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第11話 ダンデレ少女と臆病な猫

「こっち……です……たぶん……」


 小鳥遊たかなしさんの小さな声と、おずおずと差し出された指先を頼りに、僕たちは民家の間の細い隙間へと足を踏み入れた。

 日が傾き、両側を壁に挟まれた道は薄暗く、ひんやりとした空気が漂っている。


「うわ……狭っ……。それに、なんかジメジメしてる……」


 つむぎが、顔をしかめて壁に触れないよう慎重に進む。


「まったく……こんな場所、普段なら絶対に通りませんわ。服が汚れたらどうしてくださるの?」


 西園寺さいおんじさんは、ハンカチで口元を押さえながら、不満そうに呟く。でも、文句を言いながらも、ちゃんとついてきてくれている。


「悠人くん、暗いから気をつけてね? 私がそばにいるから大丈夫だよ!」


 甘粕あまかすさんは、ここぞとばかりに僕の腕にしっかりと絡みつき、ぴったりと体を寄せてくる。……大丈夫だけど、ちょっと歩きにくいかな。


 数メートル進んだだろうか。道は突き当りになっており、そこには古びたエアコンの室外機や、放置された植木鉢などが雑然と置かれていた。そして……。


「……いた!」


 声を上げるのと、小鳥遊さんが息を呑むのが、ほぼ同時だった。

 室外機の影。そこに、小さな白い塊がうずくまっている。白地に茶色のぶち模様……間違いない、佐々木さんの言っていた猫、タマだ。


 僕たちの気配に気づいたのか、タマはびくりと体を震わせ、低い唸り声を上げ始めた。その瞳は怯えきっていて、全身で警戒心を露わにしている。


「タマちゃん! よかった、無事だったんだね!」


 紬が、ほっとしたように声をかける。しかし、その声に反応して、タマはさらに体を縮こまらせてしまった。


「あらあら、ずいぶんと臆病な猫ですこと。ほら、出てきなさいな」


 西園寺さんが、少し苛立ったように手を叩くが、逆効果だ。タマはシャーッと威嚇の声を上げ、室外機の裏へとさらに隠れようとする。


「だ、ダメだよ、二人とも! 怖がってるから……」


 慌てて制止する。どうしたものか……。下手に近づけば、パニックになってどこかへ逃げてしまうかもしれない。


「悠人くん、私、捕まえてくる!」


 甘粕さんが、なぜか自信満々に言い放つ。


「え、ちょ、甘粕さん!?」


 止める間もなく、彼女は「たぁ!」と奇妙な掛け声と共に、タマに向かって飛びかかろうと……いや、素早く手を伸ばそうとした。

 しかし、タマはその動きを読んでいたかのように、ひらりと身をかわし、さらに奥の暗がりへと逃げ込んでしまう。


「あーん、もう! 逃げないでよー!」


 悔しがる甘粕さん。……猫を捕まえるのは、そんなに簡単じゃない。


「どうしよう……このままじゃ、埒が明かないよ」


 紬が困ったように呟く。時間は刻一刻と過ぎていく。完全に日が暮れてしまったら、捜索はもっと難しくなるだろう。


 その時だった。


「…………」


 今まで黙って様子を見ていた小鳥遊さんが、おもむろに一歩、前に出た。そして、ゆっくりと、本当にゆっくりとした動作で、その場にしゃがみこむ。


「小鳥遊さん?」


 声をかけると、彼女は人差し指をそっと自分の唇に当て、「しーっ」というジェスチャーをした。真剣な、それでいて優しい眼差し。いつもの彼女とは、少し違う雰囲気を感じた。

 彼女は、タマが隠れている暗がりに向かって、無理に近づこうとはしなかった。ただ、じっと、優しい視線を送り続けている。そして、囁くような、とても小さな声で、何かを語りかけ始めた。


「……こわかったね……。びっくりしたよね……。もう、大丈夫だよ……。誰も、いじめたりしないから……」


 まるで、子守唄を歌うかのように、穏やかで、途切れ途切れの言葉。それが、不思議と僕たちの耳にも心地よく響く。

 最初は警戒していたタマも、小鳥遊さんの静かな声と、敵意のない雰囲気に気づいたのだろうか。唸り声が、少しずつ小さくなっていく。暗がりの中で、小さな影が微かに動いたのが見えた。


 小鳥遊さんは、ゆっくりと手を伸ばす。その手には、さっきまでスケッチブックと一緒に抱えていた、小さなスケッチ用の鉛筆が握られていた。彼女は、その鉛筆の先で、地面を優しく、とん、とん、と叩き始めた。一定のリズムで、静かに。


「…………」


 どれくらいの時間が経っただろうか。数分だったかもしれないし、もっと長かったかもしれない。

 暗がりの奥から、タマが、おそるおそる顔を出した。その瞳には、まだ警戒の色が残っているけれど、さっきまでの怯えきった様子はない。小鳥遊さんの持つ鉛筆の先に、興味を示しているようだった。


「……よし……」


 小鳥遊さんが、小さな声で呟く。そして、僕の方を振り返り、目で合図を送ってきた。……僕に、何かしてほしい、ということだろうか?

 僕は、彼女の意図を汲み取り、ゆっくりと、音を立てないように、タマの背後へと回り込む。紬も、心得たように反対側へ。

 小鳥遊さんが、鉛筆をそっとタマの鼻先に近づける。タマは、くんくん、と匂いを嗅ぎ、その小さな頭を鉛筆にすり寄せた。その瞬間。


「……今!」


 僕は、タマの体を優しく、しかし確実に抱き上げた。一瞬、抵抗しようとしたタマだったが、僕と、すぐに駆け寄ってきた紬とでしっかりとホールドする。


「やった……! 捕まえた!」


 腕の中で、タマはまだ少し震えていたけれど、暴れる様子はない。ずっしりとした、温かい重み。


「すごいよ、小鳥遊さん! ありがとう!」


 僕が興奮気味に言うと、小鳥遊さんは、はにかむように俯き、頬を赤らめた。


「……ううん……。タマちゃん……よかった……」


 その声は、まだ小さかったけれど、確かな喜びと安堵の色が籠っていた。

 彼女の、動物に対する深い知識と、優しい心が、臆病な猫の心を解きほぐしたのだ。


「まあ……。やりますわね、あなた」


 西園寺さんが、少しだけ感心したように、小鳥遊さんを見ている。


「……別に。たまたま、悠人くんたちが上手かっただけだし」


 甘粕さんは、そっぽを向いて不満そうに呟いているけれど、その横顔も、どこか安堵しているように見えなくもなかった。


 ともかく、これで最初の依頼は達成できそうだ。

 腕の中の温かい命を感じながら、僕は、この個性的なメンバーたちとなら、何か面白いことができるかもしれない、そんな予感を、改めて強くしていた。


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