先の暗黒神ヤルダバオトとの戦いで村や畑が破壊されて、だいぶ地形が変わってしまったタダシ王国。
しかし、その被害にもめげず新しく復興されたシンクーの港街に、帝国の船団が入港していく。
王であっても身体を動かすことが好きなタダシは、率先して荷降ろしを手伝おうとする。
そんなタダシに、ドワーフの名工オベロンが言う。
「王様。荷降ろしはワシらがやるから、もうここでええぞ」
「え、でも、俺も何か手伝いを……」
そう言うタダシに、オベロンは港の方を指差す。
そこでは、タダシの妻マールとその娘プティが抱き合っていた。
オベロンは、久々に再会した義理の娘にサービスしてやれと言うのだろう。
タダシは、頭をかくと好意に甘えることにした。
母親のマールに甘えていたプティだが、タダシの姿を見るとこっちにも飛びついてきた。
「お父さん!」
「ああ、元気にしてたかプティ」
「うん!」
「いろいろ忙しくてごめん。寂しい思いをさせたな」
「ううん! 大丈夫! お姉ちゃんだもん!」
「そっか……」
そう言いながらも、強くタダシに抱きついて離れないプティは、寂しかったのだろうなと思う。
母親のマールは残していければよかったのだが、料理長をやってくれているので居てくれないと不便なのだ。
「あのタダシ様、ちょっとよろしいですか」
「ん、どうした?」
タダシの妻で、今はタダシ王国の農林水産大臣を担当しているローラとベリーに相談される。
「実は今、うちの国はすごい布不足なんです……」
原因は、戦乱が終わった各国を復興するために物資を大量に輸出しているためであった。
最優先に育てていた食糧はなんとか需要をまかなえているのだが、木材は不足気味で布に至っては古着を回してなんとかしている始末。
そこに、戦乱で荒れ果てた魔界などからひっきりなしに移民が流れてくるために、物資の増産は急務であった。
しかし、先の戦いの地殻変動で、海岸線で育てていた海エルフ達の伝統的な繊維産業である海綿やゴムの木は壊滅的な打撃を受けていた。
「私達も必死にやったんですが、タダシ様のようにはいかなくて」
特にベリーは、先の戦いでの加護の大盤振る舞いのおかげで農業の神クロノスの加護
ベリーなりにタダシのやり方を見習って、必死に海木綿と海ゴムの木を海岸線で増やしたものの、圧倒的な需要にはまったく追いついては居ない。
「わかった。原料さえなんとかなれば大丈夫か?」
タダシの言葉に、布作りが得意なローラがうなずく。
「はい、お針子はたくさんいるので」
この世界の貧しい人間は、みんな自給自足だ。
移民達の中には、布や服をこしらえることのできる人間はたくさんいる。
「よし」
農業とあれば、タダシの
久々に派手にやれるなと、海岸沿いの空き地に立って魔鋼鉄の
「え、もうできてる! いつのまに?」
ベリーは驚く。
タダシがズババババッ! と音を立てて土を耕していくだけで、そこには青々とした植物が群生している。
「耕す前にもう畑ができてなかった!?」
耕すのが早いか畑ができるのが早いか、その神業にローラは目を疑う。
もはや、その高速農業は神業の極みに達して、瞬時にしてそこに完成された畑が出現するのだ。
身体中が農業神の加護そのものであるタダシの農業は、更にパワーアップしていたのだ。
そのパワーを耕作に使えばこうなるのは当然。
タダシは畑を作りながら高速で移動しているらしく、地平線の向こうへすぐに見えなくなってしまった。
あとは見渡す限りの畑が残るのみ。
「これは、
布に詳しいローラが、淡い青い花を咲かせている畑の植物をそのように見分ける。
そこで、ぐるっと辺り一面を亜麻畑にしたタダシは、ベリー達のところにひょこっと戻ってくる。
「そのとおりだ。帝国から種をもらってきたんだよ」
「タダシ様、あの木はなんですか?」
一面の広がった亜麻畑の隣に、木苺のような赤黒い実のついた青々とした木が生えているのも見つかる。
「あれは、桑の木なんだが、見たことないか?」
「この辺りでは見かけない木です。あの実は、食べられるんですか?」
ベリーは、新しい植物に興味津々のようだ。
「もちろんだ。食べてもいいぞ」
「甘酸っぱい味ですね」
桑の実は、食べられもするのだ。
マルベリーなどと呼ばれ、アメリカではジャムとして食べられたり、果実酒にされたりもする。
しかし、タダシはただマルベリーを食べるために植えたわけではない。
「その桑の葉が、こいつの餌になるんだよ」
「うわ、芋虫」
タダシが取り出した箱に入っている白い幼虫を見て、ローラは後退りした。
どうやら、虫が苦手のようだ。
ベリーは平気らしく、白い芋虫をつまみ上げて「これも食べられるんですか?」などと言っている。
「いやいや、食べてもらったら困るよ。その虫はカイコと言って、絹になる
布不足になるのは、タダシも予想していたことだった。
だから、帝国で産業化に成功していた亜麻と絹を作る桑の木の種とカイコの卵をたくさんもらってきたのだ。
「なるほど。私達が布不足で困ることなど、タダシ様にはお見通しだったんですね」
「それにしても、裁縫が得意なローラがカイコを知らないとは意外だったな」
虫が嫌いなローラは、タダシがカイコに桑の葉を食べさせているのを恐ろしげに見ている。
「亜麻糸はかろうじて島でも手に入りましたが、
作るのにも手間のかかる絹は、やはり高級品である。
カンバル島においては、元女王のイセリナの衣服すら作っていたローラであっても、絹を目にすることはなかった。
それを聞いて、タダシはこれからは絹も使い放題だと笑う。
絹となる生糸を独占していたために、帝国は絹糸の生産でも利益を得ていたようだが、これからはタダシ王国は繊維産業でも一稼ぎできそうだ。
タダシがカイコを可愛がっているのを見て、それが綺麗な絹を生み出してくれるならば、嫌いな虫にも慣れようとローラは冷や汗をかきながら桑の葉をむしってカイコにやる。
「ローラ、あんまり無理しなくていいぞ。手間のかかる生糸より、まずは亜麻糸の増産だ」
「はい、心得ております。お針子を集めて、さっそく増産にかかりますので」
「タダシ様、私は畑仕事を手伝います!」
「おお、頼むよベリー」
後は、ただタダシがどんどん亜麻の畑を作っていけばいいだけのことだ。
むしろタダシから見れば、地球にもある繊維のできる植物より、海エルフ達が育てていた海水で育つ海綿や海ゴムの木の方がチートに思える。
どちらにしろ、これで衣服を作るのに必要な素材は揃った。
食糧だけでなく、タダシ王国が創り出した衣服が大陸の市場を席巻する日はそう遠くなさそうである。
海岸線にある海エルフ達の村で一仕事終えたタダシは、悠々とこちらも再建が著しいタダシ王国の首都である王城に戻る。
王城だけではなく、なんだか王都自体が慌ただしい喧騒に包まれている。
久しぶりに王であるタダシが帰ってきたから歓迎の祭りであろうか。
それにしては、なんだか浮足立つようなこの感じは?
「ああ、タダシ様! いいところにいらっしゃって」
ぼんやりと玄関を通ると、いち早く城に帰っていたイセリナがお湯を沸かしたたらいを持って走り込んできた。
「どうした、何かみんな慌ただしそうだが」
「どうしたもこうしたも、吸血鬼の女官達の出産ラッシュが始まったんですよ」
「そ、そうだった!」
途端に真っ青になるタダシ。
女官達の子供が、もう産まれてもおかしくない時期なのだ。
みんな似たような時期に懐妊したため、百名を超える吸血鬼の女官達の出産時期もかぶってしまったのか。
そのためにも、清潔な分娩室をたくさん作って産婆さんは集めてあるのだが、それでもお産は命懸けだから心配である。
ただ、お産の時に男のタダシがいても結局何の役に立たない事も知っている。
だから誰も知らせてくれなかったのだろう。
生産や農業ならともかく、お産となると無事に産まれてくるように神々に祈ることくらいしかタダシにはできない。
「王都に帰ってすぐにお疲れでしょうが、タダシ様にもがんばってもらわないと」
「えっ、俺になにかできることがあるのか?」
お産の手伝いなら雑用でもなんでもやるがというタダシを、イセリナは机の並ぶ事務室へと連れて行く。
「えっ? なんでこんなところに、今は事務なんかやってる場合じゃ!」
椅子に座らされたタダシのところに、猫耳賢者のシンクーがたくさんの冊子を持ってドサドサっと机に並べる。
「これはみんなの名簿と、魔族の人名辞典ニャ」
「それがどうしたんだ」
イセリナとシンクーは、ニヤッと笑って顔を見合わせる。
「タダシ様。みんなが、タダシ様に名前をつけてほしいっていうんですよ」
「ええ、それって百四人全員にってことか」
シンクーも笑っていう。
「そうニャー。うちらの時にもタダシ陛下がつけたのニャから、みんなにも付けないと不公平ニャ」
「そ、そうか……」
だんだんとタダシにも、事の深刻さがわかってきた。
その子の一生を決める名付けである。
しかも、一人や二人ではなく百四人分。
いや、まだ男の子が産まれるのか女の子が産まれるのかもわからないから、両方の可能性を考えておかねばならない。
「せっかく産まれてきたのに、名前がまだないなんてことにはできないでしょう」
「そ、そうだな」
「これも身から出た錆だと思ってがんばるニャー」
「錆というのは、子供に悪いけど。シンクーが言ってくれないと気が付かなかったから助かるよ」
特に、こういうことに手が抜けない真面目なタダシならばなおのこと。
期限までに間に合わせるために全力を尽くさねばならない。
「えっと、アン、アンヤ、アンナマーヤ、アンナマリー、アンリエッタ……」
シンクーのサポートを受けて魔族の人名辞典をひもときながら、一人ひとりのことを思い出して懸命に名前を付けるタダシ。
真剣に悩みすぎて、息が詰まりそうになってくる。
「あ、でも、ちょっと様子を見に行ってもいいかな」
「あっちはイセリナさん達が見てくれてるから安心ニャー。息抜きはまだ早いニャー」
「いや、息抜きとかじゃなくてそっちも心配だからね」
「じゃあ考えながらいくニャよ。決まったらメモして上げるからニャー」
「これは、厳しいな。できれば顔をみながら決めたいけど」
夜の生産王の力も、子供を名付ける時には使えない。
こうして、分娩室にお産の様子を見に行ったり事務室にこもったりして、ウロウロとしているタダシがうんうんと頭を悩ませている間に。
神々の加護があったのか、百四人の子供達は次々と元気に産まれてくることとなるのだった。