報告が相次いでいた。


 タダシ王国にやってくる大量の移民に紛れ込む形で侵入して領内を嗅ぎ回っているので、常に神経が休まらない。

 表立った動きをした者は摘発しているが、一体どれほどの数が入ってきているものか。


「フジカ様、要人警護に注意すべきでしょう。戦闘力がない奥方様が護衛もなくフラフラ出歩いてると、捕まって人質になったりするかもですよ」


 アマミツは、恐ろしいことを言ってくる。

 でも相手は歴史ある聖王国の諜報組織だ。どんな手を打ってくるかもわからず、それも警戒しなければならない。


「それもそうね。マールさんとか料理を教えに各地を回ってるから、危ないかも」

「いや、そっちは獣人勇者のエリンちゃんが付いてるから、大丈夫じゃないですかね」


 なるほど、エリンが護衛に付いてくれていたか。

 みんな考えて動いてくれている。ただ、フジカがその抜けがないようにチェックし直す必要はある。


「エリナ、新しい移民の調べの方は済んでる?」

「はい! 今なんとかまとまりました。きゃー!」


 吸血鬼の女官であるエリナがステンと転んで、抱えてきた紙の束が散乱した。

 ドジっ子メイドかと呆れつつ、アマミツとフジカは書類を拾うのを手伝ってやる。


 この書類は、新しく入ってきた移民たちの戸籍だ。

 いちいち一人ひとりの事情を聞き、管理するのにも一苦労だ。


 エリナは本来なら経理事務が担当なのだが、移民局の仕事に忙殺されている。

 何しろ、タダシ王国は入ってくる移民が多すぎるのだ。


 それに対して、管理する役人の数が足りなさすぎる。

 新しい人材の育成が急務なのだが、その育成にあたる人材も足りない。


 その辺りは新興国の難しさといったところ。

 拾い集めた書類を見て、アマミツがつぶやく。


「あ、こいつの経歴怪しいです。聖王国の密偵かも……他の国を使って経歴偽装してるです。ほぼクロですね」

「すぐ調べさせます!」


 アマミツの勘に間違いはない。

 こっちは、任せておいていいだろう。


 復興中のアンブロサム魔王国に加えて、タダシ王国の王宮まで統括する侍従長フジカには、他にやるべき仕事がたくさんある。

 もうすぐ噂の聖王国の聖姫アナスタシアが王城を来訪する予定なのだ。


 まさか、タダシ王国を仮想敵国と定めている国の姫様が大胆にも一人でやってくるとは誰も予想していなかった。

 仮にも王位継承者なのだ。どうして、誰も止めない。何度考えても不可解すぎた。


 タダシ王国が捕縛して人質にしたらどうするつもりなのだろう。危害を加えたら?

 もちろん、どことも戦争などするつもりもないタダシ王国はそんなことは絶対にしないのだが……。


 あるいは、もしかしたらそれこそが敵の狙いなのか。

 護衛もいないようなので聖姫アナスタシアの身柄を保護は命じたのだが、危ないかも知れない。


「もしかして、聖王国に内紛がある?」


 いや、そう断定するには聖王国の情報が少なすぎる。

 これまで魔族も人族も、長らく相争いながらお互いのことを知らなすぎた。


 諜報に長けたアンブロサム魔王国と言っても、それは目の前の戦争に打ち勝つための方策で、和平を勝ち取るためではなかった。

 今後のことに眠れないほど頭を悩ませているフジカに、アマミツが忠告する。


「フジカ様。考え過ぎはダメですよ。情報が足りない時に考えても意味ないです。もぐもぐ……実際会って話してみたらいいじゃないですか」

「それはわかってるわ。けど……」


 何かの罠か、それとも聖王国にもタダシ王国と話し合いを求めている勢力があるのか。

 聖姫アナスタシアと和解できれば、戦争を避ける手立てが見つかるかも知れない。


 そのためには、聖王国の敵視する魔族である自分たちが前に出てはダメだ。

 そう、今の人族と魔族の協調があるのもタダシあってのこと。


 やはり大事なことは、タダシに任せるのが一番良いとフジカは思う。

 たまたま通りかかった女官のカゲツキに聞く。


「タダシ陛下は、どこにおられるの?」

「あーフジカ様。タダシ様なら、例のあれですよあれ」


 ちょっとギャルっぽい金髪ショートのカゲツキは、笑いながらくわで畑を耕すジェスチャーをする。


「ああ、あれね。生産も大切だけど、聖姫様を迎える準備をしなきゃならないから、そろそろ戻ってきてもらわないと困るわね……」


 噂をすれば。

 そこに、鍬を持った野良着姿のタダシがやってくる。


「みんなして集まってどうしたんだい?」


 久々に軽く畑を耕してきたタダシは、機嫌が良さそうだ。


「あ、いらしてよかった。タダシ陛下。今日は、聖王国の聖姫アナスタシア様がいらっしゃる日ですよ」

「そうだったね」


 聖姫アナスタシアとの会談はとても重要だ。

 タダシ王国と魔族を敵視する聖王国との対話のいとぐちになるのではないか、そういう期待があることはタダシも承知している。


「聖王国王女、アナスタシア・アヴェスター様がいらっしゃいました!」


 王城の衛兵が飛び込んでくる。


「え、いくらなんでも早すぎるわ! 到着は午後じゃなかったの?」

「それが一刻も早くお会いしたいと急いで来たそうで……」


 あまりに早い到着。奥方様も揃ってないし、まだみんな正装に着替えてすらいない。

 タダシなんか野良着だ。


 せめて着替えだけでもと思う間もなく、美しいドレスに身を包んだ王女はスタスタ入ってくる。

 報告に聞いていたクリスピーとフレーク、可愛らしい猫妖精ケットシーの姉弟が付き添っているので間違いないだろう。


「なんで誰も押し止めなかったの、これだから……」


 フジカが今更、王城の人手不足を嘆いても仕方がない。


「国王がこちらにおられると聞きましたが、貴方がタダシ陛下ですか?」


 キョトンとした顔で、聖姫アナスタシアが尋ねる。

 そっちは衛兵の隊長だ。


 王城でまともな服装をしている人族の男性が彼しかいないのだから仕方がない。


「いえ、とんでもない! 私は違いますよ。そちらの方が我らが王、タダシ陛下です!」


 ギョッとするアナスタシア。

 そりゃそうだろう。一国の国王と会おうと思ってきたら、相手は土まみれの野良着でくわまで持っている男なのだから。農民にしか見えない。


「どうも、聖王国の聖姫様ですか。こんな格好ですみません、大野タダシと言います」


 タダシをサポートしようと、フジカが割って入って説明する。


「タダシ陛下は、先程まで民のために畑を耕していたのです!」

「畑を?」


「ええ、生産王の評判は聖姫殿下もお聞きのはず。農業神クロノス様より☆☆☆☆☆☆☆セブンスターの加護を授けられしタダシ陛下の耕した畑は永久の実りが約束されます。民が飢えぬためにタダシ陛下はこうして日夜、土にまみれているのです!」

「まあ、王様自らとは! それは本当に素晴らしいことですね。実り豊かな畑は、ここに来るまでもたくさん目にしました」


 両手を組んで感激の面持ちの聖姫アナスタシア。

 とりあえずセーフ。


 なんとか、悪いイメージはもたれずに済んだようだ。

 しかし、それにしてもと、フジカは聖姫アナスタシアを観察して訝しがる。


「イセリナと似ている……」


 タダシが言ってしまった。

 聖姫アナスタシアの銀髪プラチナブロンド、澄んだ碧い瞳。


 おおよそ人間離れした淡雪のような艷やかな肌まで、海エルフの女王イセリナにそっくりだった。

 エルフと人間という種族の違いがあるのに、ここまで似るものだろうか。


 違うところと言えば、耳の長さと胸の大きさだけだ。

 アナスタシアは、ほっそりとした体躯であり胸はさほど大きくない。


 イセリナは、タダシの嫁の中でも一番胸が大きい。

 しかし、それ以外はそっくりだ。


「イセリナとは?」


 不思議そうに尋ねる聖姫アナスタシアに、フジカが慌てて答える。


「タダシ陛下の奥方様なのです。聖姫殿下とあまりにも瓜二つでして」

「えっ、タダシ陛下の奥様って獣人じゃなかったのですか。ほら、うどんという料理の作り方を教えておられる」


「ああ、それは八番目の奥方様ですね」

「え゛え゛……」


 濁った声で唸った聖姫アナスタシアの表情が明らかに強張っている。

 何かマズいことを言っただろうか。


 聖姫アナスタシアは、いくらなんでも奥様の数が多すぎるとぶつぶつ言っている。

 あ、そうか、これは風習の違いか!


「タダシ様は、たくさん奥様がおられるんですよ」

「私達も全員妻ですよ」


 ダメ! そうフジカが止める間もなく、アマミツとエリナが言ってしまった。


「え゛え゛え゛え゛……」

「いや、聖姫殿下。これは違うんですよ」


 何が違うのか、あたふたとフォローを入れようとするフジカの行動も虚しく聖姫アナスタシアがタダシに聞く。


「……あの、タダシ陛下。つかぬことをお伺いしますが、奥様は何人いらっしゃるんですか」

「百十六人です」


 タダシだってそう聞かれたら、素直に答えるしかない。


「ひゃ、ひゃくぅじゅうろくぅぅう!」


 大きな声で叫ぶ聖姫アナスタシアを見て。

 あっ、これもしかして、和平無理なやつかとフジカは頭を抱えるのだった。

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