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第172話「幸せな目覚め」

 まだ駆け出しの冒険者である若き日のケインは、クコ山でゴブリンの群れと戦っていた。

 隣には幼馴染のアルテナがいる。


 重い剣を必死に振るうが、身体が重くて思うように動けない。

 もどかしい思い。だが、ケインは程なくして気がつく。


 またこの夢か、と思う。

 ケインが繰り返し見続けている悪夢だ。


 敵の数は多い。

 息を切らしてゴブリンと戦うケインは、死角から襲いかかる敵に気が付かなかった。


 未熟さゆえの、一瞬の油断。

 あの長い槍を持ったゴブリンに、ケインをかばったアルテナが殺される。


 そして、残りの人生を後悔し続けるのだ。

 何度も何度も、永遠に。


「アルテナ!」


 目を開けると、ケインはアルテナを強く抱きしめていた。


「急に、どうしたのよケイン」

「あ、ああ。すまない」


 ケインは、慌ててアルテナを抱きしめる手を緩める。

 ダブルベッドが軋む。


「ごめんなさい、もしかして起こしちゃった?」


 そう言って微笑むアルテナは、先に起きてケインの寝顔を見つめていたのだ。


「そんなことはないよ。むしろ起こしてくれて助かったかな」

「ふふ、おかしな人。まだゆっくり寝てていいのよ」


 カーテンの隙間から挿し込む朝の陽射し。

 アルテナは、あの日のままだった。


 野花のようにほのかに甘い、アルテナの髪の匂い。

 女神になって、赤毛の髪は金髪になってしまったけど、それ以外は何も変わってない。


 アルテナを側に感じられることに、ケインは痛いほどの感謝と喜びを感じる。


「うーん」

「どうしたのケイン」


「なんだか、今でもアルテナが隣にいるのが信じられなくて。幸せすぎて、バチでも当たるんじゃないかと」


 永久に消えることがないと思っていた後悔を取り返せた。

 そんな奇跡が、この世にあっていいものだろうか。


「バチが当たるって、それ女神である私に言う?」

「そうか、今のアルテナはバチを当てる側だったな」


 ケインの言葉に、アルテナは思わず吹き出してしまう

 今のアルテナはなんと女神だ。


 薄暗がりで、その髪や身体がほのかに発光して見えるのは神性を持った存在であることを示している。

 キラキラとした神秘的な光をまとうアルテナは、ケインの手を握って言う。


「ほら、ちゃんと私は貴方の隣にいるでしょう。見えなかっただけで、私はずっと貴方の側にいたのよ」

「それは、俺もわかっていたつもりなんだけどね」


 アルテナは、ずっと見守ってくれていたのだ。

 ケインだって、それを感じていた。


「こうして生きて再び言葉を交わせるようになるのに、二十年以上もかかったんだから、ゆっくり慣れていけばいいわ」

「そうだな。これからは、また昔のように……」


 ケインが何か言いかけたとき、扉の方からガタッと音がした。

 目を細めたアルテナが唇に指を押し当ててから、小声でささやく。


「ちょっと待っててね。ケイン」


 すっとベッドから起き上がったアルテナが、そろりそろりととドアの前まで行って、ドアノブを掴んで思いっきり引く。

 すると、扉に耳を押し当てていたアナ姫とセフィリアが転がり込んできた。


 ジトッとした目で、床に倒れている二人を見下ろすアルテナ。


「ち、違うのよ、これは!」

「……アナ、重い」


 アナ姫の下敷きになったセフィリアが呻く。

 二人とも、こっそり部屋の様子を窺っていたようだ。


 その後ろからひょっこり顔をだした魔女マヤが言う。


「だから、盗み聞きなんかしたらあかんって言ったやろが」


 相手は女神なんだからバレるに決まってるだろうと、後ろからきたマヤは呆れ笑いを浮べながら二人を引っ張り起こす。


「あんまり感心しないわね」

「ほんまに、新婚家庭の寝室に朝からお邪魔してえろうすんまへん。ほら、お前らも謝り!」


「わ、私は悪くないわよ。セフィリアが、ケインに朝の挨拶をしようって言うから」

「……ごめんなさい」


 意外にもセフィリアが誘ったらしい。

 ケインも苦笑しつつ言う。


「朝の挨拶なら、ノックはしてくれると嬉しいかな」

「ほらアナ姫、ケインさんもそう言っとるで。素直に謝らんかい」


「悪かったわ、ケイン。今度は堂々とノックして入るわね」


 夫婦の寝室に堂々と入られるのも、ちょっと困ってしまうのだが。

 今や、ケインの家はケイン王国の大使館兼王宮ということになり、部屋もかなり増築されている。


 ケイン王国の重鎮でもあるSランクパーティー『高所に咲く薔薇乙女団』三人は、なんだかんだ理由を付けて泊まりに来るのだ。

 しかし、早朝からこれでは、ケインとアルテナもなかなか二人っきりになる暇がない。


「ケインさんも、うちの子らが騒がしくしてごめんやで」

「いやあ、賑やかなのは嬉しいんだけどね」


「うちも、なかなかこの子ら抑えきれんでな。そのうち埋め合わせを考えるから堪忍な」


 マヤは両手を合わせて、ケインにそんなことを言ってくる。

 そんなこと気にしなくていいのに。


 剣姫と聖女の保護者を自認しているマヤは、どうも気を回しすぎだなとケインは思う。


 みんなで下のリビングに降りていくと、ゆるふわなピンクの巻き髪の美しい女性が出迎えてくれる。

 ギルドの受付嬢だった・・・エレナが恭しく挨拶する。


 なんと、エレナはメイド服姿である。

 しかも格調高いロングドレスのやつだ。


「旦那様、奥様、朝食は出来上がってますわ」


 綺麗なお辞儀をするエレナに、ケインは慌てて言う。


「いや、エレナさん。様付けは止めてくださいよ」

「あら、今の私はお屋敷のメイドですもの」


「勘弁してくださいよ。メイドじゃなくて家宰かさいってことになったじゃないですか。何なら呼び捨てでいいですから」

「うふ、じゃあ他の人がいない時はそうしましょうか」


 エレナは、なんと冒険者ギルドを退職して、ケインの家に家宰として就職したのだ。

 ケインの家は、いまやケイン王国の王宮ということになっていて、外国からの賓客も来るようになったので、内務を管理する人間が必要になった。


 それを応募したら、まさかエレナが就職してくるとはケインも思ってなかった。

 エレナは最初、メイドになると言い出したのだが、それではあんまりだというのでマヤが検討して、王家の内務を取り仕切る家宰という役職を作ったのであった。


「お父さん。エレナお母さんと二人で作ったんだよ」


 ケインの娘のノワは、朝食を作るエレナのお手伝いをしていたようだ。


「そうなのか。お手伝いできて偉いなノワは」


 ケインは飛び込んできたノワを抱きとめて、黒絹のような柔らかい髪を撫でる。


「ケインさん。その目玉焼きは、ノワちゃんが一人で作ったんですよ」

「おおそうなのか! 凄いなノワ」


「お父さん、早く食べて!」

「それじゃあ、いただこうかな」


 そんなノアとエレナを微妙な表情で見つめている、奥さんであるはずのアルテナ。

 娘の世話から細々とした家事に至るまで、優秀なエレナがみんなやってくれるのでアルテナはケインとゆっくりした時間を過ごせている。


 それはありがたいのだが、たまには奥さんらしくケインやノワの御飯くらい作ってみたいなと思っても、なかなか機会を見つけられないでいる。


「さあ、奥様もどうぞこちらに」

「エレナさん。私も様付けはちょっと、呼び捨てでいいですよ」


 エレナは、小首を傾げていう。


「うーん。でもアルテナさんは女神様ですから、本来様付けでもおかしくないのでは」

「私も二十年以上女神の仕事をやってますけど、今でもあんまり神って自覚がないんですよ」


 アルテナの自覚からすると、クコ山で冒険するケインを見守りながら、二十年クコ山の周りをフラフラ霊体で漂っていただけなのだ。


「そもそも、女神ってなんなんでしょうね」

「それを私に聞かれても困ります」


 困惑するエレナに、それもそうだと頷く。

 ともかくも朝食。


 食卓には、ハムエッグにトーストにサラダなどが並ぶ。

 普通の朝食メニューだが、まるでホテルの朝食のようにナプキンなどは綺麗に整えてあり、食器は地味ながらいい物を買い揃えて使っている。


 仮にも王宮なのだからこれくらいはという、エレナの凝り性らしいところがでている。


「御飯の時間ね!」


 バタンと玄関の扉が空いて、孤児院の子どもたちがわーとやってきて食卓はいつもどおり賑やかになった。


「いつもごめんなさいね。ケイン」


 子どもたちと一緒に、ケインの母親代わりであったハイエルフの

 そのせいもあって、なんだかんだで近頃はこっちで御飯を食べに来る。


「御飯なのだ!」


 子どもたちに続いて入ってきたケインの使い魔。

 美しいたてがみを持つ白虎人ホワイトワータイガーの聖獣人テトラを見て、ケインは尋ねる。


「おや、テトラ。今日は子どもたちと一緒だったんだね」

「朝の見回りをしてたら、一緒になった。それより、御飯なのだ!」


 テトラ専用に、肉が多めのメニューがちゃんと用意してある。

 朝の見回りというのは、テトラは王宮の警備担当だからだ。


 善者にして善王ともなったケインは、今や要人なのでそれとなく警戒しておく必要がある。

 そこまでテトラが考えているわけもないが、ちゃんと警備をしろとマヤに言われているのでそうしているのだ。


「じゃあ、いただきます」


 みんなが御飯だ御飯だと急かすので、ケインは慌てて着席して挨拶すると、みんな「いただきます」と声を返した。

 賑やかな食卓の真中で、ケインとアルテナは賑やかに食事を楽しむ。


 そうして、いつもどおり仕事の時間になった。


「それじゃ、俺は冒険者ギルドに行くから」

「あ、私もご一緒します」


 お屋敷のメイドとして就職したエレナだったが、残務整理が残っておりなかなか冒険者ギルドを辞められずに、いまだに通っている。

 ケインが準備して家を出ていこうとすると、マヤに声をかけられた。


「ケインさん。ちょっと道すがら話をさせてもろてええか」

「もちろん、何かあったかな」


 マヤはケイン王国の宰相であり、ケインとも常に連絡を取り合っている。

 一緒に歩きながら、マヤはつぶやく。


「ケインさんも、家が賑やかなんもええけど、新婚で夫婦水入らずで過ごす時間が取れないのはキツイやろ」

「あはは、そこまで気を回さなくていいよ」


「うちがいい機会をそのうち作ったるから、任しておいてな」

「そ、そうか。ありがとう」


 ケインの夫婦生活までマヤが考えるのは気を回しすぎじゃないかとケインは思うのだが、好意はありがたく受けておくことにした。


「いや、これはうちの都合でもあるんやで。ケインさんにさっさと落ち着いてもらわんと、アナ姫やセフィリアがいつまでもがわちゃわちゃしてこっちも困るんや」


 なんだかんだで、ケインの後についてきてる仲間の二人を見て、マヤはため息をつく。


「それでも、なんだかいろいろ気を使わせてしまって悪いね」

「それはいいっこなしやでケインさん。うちらは、最高のパートナーやないか」


「パートナーか、ありがたいね」


 いろいろと取りまとめてくれるマヤがいないと回っていかないので、ケインも助かっているのだ。


「それに、ケインさんには期待しとるんやで」

「というと?」


 マヤが手帳を取り出して、いつにも増して真剣な表情な表情で切り出すので、真面目な話かとケインは本腰を入れて聞く。


「アルテナさんとエレナさん。あと、シルヴィアさんとローリエは、ちょっと迷ったけどケインさんに譲るわ。色々考えたんやけどやっぱロリBBAは対象外や。『高所に咲く薔薇乙女団』は、本物の美少女で構成したいんや」

「はあ?」


「うちはセフィリアと、アナ姫。あと、聖獣人のテトラは激レアやし、見た目はええからうちのパーティーに欲しいとこや。あとノワちゃんも、あれは将来ものごっつい美少女になるな。将来性は二重丸やで」


 手帳にぐるぐるっと赤ペンで二重丸を書き込むマヤ。


「ええっと……」


 それは何の話だ。

 完全に引いているケインに、ハーレムパーティーを想像してぐへへとニヤけるマヤ。


 いやいや、ちょっと前にマヤが元悪神のノワを危険視して争ったのはなんだったのだ。


「ノワちゃんは、あれでも元悪神やからな。やはり将来に渡って、うちがしっかりと監視しとかなあかんやろ」

「なるほど、それはお願いしたいところだけど」


 あれ。

 なんだかこれ、うちの娘の貞操がまずくならないかと迷うケイン。


「美女と美少女で綺麗に二つ、うちらは仲良く分け合う事ができると思うんや。これからもよろしくやで」


 こうして笑顔で差し出される手を、握っていいものなのかと迷うケイン。


「あ、ああ……」


 しょうがないので握手しといたが、これ大丈夫なんだろうか。

 たまーにツッコミ役のマヤにこうしてボケ倒されると、素人のケインがツッコむのは無理だった。


 なんだろう。

 きっとマヤも、いろいろとストレスが溜まってるんだろうなと思うケインであった。

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