コテージの前では、海水浴場ならぬ聖水浴場がしつらえてあった。
ケインも、水着に着替えて少し泳いでみることにしてみた。
「ふあー、気持ちいいね」
海には行ったことなくても、ケインも川で水浴びぐらいはしたことがある。
ちょうど汗をかいていたので、聖水で身体を清められるのはとても心地が良い。
「ケイン様。こっちで少し休憩されませんか」
娘のノワと、浅いところで水遊びしていたケインに、ローリエが声をかける。
シルヴィアとローリエの姉妹は、二人で軽い食事の準備をしていたようだ。
「ケイン、喉が渇いたでしょう」
シルヴィアに勧められて、ジュースを口にするとケインは感動した。
「なんだこれ、こんな美味しいもの飲んだことないですよ」
それはまさに、甘露そのものだった。
これまで飲んだ、どんな飲み物とも違う鮮烈な味わいだった。
「ケイン様、それは精霊樹の実を絞ったジュースなんですよ。お酒を作ったりもしてるんですが、あとで飲みますか」
「それはぜひ」
ジュースでこれほど美味しいのだから、お酒ならどれほどのものになるのだろうか。
お土産に持って帰って、街の人にも分けてあげたいぐらいだ。
精霊樹の実は、信じられないぐらい甘くて美味しかった。
ほっぺたが蕩けそうだ。
二人で、競争して泳いでいたテトラとアナ姫も、食べ物と聞いて慌ててやってきてジュースに感動する。
「なんだこれは、すごく美味しいぞ!」
「ほんとに、信じられないぐらい美味しいわ!」
あらゆる山海珍味を味わってきた公爵令嬢のアナ姫をして、美味いと
しかし、いつも騒がしい二人よりも、大騒ぎしたのはマヤだった。
「こ、これ本当に全部、精霊樹の実なんか!?」
シルヴィアとローリエが、山盛り採ってきたツヤツヤと輝く精霊樹の実を見て、マヤは声を上げる。
「さっきから、そう言ってますけど……」
なんかいちいち騒がれて根掘り葉掘り聞かれるので、ローリエはちょっとマヤが苦手になってきている。
「不老長寿の秘薬やないか。こんな貴重なもんが、こんなにたくさんなんて……」
「貴重って、精霊樹の実がですか? そのあたりにいくらでも生えてるものですよ」
『常春の聖地』に生えている植物は、ほとんどが精霊樹なのだ。
実なんて腐るほどある。
「なんてことや! あるところには、こんなにあるもんやったのか。もしかして、これももらって帰ってええのか!」
「え、ええ……こんなものでよければ、好きなだけ持って帰ってください」
精霊樹の実は、ハイエルフが主食としている果物である。
それを見て、大騒ぎしているマヤがローリエには理解できない。
「やった! これでしばらく活動資金は安泰や!」
狂喜乱舞するマヤ。
いつもの調子と全然違うので、さすがにアナ姫が突っ込む。
「マヤ、ここに来てからあんた少しおかしいわよ。一体どうしたってのよ」
「どうしたもこうしたもあらへん。この実一つで、百万ゴールドはくだらへん代物やぞ!」
精霊樹の実は、常に有り余っているのでエルフたちに
公式相場は百万ゴールドだが、オークションではもっと高値がつくだろう。
マヤは、完全に守銭奴の目になっている。
商業都市のサカイ出身なので、わりと金に汚いところがあるのだ。
「マヤさん少し落ち着いて」
ケインもさすがに止める。
「せ、せやな……ケインさんの言うとおりや。すぐに全部売ったら、値崩れしてしまうわ。複数の市場で少しずつ分散して売らんと」
「マヤは、百万ゴールドぐらいで何を騒いでるのよ」
「公爵令嬢のアナ姫にはピンとこんかもしれんけど、『高所に咲く薔薇乙女団』かて活動資金がいるんやで」
王族のいる最強のSランクパーティーなので、意地汚く報酬をむさぼるなんて真似はできない。
しかし、アナ姫たちの装備や生活には金がかかるし、活動資金はいくらあっても足りない。
アナ姫と聖女セフィリアはお嬢様育ちだから、常に一人で金銭管理に頭を悩ませているマヤの苦労がわからないのだ。
「お金が足りないなら、お父様からいくらでも送ってもらえばいいじゃない」
それも、生まれつきの大金持ちの意見だと、マヤはため息をつく。
「はぁ……アナ姫はそれやからなあ。ええか、誰が相手でも安易に借りを作ったらあかんのや。大きな借りを作ったら、相手に逆らえへんようになる。いざってときに困ることになるで」
「そうかしら?」
「ええかアナ姫、経済的自由ってもんはな……」
「借りと貸しって、一緒じゃない?」
「へ、どういうことや?」
アナ姫が不思議なことを言い出すので、マヤは目を丸くする。
「だから、こっちが返さないと相手が破産するぐらい借りてしまえば、逆に相手が絶対に逆らえなくなるじゃない。そう思って、私はいっつも全力で借り倒してるんだけど」
その言葉にマヤは、絶句する。
アナ姫が言っているのは、理外の理だ。
相手を破産に追い込むぐらい借り倒すなど通常できることではないが、王族としての権力を持ち、世界最強の戦闘力を持つ、剣姫アナストレアならば容易にやってしまえる。
「アナ姫は、どこでそんな悪魔の帝王学を学んだんや」
あのアナ姫にクソ甘い両親が、そんな恐ろしい教育をするはずもないのだが……。
「え、常識じゃないの?」
「少なくとも、そんな常識は聞いたことがあらへん」
自分で考えついたのか。
普段は考えなしのアホにしか見えないが、そういえばこの娘は掛け値なしの天才だったなと、マヤは思う。
剣姫アナストレアは、これからの育ち方によっては、天下を治める覇王にすらなりうる存在なのだ。
薄い水着を着ているせいかもしれないが、マヤは少し背筋が寒くなった。
のんきなローリエは、そんなアナ姫たちの会話を興味なさげに聞き流して、食事のことでボヤいている。
「みんな美味しいっていうけど、ここって、精霊樹の実しかないから飽きるんですよね。ジュースにしたりお酒にしたり、
精霊樹の
ケインもなにか作ろうかと思い立って、ローリエに調理道具を借りることにした。
「甘いものだけだと寂しいから、俺もなにか作ってみるよ」
「何をされるんですか?」
ケインは、さっき多めに摘んでおいた精霊樹の葉っぱを包丁で刻んでいく。
硬くなったパンをサイコロ状に切って、バターでカリカリになるまで炒めてクルトンを作る。
次にオリーブオイルにお酢とエルフの粉を少量加えて味を整え、ドレッシングを作る。
あとは刻んだ葉っぱとクルトンに、ドレッシングをかければ簡単なサラダができあがる。
「こんなもんで、どうかな」
「これは、シャキシャキした歯ごたえがあって美味しいですね。酸味と辛味とほのかな甘味が絶妙ですよ!」
「それはよかった」
「今のどうやって作ったんですか。私にも教えてくださいよー」
「ほんとに簡単だよ」
ケインは料理人ではないので、手の込んだことなどしていない。
精霊樹の葉はとても食感がいいので、ひと手間かけるだけでちゃんとした料理になる。
「ただの葉っぱも味付けするとこんなに美味しかったんですね。ケイン様は、料理もお上手です。これは優良物件ですよー」
ローリエは、そんなこと言って上機嫌だった。
材料はできあいのものだし、サラダぐらい誰でも思いつくだろうとケインは不思議に思う。
「こんなに美味しいのに、ハイエルフは精霊樹の葉をあんまり食べないの?」
ケインの作ってくれたサラダを上品に食べる手を止めて、シルヴィアが説明する。
「精霊樹は実を食べていれば栄養が満たされるから、葉っぱを食べようなんて誰も思わなかったのよ」
「そういうものですか」
美味しいのになあと、ケインは精霊樹の葉のサラダをむしゃむしゃ食べる。
普段から野草を食べ慣れているケインは、葉っぱのほうが気に入った。
「ケインさん。精霊樹は、葉っぱのほうも高値で売れるで。精霊樹の実と同じく、高級食材を通り越して不老長寿の妙薬扱いにされとるんや」
マヤの説明に、ローリエが言う。
「ハイエルフの寿命は生まれつきのものなので、人族が私たちと一緒のものを食べても、寿命が伸びるなんてことはないんですけどねー」
「そうなんか。やっぱり精霊樹の実や葉で、寿命が伸びるってのは迷信なんかなあ」
精霊樹の実と一緒に、葉っぱもたくさん持って帰って大儲けしようとたくらんでいるマヤとしては、高値で売れたらそれでいいわけだが。
「うーん、馬に飼い葉として与えると長生きするって言うから、十年ぐらいは伸びるかもしれませんけど」
「それ、十分過ぎる効果やないか!」
どうも永久のときを生きるハイエルフと人間では、意識のズレが大きいようだった。