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Chap.1 - EP1(6)『聖女兵器 ―果実の色は―』

 次に、マーセラ。


 先にジャンヌが儀式の三つ目まで認められた後でも、彼女はいささかも動じていなかった。表情も何も涼しげで、実に落ち着き払ったもの。

 昨日、己で口にしたように、自分が聖女であるという揺るぎない確信があるかのようだった。


 彼女もジャンヌと同じ動きを辿っていく。


 違いは、彼女の手から大地に広げられたのが、ジャンヌは光の糸だったが、マーセラは光の鱗粉だったところだけ。あとは同じように樹が生え、果実を出現させる。


 もう一つ違っていたのは、ジャンヌの時は拳ほどに小さなメロンに似た果実だったが、マーセラの時は花梨マルメロのような果実であるというところ。


 そのマルメロを取り、ホランドは二つに割った。


 ジャンヌの時と同じような甘い香りが、鼻腔に広がる――かと思いきや。


「うっ――」


 別の意味で咽せるホランド。

 ツン――と鼻をついたのは、腐った土と吐瀉物を混ぜ合わせたような匂い。思わず顔を背けたくなるほどの異臭――いや、悪臭だった。


「これは……」


 匂いだけではない。二つに割った中から覗いたのは、美しい果肉ではなく紫と黒と茶色が混ざった、腐敗を超えて毒々しささえある、見るからにおぞましい成れの果て。

 食すなど有り得ない。いや、確認するまでもなかった。


「この……これは――聖餐果ではございません……」


 ホランドの証言と明らかな異形の果実に、立会人達も慄きを隠せない。


「聖女の〝奇跡〟では――ない」


 理解が出来ないといった顔のマーセラが数瞬ほど呆然とした後、表情を一変して全身を震わせはじめる。

 顔からは血の気が引き、引き攣った声を上げたのは当然の事。先ほどまでの落ち着いた素振りは消え失せていた。


「な、何?! そんな――! う、嘘! 嘘よ!」


 信じられないと何度も口にするマーセラ。

 清らかな聖女そのもののような彼女は、そこにはいなかった。


「そんな……そんな事有り得ない。有り得ないわ! だって――だってわたくし、自分で何度も聖餐果を創り出しているもの……! そんな、有り得ないわ。嘘よ! こんなの嘘! 絶対に怪訝おかしい!」


 取り乱す彼女を一瞥し、ホランドは虚しそうに首を横に振る。

 立会人であると同時にマーセラの推薦人でもあったアクセルオ王子も、顔を蒼白にさせて口元を抑えている。

 どういう感情なのか。自分の推した聖女候補が、偽りだった事への落胆か。それとも、マーセラを聖女だと信じた己への怒りか。はたまた別の感情か。

 どうあれ、場は俄かに色めきたった。


「嘘よ! 絶対嘘! こんなの間違ってる! ねえ、もう一度――もう一度させて。もう一度したらきっと――」

「聖女の〝奇跡〟に、やり直しはございません」

「は――はぁ?!」


 ホランドの裾を掴み、あられもなく縋り付くマーセラ。


「仮に次に創り出した果実で、聖餐果と同じものが出来たとしましょう。けれどもそれはやはり、聖女の奇跡ではないのです」

「な……何で……」

神霊フロースの力を完全に得られた真実の聖女フローラなら、起こす力に間違いなど有り得ないのです。考えてみてください。さっきのは偶々調子が悪くて力を失敗したのだとして、それが大事な時に起きたらどうします? 施しをするはずの聖なる果実が腐っていたら、それは救いではなくただの毒になりませんか? 奇跡の力であるならば、そのような不安定さはあってはならないのです。時を経て聖女が神霊の力を失う事はあるでしょうが、聖なるものとよこしまなるものが混在するような、そんな歪な力を出す事など有り得ません。それは――聖女ではないものです」


 見た目はいかにも頼りなさげ。真面目で純朴な青二才といった風貌であったが、調査官としてのホランドは、そんな印象とはまるで正反対の、毅然として揺るがない姿をしていた。

 成る程、この若さで中央教会から派遣されてきただけの事はあり、理論も弁も態度も、まさに高等司祭。

 何より彼の見立てと判断は、誰がどう聞いても反論の余地のない、間違いないものだった。


「残念ですが貴女はここまでです、マーセラ・スタイン。ジャンヌ様の調査が済めば、貴女には別の調べを行いますので、しばらくの間だけ退がってください。貴女への調べは、その際に改めて行いましょう」


 いつの間にか、マーセラの後ろに修道士達が立っている。

 これ以上は異議申し立てを聞かないと、何も言わずに無言で語っていた。


「そんな……」


 まだ信じられないといった表情のマーセラ。

 その場に崩れ落ち、座り込む。

 そして虚ろな目から涙を一筋流した次の瞬間、表情を一変させて横に視線を向けた。


「貴女……貴女でしょ……!」


 涙を流しながらも、マーセラの目つきは血に飢えた獣のように鋭かった。


「貴女が何かを仕込んだのよ。きっとそうだわ……そうに決まってる! でないと説明がつかないもの! 今まで一度だって聖餐果の奇跡を失敗するような事なんてなかったわ。なのにどうして、この時に限ってそんな……! 貴女が何かしたんでしょ、ねえ!」


 マーセラの叫びが向いた先は、ジャンヌだった。


 突然向けられた敵意と疑いに、ジャンヌも戸惑いを隠しきれないといった様子。だがほんの一瞬呆然となるも、悲しげな顔をして彼女はその疑いを否定した。


「何かだなんてそんな事、出来るはずもないでしょう。貴女のお気持ちは痛いほど分かりますが、これ以上はもう、いたずらに悲しみを増やすだけです」

「何を……何をそんな……知った口を! 私の創った大地に実りを与えないような――そんな毒みたいな力が貴女にあるんだわ。きっとそうよ! そうでなきゃ、こんなの……こんなのって、怪訝おかしすぎるもの!」

「大地に実りを与えないなんて――それは聖女じゃなく、魔女の力じゃないですか。あたしが魔女ならそうかもしれないけど、こちらの調査官様は言っておられるわ。あたしの力は聖女の力だって」


 憐れみを持った口振りで、ジャンヌはマーセラへと近寄っていった。

 跪き、マーセラの頬を指で拭って優しく抱き起こす。


 迷える者には慈しみを。


 ここでジャンヌが見せた振る舞いは、まさに聖女そのものにしか見えなかった。



 だが抱き起こした瞬間、ホランドは確かに見た。

 ジャンヌがマーセラの耳元で、何か囁いたのを。



 見間違いではない。

 何を言ったのかは分からなかったが、確かに何かを耳元で告げたのを、彼ははっきりと目にしていた。それはもしかしたら、励ましの言葉だったのかもしれない。けれどもホランドはその行いに、強烈な胸騒ぎを覚えてしまう。


 果たして真実は何だったのか。


「そんな……!」


 凍り付くマーセラ。


 その引き攣った顔が、ホランドの不安をいやが上にも強くした。

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