希望の頂上から絶望の奈落へ堕とされた者の顔。
ジャンヌの一言で――そう、ホランドにだけは見えたのだが――マーセラの顔は、尚一層凍り付く。
既に彼女の目からは正気が消え失せはじめ、徐々に狂気の色に蝕まれていくのが分かった。
それを見るに見かねたのだろう。
「もう止しなさい、マーセラ」
彼女の腕を掴んで制止をかけたのは、推薦人のアクセルオ王子であった。
これ以上の醜態は見るに耐えないと言わんばかりの表情。
「貴女も聖女の候補であった者なら、潔くしてください。そんな有様では例え力が本物であっても、推薦したボクですら、貴女を聖女と認める事なんて出来ません」
「潔く……?」
「そうです。貴女が聖女になれば、ボクが
自分を後押ししてくれた人間すらも、遂に見捨てた――。そんな風に思ったのだろう。
「受け止める……? 受け止めるですって? 何を言ってるの……? 聖女になるのはわたくしの夢だったのよ。わたくしはそのために生まれてきたの……」
「マーセラ……?」
「そうよ……だから
「あの方……? 君は何を――」
狂気の一色に、彼女の思考が染まっていった。
直後――。
不意に身を翻し、彼女は腕を掴んだアクセルオの胸に飛び込んだ。
振り解こうとするのならともかく、むしろ抱きしめる格好を取った動きに、アクセルオですら咄嗟にされるがままになってしまう。
若きアクセルオ王子の唇に、マーセラの蕾のような唇が重ねられていた――。
「――っ!」
何が――と思う間もなく、マーセラは体を放す。
「わたくしは――わたくしこそが
呆然となるアクセルオ。周囲の者も、何が何だか動こうに動けない。
「こんな女なんて
聖別式の最後、四つめの儀式。
それがどういうものかは、大抵の者が知っている。
それの証明こそ、聖女が聖女である全てとすら言えるもの。
聖女が崇拝され、時に畏れられる何よりの証し。
彼女が何を起こそうとしているか――いち早く察知したアクセルオ王子が、咄嗟にそれを阻止しようとした。が、体が、足が思うように動かない。
「くそっ――!」
先ほどの口付けで、彼の中にある
「まさか本当に、仮契約をしただと……。そんな、やめろ!」
あの口付け――。それは本来のものではなく、簡易的に行った聖女との仮の契約。
だが仮であっても、聖女の力は発動出来る。
「私こそ、聖女!」
マーセラが片手を上げて、声高に告げる。
「暗夜を導く
マーセラの全身から、眩い光が放たれた。
目を開けてはいられない。教会中が、街の区画全部が、光に呑み込まれた。その光は柱となり、空の雲を突き破って遠く高く駆け上る。
「開花令を?!」
ホランドが叫んだ。
先ほど号令として発した、聖女の力を解放する宣言。聖女固有の聖なる文言。
だがそれは、禁忌を解放する事でもある。
光が、急速に収束していく――。
誰の目も、真っ白に焼きついて俄かに視界が戻らない。
そのため、最初に認識したのは音だった。
巨大な質量の――音。
何かが崩れる、音。
そして悲鳴。
叫び声は、おそらく人が潰されたから。
やがて一同の視界が戻ると、〝それ〟は全員の目に飛び込んできた。
見上げるばかりの、純白の影。
白の他に、薄緑や薄黄色も混ざっているが、それがまるで白のドレスのようで、
思わず美しい――と声に出しそうになってしまう。
けれども異形。
そして巨大な――あまりに巨大すぎる人型だった。
だが同時に、人の似姿でありながらも、明らかに人ではなかった。
「〝
誰かが呟いた。
巨大な異形は体中が甲殻的な鎧で覆われ、背中にはマントのような羽根があった。鳥のような翼ではなく、昆虫を模した、まさしく羽根。
純白の巨人のそれは、蝶や我のものと酷似していた。
顔の上半分も、人のようで人ではない。瞳らしきものも伺えないが、口は見える。
どことなく人間の女性を想起させる口周りに、体のシルエットや胸の膨らみ、くびれた腰など、全体が女性的な形をしていた。
例えるならば、人間の女性と昆虫に花を混ぜ合わせた、混沌としたものとでも表現出来ようか。
なのに純白の色のせいか、はたまた全体的なまとまりの故か、見る者に何とも言えぬ美しさを感じさせ、神々しさすら覚えさせる。
そして何よりも息を呑むのは、その大きさだった。
言うまでもなく、巨人。
一〇数メートルほど、おそらく二〇メートル近くはあろうか。
教会の建物の一部は、見下すほどに超えている。
異形にして威容。
巨大な怪物であり、威風を備えた天使でもあった。
それは本来、現世に顕現出来ぬ神霊に限定的な肉体と力を与えた姿。
聖女の力の本質であり、破壊と創造を齎す、この世に奇跡を齎すために出現した神の巨人。
それが――
マーセラの
〝アザウザ〟。