眼下の田畑を貫く大きめの道を、幾万の軍勢が歩いていく。
そんな光景を興味深そうに見ていたんだけど、それよりも重要な問題が発生している。
俺の祠の屋根の上に、猫ちゃんがくつろいでいるんだ。
うむ、なんかいい。いいというか、トテモイイ! 気分ガイイ!
はぁはぁ……猫ちゃーん! よかったら祠の中においでーぇ!
こっちも楽しいよーぅ!
って、あれか。日光当たる屋根の方が日向ぼっこにはちょうどいいか。
んじゃそこでゆっくりしてってねーぇ!
『うるさいやつだな……この祠の主か? 少し落ち着け!』
え?
『ん?』
え?
『ん? なんじゃ?』
……
猫が……猫がしゃべったーッ!!
『うるさいと言っておろうに!』
ごごご、ごめんなさい!
じゃなくて! え? 猫……ちゃん、だよね?
『うむ、猫じゃ』
しゃべってるよね?
『あぁ、今は貴様と思念で繋がっておる。繋がっておるゆえ、意思の疎通はできるが……』
できるが……? なに?
『少し静かにしていろ』
あっ、はい。わかりました。
……
……
うーん、この猫ちゃんもあれか? 妖怪とかそういう類の存在なのか?
『あぁ、猫又という……結構有名なんじゃが、おぬし知らんのか?』
うぉ、なんか知ってる、それ! 猫又!
『だからやかましいと言っておろう?』
あっ、すみません。
じゃなくて。いや、そもそもさ。
思考繋がってるとか言ってたけど、そのせいで俺の思ったことがそっちに伝わって……それでうるさいんじゃね?
『うむ、それはそうじゃな。あと、わしの名前は“権三郎”じゃ。“そっち”などと呼ぶな。
それと思考のつながりは少し緩めておこうぞ』
おぅ、なかなか古風な名前でいいじゃねーか。
俺なんて名前もない、ただの祠だぞ?
『ふっ、誉め言葉ととっておく』
そうとってくれてありがとう。
あとなんか急に周囲の気配が軽くなった。
これが“思考の繋がりを緩める”ということか?
ふむふむ、勉強になった。
んでその権三郎さんが一体何の用なんだろうな?
『ここにはいったい何をしにお越しで?』
妖怪っぽい存在が神である俺の領域に入っている。
おそらくこれは完全に討伐対象なんだろうけど、権三郎さんはこれといった敵意も見せずにくつろいでいる。
まぁ、俺も別に構わないんだけど、そもそもの用事は?
という俺の問いかけに、権三郎さんが重い口調で口を開いた。
『あの大軍の行列が見えるか?』
『えぇ。めっちゃ見えます。なんでも東の方に攻めに行くとか?』
『うむ、わしもそれを追って都からきたんじゃが』
『それはお疲れ様です。でもなぜあの軍を追ってきたのですか?』
『警告のためじゃ』
『警告?』
俺が社ごと首をかしげていると、権三郎さんが顎をクイッて動かし、“あっちを見ろ”的な素振りをしてきた。
んで俺がその先をよく見てみると、道を行く大軍の行列から外れた20人近くの兵が、村人たちと何やら話をしている。
『道でも聞いているのでしょうか?』
『そうではない。あれ……今は物資を渡すよう、村人たちに言い寄っておるところじゃ。主に食物をだな』
『へぇー』
いや、待て。
軽く受け流そうとしてしまったけど、それなかなかに迷惑じゃね?
大軍なんだし、都からお偉いさんが率いているんだから、自分たちの食べ物ぐらい自分たちで用意しろよ。
『んで、そろそろじゃな。始まるぞ』
『何が?』
『略奪じゃ』
え?
唐突に話題が物騒なものに変わり、いや、その原因となる権三郎さんの言葉を理解できずに俺が一瞬固まっていると、視線の先でとんでもないことが起き始めた。
侍どもが刀を抜き、または槍のようなもので村の住民たちに襲い掛かり始めたんだ。
『おい! あいつら何をして!?』
俺が慌てて叫び、その現場に向かおうと前に進む。とその瞬間、権三郎さんが前足で俺の体を制した。
『ちょッ! 何を? いや、助けないと!』
祠である俺に何ができるかなんてわからん。
霊気とか邪気とか。
そういうものを体から発することで周囲の世界に干渉することはできるが、今まさに襲われている村人どもを助けるために、物理的な効果を生む技とかで侍どもに攻撃できるとは思えない。
でもさすがにこれは放っておけない。
すでに村長と思われる老人が侍の手にかかり倒れ、それを救おうとした者も似たような仕打ちを受ける。
他数名の村人が悲鳴を上げながら逃げ始めるが、それらを20人近い侍たちが散開して追う。さらには軍の行列からも数十人がその惨劇に加わり、村の広場は悲惨な状況になった。
いや、こんなんじっとしてろという方が無理だろ!
だけどだ! 権三郎さんの小さくて可愛い前足がことのほか強い妖気を纏い、俺の体をがっちりと抑え込んでいるんだ。
『権三郎さん!? 離してくれ! 助けに行く!』
『いいから落ち着け! 動くな! そして霊気を抑えるんじゃ! 邪気も放つな!』
『いや、でも!』
だけど次の瞬間、今度はとてつもなく恐ろしい気配が俺の体を――いや、この山を含め村全体、さらには田畑を含む周辺地域一帯を包んだ。
『ぐっ! こ、これは……?』
あまりの恐怖に俺は体を動かせない。
対する権三郎さんも険しい顔をしたまま、遠くを見つめ――その視線はなぜか惨劇の場ではなく、そのはるか向こう――そう、目の前の軍の行列が続々と姿を現している西側の山を見ていた。
『そろそろこの行軍に同行している都の陰陽師どもがあそこから姿を現す。同じく、やつらがこの軍の守り神として引き連れておる忌まわしき軍神もな』
『ぐ、軍神?』
『あぁ、この軍に同行しておる龍神じゃ。あんなもん相手にしたら、我々なんぞひとたまりもない』
『なぜそんなものを? しかも……手を出すなって?』
『あぁ、そうじゃ。都の貴族どもにとっては……そしてこの軍を率いる侍にとっては、旅の安全と武運を祈るためのただの守り神。
しかしその実、陰陽師どもがそれに不相応な神を式神として連れ出しおったんじゃ』
『そ、そんな……でもあんなのがいたんじゃ……?』
『そう、あれは人の世に出すには格が高すぎる。そして……あやつがこれまでの道程でいくつもの土地神を飲み込むのも見てきた』
『えぇ!? 飲み込み……? 神同士の争いですか?』
俺は動けずにいたまま……しかしながらも感情の荒ぶりを必死に抑える。
こんな会話の最中にも村の連中が1人、また1人と殺されているからな。
『そうじゃ。まぁ、その前に起きるのはあの略奪……そして蹂躙……。
あやつらはとてもじゃないが村人たちが簡単に渡せるような量の食料など要求しない。村が来年の収穫期まで消費するであろう分まで……いや、その次の種植えの分まで穀物を奪い取る。
村の人間としては死刑宣告に近い。そしてもちろん抵抗する。次にあのような惨劇が始まる。
そんな残酷な仕打ちがこれまでいくつもの村を襲ってきたのじゃ』
『な、なんでそんなことを? 少なくともこの軍は都の貴族連中が出兵を指示した正規の軍隊……そんな横暴が許されるはずなど……?』
『それが軍というやつじゃ。いや、都に巣くう貴族という名の下衆ども。金や地位を目当てに、それらのクズに群がる侍ども……』
『くっそ……そんな状況が……』
『あぁ、都が移されて数十年。いや、今の体制が作られてから2~3百年といったところか。人の世が腐るには十分な時間じゃ』
『そんな……』
『残念だがそれが人の世というもの。わしがおった村も似たようなことをされ、村人全員が殺された。
ゆえにわしはあの軍を先回りし、土地神や寺社仏閣の主に警告を出して回っているのじゃ。下手に抵抗するとあの龍神にやられると……。
だからおぬしもここは我慢じゃ。決して手出しはするな。先も言ったように霊気も邪気も抑えて。抵抗する素振りは決して見せるなよ』
……
いや、許せねぇよ。
幸か不幸か、村のほとんどの連中は隣の山の裏手に避難している。
まぁ、俺のいるこの山は俺のせいで木々がすっからかんになるほど枯れ果ててしまっているからな。
だけどあの侍連中、手あたり次第村の者を殺した後、家々に入って食料を持ち出している。
さらには数百人規模の兵が軍の行列から離れ、そいつらが山々に向かって移動し始めているんだ。
これ、村の女子供を探し……いや、軍の遠征に子供は必要ない。目的は女か?
『俺の村が……危ない……』
怒りで我を失い、ついつい口に出してしまった。
だけどその感情は権三郎さんも気付いているはず。
絶対に止めに入るだろうと思ったけど、ここで権三郎さんが予期せぬことを言ってきた。
『おぬし、少し変わった霊気を持っておるな。もしかして……未来視の力など持っておるのか?』
『え? あ、え? はい、一応、軽くは……その、未来とか視えたりしますけど?』
『そうか。それは非常にまれな力じゃ』
あっ、そうなの?
俺、てっきりこれぐらいの能力はそこらへんの神でも持っていると思っていたんだけどさ。
『じゃあ、その能力で視てみよ。この村の連中と、おぬしがあの龍神に立ち向かったとした場合の結果を……』
ぐぅ、嫌な予感しか浮かばねぇよ。
でもそれも重要だ。
山の裏側に隠れている村人たち。あいつらの生死は……?
あと、権三郎さんの配慮かな?
怒りでブチギレそうな今の俺が、その感情のままにあの龍神に立ち向かったとして、どんな結末になるか。
それを確認させることで、今俺が無謀なことをするとどうなるかを教えようとしている。
ならば視てみよう。
『……』
うーん、未来……。
やはりあの兵たちが、隠れていた村人たちを見つけ、とりあえずは村の広場に集める。
そして始まる選別と殺戮。
老人や男、そして年端も行かない子供たちは殺され、泣きわめく女たちが連れ去られる。
残されたのはただの屍。
うん。その後のことなんて、視る気も起きねぇよ。
俺がどうなろうと、ここでおとなしく傍観するなんて無理だ。
『いや、行きます。俺の邪気であの侍どもを少しでも』
『待て! 流石におぬしではあの龍に勝てん! 勝てんというか、一瞬で消されるぞ!』
『だとしても!』
あぁ、俺はバカだな。
でもさ、よく考えたら以前視たはるか未来においても、俺はこの村を……いや、その頃には立派な街ができてるんだけど、それを視ている俺もいるんだ。
それはつまり、今俺が動き出しても何とかなるんじゃね? ということでもある。
めっちゃ浅はかでちっちゃい希望だけどさ。
それはそうと、俺は祠から霊体を切り離し、山を下りることにした。
とりあえずの目標は隣の山。その山の中腹まで進んでいた侍どもが裏側に潜む村人たちを見つける前に、その足を留めるつもりだ。
んで小さな球体となった俺は――くっ、これが龍の姿をしているあっちの式神との格差だけど、今の俺は龍どころか人の姿にすらなれん。
だけどそれは今どうでもいいことだ。
とりあえず隣の山へ。
だけど、それを敏感に察知するのが龍神だ。
『おい、貴様? 何をしている?』
一瞬で俺の前に立ちふさがり、龍神はそう言った。
それこそ山脈ともいえるほどどでかい体。声ですらとんでもねぇ霊力がこもっていて、それを聞いただけで俺は消滅されそうになったわ。
怖ぇ……怖ぇよ!
だけど頑張ろう。
『見りゃわかんだろ? あの侍どもの狼藉を止めに行くんだよ!』
『そんな小さな霊力で? あっはっは! これは滑稽! いやいや、なかなかに面白い! 面白いぞ、小僧!』
『何がおかしい!?』
いや、自分でもわかっている。
俺とこいつの格の違い。
そしてわざわざ俺の目の前に現れたこいつの意図。
『貴様の浅はかな考えが、だ。そしてそれを叶えることもなく、無残に俺様に食われる貴様の存在がな』
そう、さっき権三郎さんが言っていた。
こいつは軍の守護神としてこの遠征についてきている。
それはつまり、この軍の侍どもに危害を加えようとする霊的な存在は、こいつが処理するということだ。
だけど、こいつにはこの惨劇が見えねぇのか? わからねぇのか?
『くっ、わかってるよ。俺は……多分お前に食われる。だけどお前はわからねぇのか? あいつらがこれからしようとしていることが!?
いや、これまでいくつもの村を襲ったと聞いている! ならわかってんだろ! それなのになぜあいつらの狼藉を止めないんだ!?
お前に正義の心はねぇのか!』
『ん? 正義の……心? く、くっくっく! はーはっはっは!
小僧? 俺様にそんなものを求めるな!
俺様は軍神。この軍の兵に安全をもたらす神なるぞ。
それ以外のささいなことなど俺にとっては無関係だ!』
あぁ、ダメだ。善悪の価値観がないタイプの神だ、こいつ。
まぁ、一応未来視で俺が何とかこの状況を生き残るということは隠しておいたけど、これ、絶対に俺とこいつが戦わなきゃいけない流れだ。
でも、じゃあどうするか?
と思ったら、遠くの方から権三郎さんの思念が俺の霊体に届いた。
『この馬鹿者が! 逃げろ! いいから逃げまくれ!
おぬしの未来視の能力を“直後”に定めれば、それでなんとか龍神の攻撃から逃げることができるであろう!』
あ、あぁ。そうだな。
邪気や霊気。それらを用いて俺がこいつを呪ったところで、そんなもん効くとは到底思えない。
とりあえず今の俺にできること。
こいつがどんな攻撃をしてくるのかわからないけど、逃げ回って時間を稼ぎ、その間に何とか勝機を……!
『わ、わかりました。やってみます!』
と、権三郎さんに返事をした次の瞬間、龍神が動き出す。
なんか口に霊力を集中させ、それを俺に向かって吐き出しやがった!
『うぉ!』
もちろん俺は未来視の力によってそれを何とか回避。
と思ったら、次の発射!
『うわッ! おっと! とう! ふん!』
何発かの攻撃を避け……とその途中に、ふと背後を見てみると、俺に回避された霊力の塊が山にぶち当たり、そこにある木々や動物、そして山を登っていた侍どもの生気を消滅させる。
「おいっ! どうした!?」
「こ、これは?」
「て、撤退! この山に何かいるぞ!」
「陰陽師に報告じゃ! 龍神を出すように伝えろ!」
しかも龍神の放った攻撃を食らっているのに、それを勘違いした侍どもが混乱しながら退却を始めた。
あははッ!
って笑ってる場合じゃない!
『ぬぉ! とッ! はッ! うぉ! くッ!』
とてつもない速度で龍神の口から攻撃が放たれ、俺はそれらを必死に回避する。
未来視を何とか駆使してギリギリ避けているけど、少しでも回避が遅れれば、またはその回避方向を間違えば、俺なんて簡単に消されてしまうほどの威力だ。
でもそれこそ本当にこの未来視の能力の恩恵だな。
およそ四半刻、必死に避けて避けて避けまくって、んでもってこちらからは何もできずにやっぱり避けて避けて……ってつらいわ!
『ぐっ、おのれ陰陽師。俺様を抑え込もうとし始めやがった……』
だけどだ。
山々が……そして味方の兵たちに被害が広まり始めると、その報告を受けた陰陽師がそれを“龍神の荒ぶり”と勘違いしたらしく、呪文やら呪符やらをこいつのご神体に施し始め、霊体となっていた目の前の龍神も徐々に動きが鈍くなる。
うん、勘違い上等。
というかこれまでの道のりで、この龍神がここまで苦戦する相手などいなかったのだろう。
俺、逃げてばっかりだったけど……。
でもそのおかげで周囲の山々が荒れに荒れ、挙句は雷雨や暴風すら発生し始めていたんだ。
なので大軍そのものが色々と混乱し、それを抑えるために陰陽師の集団も必死。
結果、人間どもに色々な誤解が重なる形で事態は収束していく。
龍神の一時封印という形でな。
『はぁー……怖かったぁ』
軍の兵たちが急いで俺の村から撤退し、というか少し離れたところを移動していた大軍の本体のも足を速めて東の方へと消えていく。
その光景を見守った後、俺はなんとか祠に戻ってその中に収まった。
そして安心したようにそう呟いたんだけど、俺の祠の上で権三郎さんはご機嫌そうだ。
『くっくっく。まさかあれを手玉に取るような土地神がおったとはな。いいものが見れた』
いいもの? どこが?
俺は侍どもが無抵抗な村人たちを殺す悲惨な光景を見てしまったんだが?
相変わらず――いや、これが人間どもの習性ともいえるのだろう。
時に残虐で非道な生き物……それが人間だ。
本当に怖いのは我々神仏の類なんかじゃなく、もちろん妖怪でもなく――
そう、あいつらなんだろうな。
としみじみ思ってみ単たけどさ。1つ思い出したわ。
権三郎さん? あんたも妖怪の類なら、せめて俺と一緒に戦えよ。