タダシの嫁が百十六人だと聞いた聖姫アナスタシアは、素っ頓狂な声を上げた。
原因は、聖王国との風習の違いだ。
「聖王国では、一夫多妻というのは珍しいのですか?」
フジカが探るように聞いてくるのに、聖姫アナスタシアはこう返す。
「いえ、王族や貴族は血を残すことが役割とも言えますので、理解しないことはありませんが、しかし私の父はそうではありませんでした」
「あまり、奥様が多いのは快くは思ってらっしゃらない?」
「そう言われると、正直なところ……いや、それ以前に百十六人というのは、おおよそ事実とは信じがたいのですが、詳しく聞かせていただいてよろしいですか」
いきなり奥さんが百十六人と聞いたら驚くに決まっている。
北の帝国のハーレムだって、そんなにはいないはずだ。
「それについて、正直にお話しますと……」
しかも、その内の百五人までが魔族であり、中には魔族の神を奉ずるサキュバスシスターまでいるとなれば聖姫アナスタシアも心中穏やかではない。
「なるほど」
厳格な聖王国で暮らす聖姫アナスタシアからすれば、口にはしないもののふしだらな魔族の女を侍らせた好色な王と思ってしまう。
実際に、夜の生産王という異名も耳にしていた。
しかも、奥方が百十六人ともなれば一人ひとりをしっかり愛することもできないだろう。
うつむいて考え込んでしまった聖姫アナスタシアに、フジカがしどろもどろになりながらもフォローを入れようとする。
「もともと、タダシ様が望んでいたわけではないのです! 最初の島獣人や海エルフの奥様方は島の風習で結婚されたようです。私達吸血鬼族やサキュバスは、救っていただいたタダシ陛下の慈悲にすがって半ば無理やり迫ったようなものでして、それを結婚という形で受け入れてくれたのはむしろ誠実さの表れで」
それをタダシは、押し止めた。
「いや、フジカいいよ」
「しかし、聖姫アナスタシア様はおそらく誤解されてます!」
「変にごまかす必要はない。俺はちゃんと自分で望んで結婚したんだ。聖王国が敵視している魔族であるフジカ達ともね」
「タダシ様……」
魔族であるフジカを守るように背中にかばわれてそう言われては、フジカも女として嬉しく思わないわけではない。
つい、甘えるようにしなだれかかってしまう。
聖姫アナスタシアは、それを見て少しムッとして言う。
「魔族との関わりの件も、ぜひタダシ陛下にお聞きしたいとは思っておりました。奥様であるフジカさん達は、全員魔族ということでよろしいのですか?」
それにフジカは答える。
「はい。私だけでなくアマミツもエリナも吸血鬼です。ああ、もちろん他の種族の奥方様もたくさんおります」
聖姫アナスタシアは、まじまじとフジカたちを見つめる。
「見た目は、人間とそんなに変わりませんね。吸血鬼は血を吸うと聞きますが」
「魔力が足りない時にほんの少し吸うだけです。吸血鬼にとっては、回復ポーションのようなものです。人族に流布されている風評のような、死ぬほど吸い尽くすような真似はしません」
国王であるタダシだけではなく、すでにタダシ王国では吸血鬼の女官と人族の兵士が結婚している例もあると説明する。
ついやりすぎてしまうサキュバスですら、魔力の源である人間の精力を吸い尽くして殺すようなことは極力避けるものだ。
それは当然のことで、金の卵を産むガチョウを殺すような真似を好んでするはずがない。
むしろ人間の血を必要とする吸血鬼は、人族に依存して生きているのだ。
「心情的には抵抗がありますが、魔族が必ずしも人族の脅威にはならないというお話はわかりました」
「それなら……」
「ですが、あの大きな神殿はなんです!」
王城の窓からは、立派な大理石でできた神殿が見える。
「魔族の神の神殿です」
「そうでしょう。タダシ王国が、魔族の神にここまで寄りすぎているのは看過できませんよ」
「王城には、他の神の祈祷所もありますし、公平に祀ってます」
「そう言われても、ここまで目に見える形に差を付けられては……」
タダシがそれを遮って言う。
「じゃあ、創造神アリアの神殿も作ったらどうか。たしか、神殿の建築に使う大理石はアンブロサム魔王国でも取れてたから輸入できるんだったな」
「はい」
「だったら、主神の神殿も作ったらどうだろう。もっと立派な物を用意して、他の十二神も一緒に祀るような形で」
「それはいいですね、さっそく取り計らいましょう」
「え゛え゛……」
「どうかされましたか聖姫アナスタシア殿下。なにか懸念でも?」
創造神アリアの神殿も作る?
聖姫アナスタシアとしては、それは気が気でない。
この世界で創造神アリアの加護を受けているのは、現役の聖王のみ。
つまり、主神である創造神アリアの神殿は、聖王国の権威を象徴する特別なものなのだ。
それをタダシ王国に作るということは、聖王国に取って代わる野心があると言うようにも聞こえる。
しかし、聖姫アナスタシアは他ならぬ創造神アリアの言葉でここまで来た。
毀誉褒貶の激しい国王タダシの実像は、いまだにわからない。
ならば、ここはそれを見定めるのが自分の役割だろう。
「いえ、タダシ王がそうされるというのであれば、私は見届けさせてもらいましょう」
先入観は捨てよう。
まずは、このタダシという王が何をするのか実際に見せてもらう。
新たな神殿を造成するのであれば、儀式も行われるであろう。
そこで神を降ろすという噂も、確かめることができる。
話がまとまったと、フジカはホッとして言う。
「そうですね。まずは、タダシ陛下の偉大さを見ていただくのが一番でしょう」
「フジカ、俺になにか偉大な部分ってあったか?」
タダシ本人の意識としては、地味に畑を耕したり物を作ったりしているだけなのだ。
それ自体が凄いことなのだが、自分の凄さを何もわかってないなとフジカは苦笑する。
そこに、衛兵がやってきてタダシに報告する。
「タダシ陛下! ドラゴン平原より、
「今日は千客万来だな」
「食糧が足りないという陳情だそうです!」
タダシ王国に一番あるのが食糧だ。
援助するのは難しいことではないが、いまは聖姫アナスタシアという大事な客を迎えている。
「そうだ、魔族の貴族を実際見てもらうのはどうだろう」
タダシはいいことを思いついたと、ポンと手を打つ。
「え、グレイド様と会わせるのですか。いきなりそれは、大丈夫でしょうか?」
いくらなんでも強烈すぎるのではないかと、フジカ達は心配する。
「大丈夫だろう。いずれ、魔族の代表とも話し合ってもらわないといけないからな」
タダシ達が、そんなことを言っているあいだに
まだ入ってきていいとも言ってないのだが、最強の竜族を押し止められる兵士などいるものではない。
「あー、王様ここにいたんだ」
「おじゃましまーす」
元気なズボンの少年……に見える少女が
おどおどとグレイドの後ろから付いてくるスカートの少女……に見える少年が
「二人ともよく来たな。今日はなんと、聖王国から聖姫アナスタシアさんが来てるんだ」
最凶最悪の
「へーそうなんだ」
「こんにちはー」
二人は、あまり聖姫には興味なさそうだ。
肝心の聖姫アナスタシアはというと……完全にビビっていた。
恐れて当然だ。
相手は、最凶最悪の
人間の街や村がたった一匹のドラゴンによって滅ぼされたなんて話は、山程ある。
ある程度、魔力で相手の実力がわかってしまう聖姫アナスタシアは、小さな少年少女に見える二人がどんなに恐ろしい化け物なのかを察知していた。
それをタダシは近所の子供をあやすように会話する。
「それで、食べ物が足りないんだって?」
「そーなんだよ。もうお腹ペコペコでさあー」
友達に話すように言うグレイドに、デシベルがもっと丁寧に言わなきゃだめだよと嗜める。
「あの、王様の命令を聞いてドラゴン平原から出ないでいたら、食べ物が少なくなっちゃったんです!」
「うちから、米や麦を送るのはダメなのかな?」
「やだー、お肉が食べたい!」
「だから、それじゃ説明が足りないよグレイド。王様、ドラゴンは自分で狩りをした動物じゃないと満足できないんです」
つまり、生き餌が必要だということだ。
タダシ王国の牧場でも魔獣を育ててはいるが、他の用途にも使っているし大飯食らいのドラゴンたちの腹を満たす量は用意できない。
「なるほど。じゃあその辺りも、俺が行ってなんとかしてみるか」
多分、農業神の加護を使えばなんとかできるはずだ。
「王様の力でちょちょーっとやっちゃってよ」
「ダメだよグレイド。そんな態度で! お願いに来てるのに、王様すみません」
タダシに偉そうな態度を見せるグレイドを気にして、おどおどしているデシベルはペコペコ頭を下げている。
「いや、デシベルくんも、グレイドちゃんみたいにフランクに話してくれればいいよ。それで、俺はどうやって行けばいいのかな」
「そっか王様は飛べないんだったっけ。俺様が連れて行くよ」
タダシを抱きかかえて、翼を広げて窓から飛び出そうとするグレイド。
タダシはそれを押し留めて言う。
「そうだ、デシベルくん。ついでだから、聖王国から来た聖姫アナスタシアさんも一緒に連れて行ってくれるかな。魔族のことを知りたいらしいんだよ」
いきなりそう言われて、聖姫アナスタシアはびっくりする。
「えっ、私ですか!」
「うん、魔族がどんな暮らしをしてるか、いい機会だから見てもらおうかと思うんだけど」
ドラゴンは、正直恐ろしい。
しかし、タダシのなすべきことを見極めるのが創造神アリアに与えられた聖姫アナスタシアの使命である。
覚悟を決めた聖姫アナスタシアは決然と言う。
「……わかりました。タダシ陛下が何をなすか、とくと見せていただきましょう!」
「決まりだね。じゃあ、行こうか」
「王様、このお姫様も一緒につれていけばいいの?」
「お願いするよ」
タダシがそう言うが早いか、まどろっこしい話に辛抱できなくなったグレイドはタダシを抱えてドピューンと窓から飛んでいってしまう。
二人は見る間に空の点となり、地平線の彼方に消えてしまった。
……えっ、何? 今の?
聖姫アナスタシアだって、飛行魔法くらい見たことはある。
しかし、今のあれは人間の飛ぶ速度ではなかった。
ダラダラと冷や汗をかく聖姫アナスタシア。
なぜタダシは、あれで平気なのだ。本当に同じ人間なのか?
「じゃあ、お姫様も一緒にいくよ」
「ちょっと待ってください、ドラゴンってあんなに速く飛ぶんですか。やはり私には無理で――ぎょぇぇええ!」
同じように窓からドピューンと飛び立ったのだが、空中で聖姫アナスタシアの身体が変なふうに曲がっている。
それに気がついたデシベルは、空中で一旦スピードを緩めて言う。
「あーお姫様、気を付けて。飛ぶ時は黙ってないと舌噛むから。あとなるべく身体の力を抜いて、わかった? それじゃ、行くよ」
「ちょちょちょ、ままま、ギャャャァァアアアア!」
これでもデシベルはお客様を丁重に運んでいるつもりなのだが、
行き先は魔界の中部、ドラゴン平原へ。
平然として運ばれているタダシと、ぎょえーと絶叫する聖姫アナスタシアは、凄まじい距離を一気に飛翔するのだった。