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第108話「大宰相リシューの最期」

 海より迫りくる屍兵に街を囲まれて、皆が騒然とする中。

 首元の『封魔のペンダント』に締め付けられながら、苦しげに息を吐いて地面に手をついていた聖姫アナスタシアは、見てしまった。


「ルナ……」


 月狼族の族長ルナだけではない。

 おびただしい異形の群れの中に、ルナが命をかけて守ろうとした月狼族の仲間テッポ、トゥーレ、アルト達の姿も見える。


 難民キャンプで、貧しいながらも和気あいあいと暮らしていた彼らが……。

 訪ねていった聖姫アナスタシアに感激して、自分達の食べ物を分けようとしてくれた優しい彼らが……。


 皆一様に苦悶の表情を浮かべ、黒く焦げたように醜く変色し、身体の四肢を捻じ曲げられた異形の化け物に変えられている。

 それら異形の集団が、まるで操り人形のようにゆらりゆらりとこちらに向かっている。


 聖姫アナスタシアがずっと心配していた。聖王国の難民キャンプから消えた者達の末路はこれだったのだ。


「大丈夫ですか、聖姫様」


 タダシの声。

 キンッと乾いた音を立てて、『封魔のペンダント』を鍬で切り落としたタダシに、聖姫アナスタシアは言う。


「タダシ様、あそこにルナが……」

「ああ、聖姫様を殺そうとした月狼族ですか」


 あの時、タダシが見た顔も確かに混じっている。

 一度は敵対した暗殺者とはいえ、ああして大宰相リシューの傀儡くぐつとされている姿を見れば哀れだった。


「なんとか、ルナ達を助けてはくださいませんか!」

「月狼族をですか? でも、彼女らは……」


 聖姫アナスタシアを裏切って、殺そうとしたのではないか。

 そう言おうとして、タダシは息を呑んだ。


「だって、あんなのは……あんなのはあんまりです!」


 聖姫アナスタシアが、泣いている。

 怖くてではない。


 異形と化した彼女らを哀れんで泣いているのだ。

 タダシは、その碧い瞳に浮かぶ涙を美しいと思った。


 聖姫アナスタシアを裏切って殺そうとした月狼族も、タダシ王国に攻め込んできた聖王国の兵士だって、罪がないわけではない。

 だがそれでも、死してなお異形に姿を変えられてその身を苛まれ、心を汚されるほど悪いことはしていない。


 こんなことを許してはならないのだ。


「わかりました。なんとかやってみましょう。イセリナ、みんなも来てくれ!」


 タダシは、みんなを自分の周りに呼び寄せる。

 イセリナは聞く。


「タダシ様、これをどうされるんですか」

「俺は、全ての瘴気を鍬で耕す。それで、彼ら彼女らを救えるかやってみよう」


 タダシの神力なら、三万の屍兵といえどなぎ倒すことは可能だろう。

 しかし、タダシは倒すのではなく救うと言った。


「そんなことができるのですか!」

「わからない。けど、泣いている聖姫様に頼まれたらやるしかないだろう。できると信じてやるしかない。この暗黒の瘴気を押し返せるかは、神々の加護しだいだ」


 創造神アリア様の加護に輝くイセリナは静かに頷いて、タダシにギュッと抱きつく。


「タダシ様。今、アリア様の声が聞こえました。その祈りに応えて、力を貸してくれるそうです。さあアナスタシア様も、皆で祈りましょう!」

「はい!」


 聖姫アナスタシアも、イセリナと同じようにタダシに抱きついて懸命に祈りを捧げる。

 どうか、ルナ達を助けてくれと。


 皆の祈りに応えるように、天からタダシに向かって七色の光が放たれた。

 一方、圧倒的な数の屍兵を呼び寄せた大宰相リシューは、これでまだ戦えると得意満面であった。


「おおそうだ。ルナはおるか! 面識があるお前なら、敵は怯むだろう! 月狼族を率いて彼奴きゃつらを殺せ! 全員殺し尽くせ!」

「グギギギ……」


 右腕を失った満身創痍の姿のまま瞳を真っ黒に染めて、大宰相リシューに操られているルナの頭は憎しみと怒りでいっぱいになっていた。

 誰に対して?


 わからぬ。

 ただ、全身が焼けただれる苦しみの中で、ルナは大宰相リシューの声だけを聞いて絶叫していた。


 殺せ! 殺し尽くせ!

 燃えるような憎しみと怒りを殺意に変えて、長く伸びたその禍々しき悪魔の爪で敵を切り裂くのだ!


「ルナ!」

「アナスタシア様、危険です!」


 イセリナが止める間もなく、聖姫アナスタシアが傷ついたルナのもとへ駆けていく。


「ルナ、もう止めて! もう戦わなくていいのよ!」

「ギギギギ……」


 禍々しき化け物となったルナを、聖姫アナスタシアは我が身を省みず必死にその胸に抱く。

 背中を鋭い爪に切り裂かれても、強く抱きしめ続ける。


 それは、純真な愛だった。

 暗黒神ヤルダバオトの闇をも打ち破る、温かい愛。


 聖姫アナスタシアだけではない。

 その場にいる全ての人が、癒やしと救いを祈っている。


 タダシはそんな人の温かさを感じながら、その思いを力に変えてゆっくりと魔鋼鉄の鍬を横に振るった。


「神様、どうかみんなに慈悲と救いを、返魂霊光ターンスピリッツ・ライトヒール


 生者に癒やしを。死者に安寧を。

 タダシ達を加護する神々の声が天からこだました。


 タダシの鍬から発した七色の光が暗黒の瘴気を浄化して、三万の屍兵達を次々と無力化していく。

 大宰相リシューの邪術は打ち破れたのだ。


「バカな、こんなことが……」


 そうつぶやく大宰相リシューの身には、加護の逆転現象が起こっていた。

 生贄に捧げた難民キャンプの獣人達や、兵士達を覆っていた闇の瘴気が押し戻されて、大宰相リシューの身に寄り集まっていく。


 まだだ、まだ戦えるとリシューは思う。

 この憎しみと怒り、闇の力があれば……。


「リシュー、残念ながら貴方だけは救えない」

「思い上がるなよ小僧が、この私を誰と心得る、聖王国の大宰相リシュー! そして、暗黒神ヤルダバオト様の代行者なのだ!」


 タダシは、悲しそうに頭を振るう。


「腕が、私の腕がぁああ!」


 ありえないことが起こっていた。

 大宰相リシューの腕が、先端から黒く焼け焦げていく。


 これではまるで、自分が犠牲に捧げていたクズどものようではないか。


「これから貴方は、やったことの報いを受けることになる」

「バカな、この私を誰だと、ひぃ! 手が、私の手が! 暗黒神ヤルダバオト様お助けを!」


 大宰相リシューの四肢が、ゆっくりとねじ曲がっていく。

 これから起きることを、大宰相リシューはよく知っていた。


 ボキッ、ボキッと嫌な音を立てながら全身の骨、関節が砕かれていく。


「やめてくれ! 痛い! 痛い! ぎゃあああああああああ!」


 もう、そこにはしわがれた声の哀れな老人がいるだけだった。

 これから、リシューは全ての報いを受けることとなる。


 己が犠牲に捧げた人の数だけその苦しみと痛みを味わい続けることになる。

 暗黒神の代行者として肉体を強化したせいだろう。


 大宰相リシューは、その身を地獄の炎に焼かれて、何百、何千と四肢を捻られながらも死ねなかった。

 想像を絶する激痛を味わいながら、これまでの人生を走馬灯のように回顧する。


 私は、どこで間違えた……。

 大宰相リシューは、類まれなる才能と血筋を持って生まれ、愚かな聖王や無能な貴族どもを押さえつけて聖王国を一つにまとめあげてきた。


 愚か者どもは何もわかっちゃいない。

 人族の始祖たる聖王国は、タダシ王国などに膝を屈してはならない。


 世界最高の国として常に最上位にあらねばならぬ。

 そのために、自分を聖王にしてくれと創造神アリアに何度も願った。


 卓越した能力を持つ自分こそが、創造神の代行者として地上に君臨しなければならないのだと。

 創造神アリアが役に立たぬならと、大宰相リシューは暗黒神ヤルダバオトの囁きに耳を傾けた。


 暗黒神の代行者として選ばれるのに、邪魔な難民どもを生贄に捧げるだけでいいと知った時は、歓喜した。

 幾重にも策を張り巡らし、国を蝕む賊や宿敵である魔族であろうと利用し、帝国をそそのかし戦争を起こした。


 己の野心がないとは言わぬ。

 だがそれも全ては、聖王国を守るためではないか。 


「みんな、もう見ちゃいけない」


 あまりにも惨たらしい姿にタダシはそう言った。

 しかし、ぐったりとしたルナを抱く聖姫アナスタシアだけは、どうしても黒焦げた肉の塊と化していくリシューから目が離せなかった。


 聖王を継ぐ者として、その末路を最期まで見るべきだと思ったのだ。

 もはや、声を上げる事もできない大宰相リシューだが、それでも長い付き合いのある聖姫アナスタシアには、口元の動きだけで何を言っているかはわかった。


「私がいなければ……聖王国は滅びるぞ」


 聖姫アナスタシアは、それに高らかに澄んだ声で応えた。


「大宰相リシュー! 貴方がいなくても、聖王国はこの私が立派に治めてみせます!」


 だからもう、貴方もお眠りなさい。

 最期にその言葉が届いたのか、大宰相リシューの頭がついに力尽きたように捩じ切れて、ごろりと地面に転がった。

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