大宰相リシューが暗黒神ヤルダバオトの復活を目論んでいたこと。
そうして、自分のあずかり知らぬところで聖王国の大艦隊が帝国軍とともにタダシ王国を攻撃して大敗北したこと。
全てが終わった後にそれらの事実を知った聖王ヒエロス・アヴェスターは、黄金の玉座から転げ落ちたと伝わる。
戦争と聞けば必ず反対する聖王ヒエロスである。
だから大宰相リシューは、軍の動きが一切耳に入らないように謀っていたのだ。
それほどまでに、聖王ヒエロスは実権から遠ざけられていた。
しかし、専横をほしいままにしていた大宰相リシューもその配下達もことごとく討ち死にした。
聖王国軍の艦隊は壊滅し、戦死していないものもタダシ王国の捕虜となっている。
落胆した聖王ヒエロスであったが、それでも残った廷臣を集めて直ちにタダシ王国への大使節団を送ることを決める。
そして、聖王自らもタダシ王国へ謝罪におもむくことになった。
※※※
タダシ王国の王城で、タダシと対面した聖王ヒエロスは、足を震わせるとその場に膝を屈した。
「タダシ王、この度の失態。謝罪のしようもないが、どうか余の首一つで許していただきたい」
「お父様!」「聖王様!」
それに、聖姫アナスタシアや聖王国の廷臣達が慌てる。
聖王ヒエロスは言う。
「ずっと考えていたのだ。すでに乱を起こした大宰相リシューが亡くなってしまったからには……」
「お父様がそこまですることは……」
「いや、リシューに任せて全て事足れりとしていたのは余の責任だ。もはや、こうすることでしか謝罪の手立てはあるまい」
そう言って、聖王ヒエロスは恰幅の良い身体を縮こまらせる。
「お父様がいなくては、聖王国はどうするのですか!」
「アナスタシア、お前が聖王の位を継げば良い。余は愚かで不甲斐ない王であったが、最後くらいは国の役にも立てよう」
良く言えば柔和、悪く言えば気弱な聖王ヒエロスであったが、それでも聖王としての
立派にそう言って目に涙を浮かべてみせる聖王ヒエロスを、みんなは囲んで叫ぶ。
「お父様!」「聖王様!」
いきなり目の前でこれをやられて、タダシは困ったなあと頭をかいている。
この世界の王族というのは、首を差し出すしか謝罪の方法を知らないのだろうか。
「あの、聖王様。とりあえず、首はいりません。謝罪の気持ちは受け取りましたから、それで十分ですよ」
「なんと! しかし、貴国にこれほどの損害を与えて……」
「まあ聖王様、立ってください。これから聖王国も大変でしょうから、今こそ聖王様のお力が必要な時でしょう」
「そ、そうであろうか」
「ええ、これ以上の謝罪は必要ありません。どうか、これからはうちの国とも仲良く手を取り合っていきましょう」
「多大な迷惑をかけた余にこれほど寛大な言葉をかけてくださるとは、なんと素晴らしい方なのだ!」
大変恐縮する聖王ヒエロスであったが、恐縮するのはタダシの方だ。
聖王国ほどの大国の王が、みんなの前で膝を屈するということは相当な覚悟なのだ。
それはタダシも王として振る舞うようになって、最近ようやくわかったこと。
謝罪は、その気持ちだけで十分だった。
タダシは、手を取って聖王ヒエロスを立ち上がらせる。
そこで、聖姫アナスタシアが言う。
「私はこの場で帝国の皇太子との婚約を正式に破棄して、タダシ様との婚約を宣言したいと思います。それを、お父様にもお許しいただきたいのです」
「なんと! なるほどタダシ陛下との結婚の約束か。いや、しかし……それでは、帝国と戦争になってしまわないか?」
タダシ王国への謝罪の意味ではそれもいいだろう。
しかし、帝国との関係が悪化してしまう。
「お父様聞いてください。帝国は、何もしなくても攻めてきます!」
「なんと!」
せっかく立ち上がらせてもらったのに、聖王ヒエロスは腰を抜かしてまた転けそうになった。
「タダシ様は、帝国軍の権威の象徴たる超弩級戦艦を一隻撃沈してしまったのです。あのプライドの高い皇帝一族が、このままにしておくわけがありません」
「な、なるほど……」
しかも、帝国の最強の艦隊はまだほとんど無傷なのだ。
相手は世界最強の大国である。
陸軍戦力を考えても、相当なものがある。
「あるいはタダシ王国ではなく、艦隊や騎士団の多くを喪失し弱りきった聖王国への懲罰戦争を仕掛けてくる可能性もあります」
むしろ、そちらの可能性のほうがあるかもしれない。
帝国としては、メンツが保てればそれでいいのだから聖王国を攻め落として溜飲を下げる手もある。
「そんな。戦争はいかん、戦争だけは避けなければ。一体どうすれば……」
「そこで、私がタダシ様と婚約して聖王国とタダシ王国を一つとなることを内外に示すのです!」
「そ、そうか。そういうことか!」
聖王国とタダシ王国が一つとなり、そこにアンブロサム魔王国とフロントライン公国や、自由都市同盟の諸都市もかなりの部分が加わる。
アヴェスター大陸の南半分がまとまる大同盟が形成されるのだ。
そこまでいけば北の帝国とも国力は互角……いや、それ以上の国力を保持できる。
これが、タダシ達と聖姫アナスタシアが話し合って決めた今後の方策だった。
タダシとしても、それが両国を救う最も良い手立てだと勧められて、またイセリナと瓜二つの聖姫アナスタシアは他人とは思えなかったので了承することとなった。
今更妻が一人増えたところで、どうということもないということもあるが、何かあるたびに嫁さんが増えてるなとタダシは苦笑している。
聖姫アナスタシアはタダシの手と聖王ヒエロスの手を掴んで、喜び勇んで言う。
「両国の力が一つとなれば、北の帝国もおいそれと手出しできなくなるでしょう」
「ふむ、それでこそ戦争を回避できるわけか。わかった! タダシ陛下が相手であれば余も安心できる。お前の婚約を認めよう!」
「ありがとうございます。お父様」
「それはそれとして、余もケジメはつけねばならんの。結婚と同時に、聖王の位をアナスタシアに譲ろう」
そう聞いて、揉み手して近づいてくるのは教会貴族達だ。
「聖姫アナスタシア様。いや、聖王女様とお呼びしたほうが良いか、この度はご結婚おめでとうございます!」
「クククッ……どうぞこれよりは、我々教会貴族をお頼りくださいませ」
大宰相リシューの派閥は根こそぎいなくなったが、教会貴族はまだ多数存在する。
今回の聖王の代替わりは、彼らにとって権力を握る格好の機会であった。
しかし、聖姫アナスタシアはきっぱりとそれを断る。
「いいえ、これよりは貴方達を頼りません。ルナ、いらっしゃい」
「ハッ!」
教会の聖騎士として正装したルナ達、月狼族がやってくる。
族長であるルナを始めとして、月狼族の多くは生きていたのだ。
完全に死んでしまった者は蘇生させられなかったが、生贄になった時にかろうじてでも息があった聖王国の難民や兵士達は、全てタダシによって魂を清められ身体を治癒された。
それはまさに、神の奇跡。
ルナの灰色の長い髪は、想像を絶する苦悩のために真っ白になってしまっていたが、それが白騎士と呼ばれる聖騎士の鎧とマントによく似合っている。
灰色に濁った瞳も、生まれ変わったように輝いている。
「私は、聖王国の改革の始まりとして、月狼族を側仕えとして召し抱えます」
ルナ達は、聖姫アナスタシアの周りにかしずいて宣誓する。
「我々月狼族の生き残りは、身命を投げ打って大恩ある聖姫アナスタシア様にお仕えいたします」
ルナは、暗黒神ヤルダバオトの★を与えられて加護が強化されている。
タダシ達の幕僚にも黒の星を持つ者は幾人もいるが、敵がこちらの神々の加護を利用できるように本人が改心すれば暗黒神の加護の力も利用できるのだ。
ルナは、一度は聖姫アナスタシアを裏切った身だからと宮仕えを固辞した。
しかし、改心しているならその力を正しいことのために使えとタダシに諭されて引き受けることになった。
奇しくも、こうして月狼族は栄達を果たしたのだった。
これを見て、黙っていられないのが教会貴族達である。
「ななな、なんと仰せられます! 獣人を御前に
「信じられぬ! そのような者を聖騎士とされては、神聖なる教会が
騒然とする場の空気を振り払うように、聖姫アナスタシアがピシャリと言う。
「獣人を妻とするタダシ様の前で、それを汚れであると言うのですか。今の発言は、王族に対する侮辱に当たりますよ!」
そう言われて、教会貴族達は真っ青になった。
王族に対する侮辱は、極刑である。
「お、お許しを……」
聖姫アナスタシアが横にちらりと碧い瞳を向けると、タダシが「許してやったら」と笑う。
微笑んでうなずき、聖姫アナスタシアは言う。
「寛大なるタダシ様に感謝なさい。しかし、許すのは一度だけです。貴方達も、二度と同じ過ちを繰り返さないことです!」
「もちろんでございます、二度と致しません」
「これよりは、タダシ王国のやり方に我が国も合わせて行きます。種族の違いを越えて能力のある者を登用し、魔族とも融和をはかっていきます。そのために力を貸してくれるなら、そなたらの手も借りましょう」
「ハッ、ハハッ!」
聖王国のこれまでのやり方が一新されるのだ。
身を引き締めた教会貴族の廷臣達は、強張った顔で一斉に平伏する。
娘の立派な姿に、聖王ヒエロスも目を輝かせた。
「アナスタシアよくぞ言った。思えば再三お前からの要望があったのに、聖王国の不正を見て見ぬ振りをしてきたのは余の失態。目から鱗が落ちる思いだ。この上は、一度死んだつもりで政務に励もうぞ!」
「お父様!」
タダシの前で、新たな聖王国を築き上げようと固く誓い合う父娘。
「タダシ陛下。余は、これより貴方を見習い聖王国の改革に尽力する。最も古き聖王国が徳治を取り戻すことで、新たな時代の光を見せよう。それをもって、余の心からの謝罪とさせて欲しい!」
「私もお父様ととタダシ様とともに、生まれ変わった気持ちで、新しい国を作る聖王女となります!」
タダシは、そんな二人の手を取って言った。
「聖王様、聖姫様。お二人とも、ご立派な覚悟だと思います。俺達と一緒に、頑張っていきましょう」
聖王国ほどの歴史ある大国を変えるのは生半可な覚悟ではできない。
だが、この分ならば人族主義を捨てタダシ王国と一つになった聖王国が、再び世界最高の国として輝く日も遠くはないと思えた。
雨降って地固まる。
様々な困難を乗り越えて、アヴェスター世界は新たなる転換期を迎えていた。