白き蛾の羽根をはばたかせるアザウザ。
凄まじい暴風が教会全体を揺らし、空気ごと全てを攪拌させた。ある者は立っていられなくなり、ある者は吹き飛ばされ、またある者は衝撃だけで意識を失う。
しかし地上の混乱など意にも介さず、アザウザは空中へ浮かび上がり、神聖にして絶対の姿で地上を睥睨した。
「これが我が
巨人から、マーセラの声がした。
今、マーセラの意識は巨人と一体化しているが、彼女自身の肉体は巨人の子宮にいる。つまり人間の時とは逆転しているのが、
「まさか本当に……
アクセルオが呟く。
教会の修道士達も、ホランドへ視線を送った。
調査官の審判が間違っていたのか――。
だがここで「いいえ」という声。
ミルクティー色の髪が踊る。荒れ狂う風の中であるにも関わらずしっかりと大地に立つ彼女は、ジャンヌ。
彼女の否定に、イェンセン教会の司祭も続いた。
「た、確かに……。あの
教会のすぐ真上に浮かぶ純白の異巨人アザウザ。
出現時には神々しい佇まいをしていたのに、今は巨体を震わせて奇妙な動きをしている。苦しそうな、気が触れた狂人のような動き。
すると唐突に、アザウザが天に向かって咆哮をあげた。
鼓膜を破るような高音。
区画だけではなく、街全体に響き渡る巨大な叫び。
「これは――!」
誰かが何かを言ったが、誰の耳にも届いていない。
叫び声は方向を変え、直上からアザウザの正面に向かって放たれる。
すると――!
声の向けられた街の全部が、一瞬で極北のように凍らされていた。街の数区画全てが、である。
「こんな所で〝
それが異能音声〝
声の届く範囲全てに、異能攻撃を発現させるというもの。これは強制的であり、神霊の力以外でのあらゆる防御・回避が不可能な絶対能力。
しかし通常は任意の対象に自在に発現させるものなのだが、アザウザのそれは見るからに無差別なものだった。
しかも一旦咆哮は止んでいるが、動きは益々
「まずい、不完全な顕現をしたんだ。あれは
ホランドの言葉に、全員が顔を蒼くした。
途端に逃げ出しはじめる、教会の人間達。
どれだけ神霊に祈りを捧げていようと、絶対の破壊兵器である
とは言っても、逃げて助かるものでもない。
何よりこのままでは、教会が粉微塵にされるなど言われずとも分かっている事だったし、この街ごと壊滅させられてしまうのも火を見るより明らか。
「ねえ――」
血の気の引いた顔でどうするべきか狼狽えるホランドの目の前に、オレンジ色の裾が翻った。
ミルクティー色の髪。
マリーゴールドの聖女候補ジャンヌが、いつの間にか彼のすぐ正面にいた。
「もうこの手しか、ないよね」
「え?」
「目には目を、だよ。手は手でないと洗えないもの。
ジャンヌの告げた言葉の意味を理解したのと、彼の唇に彼女の唇が重ねられたのが、同時だった。
「――っっっ!」
全身が硬直する。
いや、儀式の四番目で行うはずだったのだから、何も動揺するはずがないのだ。ないはずなのだが、ホランドは顔を真っ赤にして総身を固くした。
一秒にも満たない
小鳥のように体を離し、ジャンヌは微笑んだ。
暴風と氷嵐が吹き荒れるこんな状態なのに、彼女だけは太陽みたいに眩く見えたのは、何故だろうか。
この時ホランドは、遠い記憶のあの
昨日夢で見た、初恋の人。
ヘレーネ・シュミットを――。
「開花令!」
ジャンヌが声を張り上げた。
片手を頭上に掲げた姿は、
「善業 悪業 余さず照らせ! 此処に開花を〝戦〟言する――〝ラグイル〟!」
凄まじい閃光が、放たれた。
太陽が地上に降りたような、激しくも暖かで燃える明るさ。
新たな光の柱。
人間達や動植物達ばかりではない。
「何――?」
光がより集まり、やがて光そのものが巨大な人型に凝縮していった。
「これが……彼女の……」
見上げるホランドが、絶句する。
もう一体の巨人が、神々しい巨躯をあらわす――。