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Chap.1 - EP1(4)『聖女兵器 ―胸元の花―』

 それぞれの部屋に導かれる前、聖女候補のマーセラが楚々とした仕草でホランドに声をかけた。


「明日はどうぞ、よろしくお願い致します」


 目礼し、円字を切るホランド。

 普通は「貴女に神霊の加護が在らん事を」と返すところだが、この時に限っては、その言葉はどちらかの女性への肩入れになる誤解があるため、障りのない形で返したのである。

 そのホランドの配慮を汲み取ったのか、マーセラが続けてこう言った。


「一つ、お尋ねしてよろしいでしょうか、司祭様」

「はい」

「そういう事は滅多にないとお聞きしてもいるのですが……聞き及んだところによりますと、同じ地域や国で二人以上の聖女が出たという事例もなくはないとか」

「そう……ですね。教会の記録でも数例しかないはずですが、確かにございます」

「でしたら此の度のわたくし達二人も、聖女が二人あらわれた――そんな可能性も、有り得るのですね。出来ればそうである事を、わたくしは祈っております」


 敬虔で飾りのない言葉。

 上辺だけ取り繕った類のものではなく、真実そう思っているひたむきさを、ホランドは彼女から感じた。


「それはまた……どうしてですか」

「今日お会いしたばかりですが、ジャンヌ様はとても素敵な方だと感じました。美しくて、聡明で……。それに先ほど司祭様が仰っておられましたが、街のならず者にも怯まない勇気もお持ちとの事。まさに聖女になるのに相応しいお方だと思います。ですからわたくしと二人、どちらも選ばれたらいいのに――と」

「二人ともに、ですか」

「自意識過剰……とお笑いになられるかもしれません。でも、聖女フローラになる事はわたくしの夢だったんです。聖女になり、人々や皆様のお役に立ちたい。小さい頃からそんな夢を見ておりました。だからわたくしも選ばれたい――そう考えるのは、傲慢な考えなのかもしれませんが……」

「傲慢だなんて、そんな事ございません。とても素敵なお気持ちだと思いますよ」


 サファイアの瞳が、透明で翳りのない感情を伝えてくる。ジャンヌとはまた違う甘やかな香りと透けるような肌に、ホランドは少しばかりどきりとした。


 まるで春に咲く花のような可憐さで一礼をし、清楚を絵に描いた少女は先に歩き出す。


 少し遅れる形となり、ホランドも後に続こうとした。


 が、その彼の背中に――


「鼻の下、伸びてるよ」


 とは、ジャンヌの声。


 思わず、びくりと体を震わせるホランド。


「は? はぁ?」

「司祭様も男の子だね、って意味」

「ちょ……何を言ってるんですか」


 本当に何を言ってるのだと、ホランドは狼狽える。心を見透かされた、なんて事があるはずもないが、あまりに俗すぎる言い様に呆気に取られたからだ。

 少なくとも、ホランド自身はそう思っている。


「あたしさ、ああいう子、好きになれないんだよねー」

「は……はい? 向こうは貴女に好意を持っていらっしゃるのに、そんな言い方……」

「分かんない? ああいう嘘つきは嫌いだって言ってるの」


 想像もしていなかった言葉が出てきた事で、ホランドは輪をかけて呆れてしまう。


「嘘つき? 彼女が? 何を仰って……」


 そんな彼の反応に、ジャンヌは「マジか」と言わんばかりのげんなりした顔をした。


「あんなの露骨じゃん。あたしと司祭様が顔見知りだって聞いたから、ちょっとでも好印象で上書きしておこうと考えて、あんな事言ったんだよ、多分だけど」

「そんな憶測で」

「大体さ、どちらも聖女に選ばれたらなんて、心にもない事言ってる時点でヤバすぎでしょ。あの子、自分が人にどう見られてるか、どんな風に見られるべきか、全部分かってやってるよ。ああいうのはさ、いかにも清楚な感じだけど実は全部計算尽くでした――なんて、そういう女の典型的なヤツだね。あの喋り方や見た目も全部そうでしょ。聖女に選ばれるように、ウケを良くするために、ってさ。だから、それにまんまと騙されてる司祭様は男の子だねって言ったの」


 聖女調査官である以上、聖女との関わりは当たり前だし、女性に接する事自体に免疫が全くないわけではない。けれども聖職者である以上、女性をそういう目で見てはいけないと固く戒めているし、聖女と関わりが多くありながら自分を律する克己心があればこそ、若くして調査官に選ばれたのだ。

 その自負心を嘲笑われたようで、さすがにホランドも不快さを隠せずにはおれない。


「それにあの子、どっちも聖女にって、それってつまり自分は必ず聖女に選ばれます、ってゆーか、聖女に選んでねお願い、って司祭様に言ってるようなものじゃん」

「いや、それはあの人自身が言っていたように、ご自分の小さい頃から願っていた夢だからでしょう? それの何がいけないと言うんですか」

「いけないなんて言ってないよ。でもさ、神霊フロースに選ばれるべき相応しい聖女って、教会じゃ清らかな心の持ち主って言ってない? 本当に清らかな心の持ち主だったらさ、自分は選ばれずとも相応しい人が選ばれたらそれが一番です、とか言わない?」


 思わず返す言葉を失い、ホランドは黙り込んでしまう。


「別に自分は清楚女子じゃないですって振る舞ってるんだったらまあいいよ。なのにあの子、教会ウケのいい聖女を演じてんじゃん。それって、何か矛盾してない? まあ自分でも傲慢だ、なんて先回りして言ってたから、そういうところも全部分かった上で言ってんだろうけど。――よくいるよね。自分こそ選ばれるべき人間だとか、本気で思い込んでる類いの人。多分本当はさ、そんな感じで意識めっちゃ高い子なんだろうね。そんな感じする。パっと見でそう見せないあたりは、結構マジで感心するけど」

「貴女は――」

「ん?」

「そういう貴女はどうなんですか」


 いつの間にかかなり近づいてきているジャンヌに、ホランドは再び心臓が高鳴ってしまう。

 すぐ目の前に、狼眼アンバーの瞳があるかのようだ。


「何が?」

「今朝のあれ、あれは神霊力フロース・ウィースですよね」


 クルミのような大きな目を楕円に細め、ジャンヌがイタズラっぽく微笑む。


「貴女は私が聖女調査官だと知っていて、何も言わずに助けた。本当なら、あの時あの場で、自分が聖女候補だと名乗ればよかったのにそうしなかった。貴女こそ計算高いと、私は思ってしまいますが」

「あたしは自分を計算高くない純粋な人間です――なんて言ったつもりはないよ」

「それは――」

「ズルい女は聖女になれない、なんて事はないでしょ? 結果的にそういう子は少ないかもだけど。聖女も人間だよ? 嫉妬もすれば猜疑心も持つし計算高い行動もする。……中には、怪物みたいな聖女もいるしね」


 最後の一言だけ、今まで陽の光のように明るかった彼女の瞳に、ふと暗い影が落ちた気がした。


 怪物みたいな聖女――。


 それは何を――誰を指しての事なのか。問い質す前に彼女が続ける。


「それよりも司祭様は、あたしが今朝見せた〝糸〟を神霊力フロース・ウィースって言ったよね? それってつまり、あたしを聖女って認めた事にならない?」


 神霊力フロース・ウィースとは、神霊由来の奇跡の力の事である。聖女の場合であれば、その身に孕んだ神霊の力を、自身の肉体を通じて発現させるものとなる。

 少なくとも今の発言だけを聞けば、ジャンヌの力を聖女の力だと認めたと、受け取れなくはない。


「わ、私はまだ貴女をそうと認めたわけでは……。今のはその、あの時の状況を説明しただけで――」


 揚げ足を取られた恰好で、しどろもどろになってしまうホランド。しかもそこに追い打ちのように、ジャンヌが言葉を被せてくる。


「まあそれもこれも、明日見てもらえばはっきりするだけだし」

「随分と自信がおありなんですね」

「あの子みたいだって事? さあね、聖女になるならないに自信も何もないし、自分が清らかな心の持ち主なんて事を思ってないのは認めるけどさ。――でも、自分の事ならわかってるつもりだよ」


 そう言って、先に歩いていった教会司祭やアクセルオ、マーセラ達と距離がある事を目で確認し、おもむろにジャンヌは、自分の襟元のリボンに手をかけた。


 リボンを緩め、シャツのボタンを上から外していく。


 そしてホランドの目の前で、胸元を開いて見せた。


「え……ちょっ……」


 戸惑い、思わず目を逸らそうとするホランドに対し、呆れた顔でジャンヌは告げる。


「何考えてんのよ……」

「いや、そんな。その、分かってますけど心の準備が」

「ったくもう……」


 ホランドは大きく息を吸い、心を鎮めてジャンヌに目を向けた。

 胸元を開いたといっても鎖骨の下あたりまでで、胸を全部晒したわけではない。それでも戒律暮らしのホランドにとっては、いきなりの事でどぎまぎしてしまう。


 目線の先に、ジャンヌの胸元――。


 女性的な膨らみは極めて薄く、いわゆるそういう体型なんだとつい考えてしまう。

 それはともあれ、本来ならばその谷間が見えるであろう辺りの上部分。

 そこに発光する、花の模様。

 暖かな光は、紛れもなかった。



「聖印……」



 思わず凝っと見つめるホランド。彼がジャンヌに対して抱いた直感通り、それはマリーゴールドの花と同じ形をしていた。


「ちょっと、いつまで見てんのよ……スケベ」


 大きな目を半分にして睨み、ジャンヌはシャツの襟元を閉じるようにおさえた。

 自分で見せておきながらその言い草はどうかと思うが、立場的にも彼の性格的にも今の一言への反論は出来ず、顔を赤らめてしまうホランド。


「せ、聖印があるだけで聖女フローラというわけではありませんし、そんな急に見せられても」



 聖女の証である一つ――聖印。



 胸元にあらわれる、変化する刻印・・・・・・



 今見たそれは、ホランドが知る限り紛れもなく聖印そのものだった。とはいえ彼が言ったように、それだけで聖女と認められるわけではない。

 ただ、胸元にあらわれる種類の聖印は、特殊な力を宿した女性――それは往々にして聖女である――にしか見られない特徴でもあった。


「自分の事は分かってるって言ったでしょ? 自分で言うのもなんだけどさ、ここまでくれば聖女フローラじゃなきゃ魔女ウェルムしかないと思うんだよね。それくらいの自信はあるって事」


 つまりそれほどの〝力〟を自分は持っている――ジャンヌはそう宣言していた。


魔女ウェルムだなんてそんな……滅多な言葉は口にしないでください。もし教会の人に聞かれたら、大事になりますよ」

「大袈裟ねぇ」


 跳ねるように歩き出すジャンヌの後ろで、ホランドが首を左右に振る。


「それに、私だって司祭なんですよ。この教会の司祭ではないし、調査が目的で来た身ですから杓子定規な事は言いませんが、それでも神霊フロースに仕える信徒です。当然ですが、私の前でも邪悪なる存在を口にするのは、いけない事です。下手をすれば、吊し上げになる事だってないとは言えません。ですからあまりに軽々しい発言は、慎まれるのがよろしかろうと思います」

「それだったら大丈夫」

「――何が、大丈夫なんですか……?」



「だってあたし、司祭様の事は信じてるから」



 振り返った彼女の微笑みは、陽光を受けた蕾がほころんだように、鮮やかで眩かった。


 そしてあの――初夏の甘い香り。


 信じてるとはどういう意味なのか。ホランドがそれを尋ねてみたくても、もう叶わない。


 何故ならミルクティー色の髪をした彼女は、もう先の方へとスキップするように歩いた後。

 ホランドの目に残されたのは、甘い悪戯のような笑顔だけ――。



 ※※※



 その夜ホランドは、懐かしい夢を見た。


 かつて家同士で懇意にしていた、とある貴族の姉弟との思い出。


 その家の弟は自分より歳下ではあったが、幼い頃より親友のように仲良く育ち、姉の方はホランドにとって初めての憧れの女性であった。

 美しく清らかで、明るい太陽のような女性。


 やがてその姉が、聖女として選ばれたのである。


 当然のように、周りの大人達は口々に彼女を褒め称えた。


 誉れある、いと麗しき聖女!


 神霊に選ばれし聖なる乙女!


 とても名誉な事であり、素晴らしいのだと分かってはいたが、少なくともホランドの内心は複雑だった。

 彼女が聖女になれば、今までのようにはもう会えなくなるからだ。何より、選ばれた姉本人が、どこか寂しそうな顔をしていたから――。


 親友だった弟も、同じような思いを抱いていたのだろう。


 けれども懐かしくてほんのり苦い、よくある青春の思い出となるはずだったこの記憶は、文字通り一瞬で地獄の過去へと塗り替えられる。


 あの夜――。


 聖女となって王宮に迎え入れられるはずだった彼女は、何を血迷ったか己の力を暴走させ、都市を半壊させたのである。


 燃え盛る己の屋敷と逃げ惑う人々の姿を、今でもホランドはまざまざと思い出す事が出来る。

 夢にまで見るほどに。


 そして暴走した果てに、真に聖女として目覚めた別の女性が彼女を倒し、その暴走は防がれる事になったのだった。


 後になって分かった事だが、親友の姉である彼女は、聖女になる重積に耐えかねて、心を病んだのだという。

 それにより神霊から得た力が暴走し、彼女は〝魔女堕ちフォールン〟してしまったのだ。


 どうしてそんな事になってしまったのか。


 彼女の暴走によりホランドも家族の多くを失い、親友一家も一人として生きて戻った者はいなかった。中には死体さえ残らなかった者もいたほど。


 ホランドが教会の司祭となる事を決めたのも、この事件がきっかけである。


 決して癒える事のない傷を心に刻みつけた、悲しくて苦しくて、でも甘やかな記憶も呼び起こさせる思い出。


 そう――


 この懐かしい過去こそが、ホランドの生涯で最も幸せだった日々であり――


 生涯最悪の夜――。



 その全ての中心に、彼の初恋の人がいた。


 憧れだった親友の姉。年上の彼女。



 聖女になるはずだった――その名はヘレーネ。


 ヘレーネ・シュミット。



 そのヘレーネもまた、太陽のように周りを明るくする人だった。

 明るくて花があり、彼女がいるだけで心を暖かかくさせてくれる、そんな女性。


 まるでそれは、マリーゴールドの香りの彼女――ジャンヌ・ジャンセンのような。


 似ても似つかない――ような気もするし、どこか似ているようにも感じた。いや、ジャンヌの笑顔が眩しくて、思い出のあの女性ひとを連想しただけに違いない。

 きっとそうだと、夢の中であるにも関わらず、ホランドは思い込もうとした。


 少なくともジャンヌとの出会いにより、忌まわしい事件とヘレーネを三年ぶりに思い出したのは、確かな事だった。

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