オレンジ色の輝き。
黄色混じりのそれは、陽光を反射して金色に光って見えた。
恐ろしさはなく、華やかで神々しい。けれども圧倒される。
どちらかと言えば、絶対的存在に対峙した畏怖のような感情かもしれない。これを目にした人々が心に抱いたものは。
そして同時に、誰の脳裏にも一目見た瞬間、同じ言葉が浮かんでいた。
――何て美しい巨人。
頭部には一本ツノのような突起物があり、兜を被っているようにも見える。そのせいかどれが目なのか分からず、複数の目があるようにも見えた。
アザウザと同じく、女性的な唇や膨らみのある胸にくびれた腰などは、
甲殻類的な鎧は昆虫を想起させるが、ところどころに見える意匠が、マリーゴールドの花びらも連想させる。それは背中に翻る、マントのような羽根も同じくであった。
さながら、花びらの翼とでも言おうか。
太陽の色をした、麗しき聖なる巨人。
目にしたホランドが、確か蜘蛛の意匠も持っていたはずだと思い出す。
儀式の最初に確認した聖印。花の模様と生物の模様。それが
アザウザが
しかし一見したところ、マリーゴールドはそうだと感じさせる外見だが、蜘蛛らしき印象は受けない。
だが直後に、それは間違いだと気付かされる。
「邪魔を……邪魔をする、の――ね」
途切れと途切れで聞き辛い、アザウザから発せられるマーセラの声。
引き攣った動き。不安定な飛翔。
アザウザの顔が、下方を向いた。
巨人の口が、開く。
――まさか!
足元、つまり地上に向けて、凍れる歌声の
咄嗟に防御姿勢を取る人々。けれどもそんな行為は無意味。それが分かっていながら、本能で己を守ろうとするのが生き物としての
放たれる、歌声による氷結。
教会を中心にした一面が、氷漬けとなってしまった――かに思えたが。
己を見るホランド。
いや、凍っていない――。
いないどころか周囲も元のまま。ふと空を見上げると、そこに広がっていたのは――
「蜘蛛の……巣……?!」
まるで空一面に蓋をしたような、巨大なドーム状の蜘蛛の巣が、教会も含めた辺り全てを覆っていた。
太陽色の巨人へ振り返ると、片手から出した糸を振り払っているところ。
光の糸。
それは今朝、ジャンヌが出したものと同じ類いのものだろうか。
だが規模が、あまりに違いすぎた。
蜘蛛の巣の向こう側、空に面した方は氷によって蓋がされたようになっていた。どういう原理なのか。何故蜘蛛の糸で氷の声を防げるのかは分からない。霊力的なものなのかもしれない。
「仮契約の力だからね。こんなの大した事ないわ」
ジャンヌの声が、ラグイルから響いてくる。
直後。
ふぉん――
空洞を風が吹き抜けたような音をだして、ラグイルの巨体が消えた。
空を飛んだ――いや、跳躍したのだ。
あまりの速度のため、目で追いかける事すら出来ない。
しかも二〇メートル近い巨躯によるそれほどまでのジャンプなのに、地揺れは微塵も起きなかった。あの巨体に質量はないのか。それともこれも糸同様、霊的な力によるものなのか。
ともあれ、ラグイルが飛んだのはアザウザに向かってであるのは、言うまでもない。
花弁のような翼を広げて肉薄する巨人。
しかし動きが歪でありながらも、アザウザは見事なまでの旋回飛翔でラグイルの接近を拒んだ。
さすがは蛾の特性を持っているだけの事はあると言うべきか。飛翔と空の俊敏性では、アザウザの方が何倍も優れているように見えた。
しかし逃げ切ったと思いきや、それはラグイルの――いや、ジャンヌの誘いだったのかもしれない。
ラグイルの唇が開かれると同時に、歌声が轟く。
思わず吸い込まれるように聞き惚れてしまう、美しい唄声。
オペラの
「
ラグイルの放った歌による攻撃。
直後、兆しも何も感じさせず、アザウザの全身を蜘蛛の糸が絡め取った。
「ぐっ――うっ!」
息の詰まった呻き声が、空に響き渡る。
まさに一瞬。魔法のような突然さだった。サナギか繭のように全身を雁字搦めにされ、捕縛されるアザウザ。
当然ながら、巨体は空から落ちていく。
「わあぁ――っ!」
墜落に巻き込まれると思った人々が叫び声を上げるも、しかし巨体の下敷きにはならなかった。
蜘蛛の巣――。
翳した手の平から糸を出した巨人が、再び天を覆うほどの蜘蛛の巣を展開させ、巨大なアザウザを宙で受け止めていたからだ。
華麗にして鮮やか。しかも同じ
威力は絶対、効果は必中。けれども対象は自由自在で意のまま。
それが本当の
「ここまで……同じ
見上げるアクセルオ王子が口にした感嘆に、ホランドが「いいえ」と返した。
「マーセラ様の
「真の、聖女……」
「ええ。図らずとも、最後の儀式も終える事となりました。
おお、というどよめきが周囲に起こる。
反論の余地など何処にもない。まさしくここに、新たな
しかし――。
「認めない。認めるものですか――!」
女性の声が、空いっぱいに響き渡る。空も、揺れる。
蜘蛛の糸で動けなくなったアザウザが、必死で糸を破ろうともがいていた。
「わたくしこそ聖女! 貴女みたいなアバズレ、絶対に認めるものですか!」
空に浮いたラグイルが、滑るように移動して白の巨人へ距離を詰める。人の顔とは違うので感情は分からないが、茜色の巨人はどことなく冷めたような、冷静な顔をしているのだと見る人に思わせた。
片手を振る、ラグイル。
糸が奔った。
それはアザウザを縛る糸に繋がると、導火線を走るように炎を噴き上げる。
「ガッ――! アアアァァッ――!」
真っ赤に燃える巨体。空一面が、炎の海と化したかのような凄惨な光景。
燃え盛る炎に包まれたアザウザが、悶えて苦しむ。
焼ける空を見上げ、ホランドが息を呑んだ。
「縛り上げるだけでなく、相手を燃やし、炎も放つ糸……。それがあの、
これが戦争に用いられればどうなるか。どれほどの脅威となるか。
しかもこれでまだ仮の契約なのだ。
正式な契約を結べば、一体どれほどの兵器に成り得るか、想像もつかない。
「ここまでよ、マーセラ・スタイン。このままだと焼け死んでしまうわ。そうなる前に、花を閉じて。そうすればあたしも力を解除出来るから」
花を閉じるとは、
ようは剣を鞘に納めなさいと、ジャンヌは言っているのだ。しかし、アザウザの中、マーセラの感情は更に昂ってしまう。
「こんな……こんな事で!」
「もうやめて。貴女の不完全な力じゃ、あたしの炎の糸は切れない。お願いだから、もう終わりにしましょう」
「ふざっ――けるなっ!」
マーセラが、吠えた。
同時に、燃えるアザウザの背中の糸が、裂ける。
「えっ――?!」
叫んだのはアクセルオやホランド達。
アザウザの背中、そこから節のついた棒のような長いものが伸びている。
先端が鉤爪状に鋭くなったそれは、槍のようでもあり巨大な昆虫の足にも似ていた。それが二本。アザウザの左右の肩甲骨付近から、突き出していた。
さながら槍の形をした二本の腕が、生えてきたかのよう。
「まさか……
信じられないとばかりに、ホランドが後に続く言葉を失う。
唄声による広範囲攻撃ばかりではない。
それが
通常は六本あるはずだが、アザウザが不完全であるせいか、はたまた炎に焼かれて消耗しきっているからか、二本までしか出ていなかった。それでもこれを出現させられる事が、驚嘆に値する行為。
しかし――
「残念だわ。こんな事したくないのに」
ラグイルは、落ち着き払ったまま。
「ラグイル――」
巨人の子宮で、ジャンヌは
己で張り巡らせた蜘蛛の巣の上に着地する、茜色の巨人。
その背にあったマントのような翼が、まるで花が萎むようにしゅるしゅると巻き取られていく。
やがてそれは形を為し、異形をあらわにした。
巨大で長大な、槍。
アザウザのものよりも、もっとずっと先端は鋭利。
いや、記録されている限りのあらゆる
それはまさに、槍でもあるが剣でもあった。
そんな武装が、八本。
左右四対の、蜘蛛の足をした槍。
「八本の、
アザウザが出した時にも驚いたが、それ以上の異形に、眺めるだけのホランドは最早思考すら追いつかない。
「聞いた事がない。どの
巨大な蜘蛛、そのもの。
己の出した最後の切り札すら凌駕する姿を目にしたからか、アザウザは吠えた。
ただ闇雲に、己の怒りと苦しさのまま、八本槍の懐へと飛び込もうとする。
けれどもそれは、叶わなかった。
伸ばした二本の槍。それはラグイルの鼻先で制止している。
炎に焦がされる白い巨人の全身を、八本の槍が貫いていた。
「貴女の儚い夢――」
アザウザの体から、炎がはじけた。
「散らせてもらうわ」
斬り裂かれる巨体。
それと共に内包する神霊力が炎に反応し、爆発が起きる。