「こっち……です……たぶん……」
日が傾き、両側を壁に挟まれた道は薄暗く、ひんやりとした空気が漂っている。
「うわ……狭っ……。それに、なんかジメジメしてる……」
「まったく……こんな場所、普段なら絶対に通りませんわ。服が汚れたらどうしてくださるの?」
「悠人くん、暗いから気をつけてね? 私がそばにいるから大丈夫だよ!」
数メートル進んだだろうか。道は突き当りになっており、そこには古びたエアコンの室外機や、放置された植木鉢などが雑然と置かれていた。そして……。
「……いた!」
声を上げるのと、小鳥遊さんが息を呑むのが、ほぼ同時だった。
室外機の影。そこに、小さな白い塊がうずくまっている。白地に茶色のぶち模様……間違いない、佐々木さんの言っていた猫、タマだ。
僕たちの気配に気づいたのか、タマはびくりと体を震わせ、低い唸り声を上げ始めた。その瞳は怯えきっていて、全身で警戒心を露わにしている。
「タマちゃん! よかった、無事だったんだね!」
紬が、ほっとしたように声をかける。しかし、その声に反応して、タマはさらに体を縮こまらせてしまった。
「あらあら、ずいぶんと臆病な猫ですこと。ほら、出てきなさいな」
西園寺さんが、少し苛立ったように手を叩くが、逆効果だ。タマはシャーッと威嚇の声を上げ、室外機の裏へとさらに隠れようとする。
「だ、ダメだよ、二人とも! 怖がってるから……」
慌てて制止する。どうしたものか……。下手に近づけば、パニックになってどこかへ逃げてしまうかもしれない。
「悠人くん、私、捕まえてくる!」
甘粕さんが、なぜか自信満々に言い放つ。
「え、ちょ、甘粕さん!?」
止める間もなく、彼女は「たぁ!」と奇妙な掛け声と共に、タマに向かって飛びかかろうと……いや、素早く手を伸ばそうとした。
しかし、タマはその動きを読んでいたかのように、ひらりと身をかわし、さらに奥の暗がりへと逃げ込んでしまう。
「あーん、もう! 逃げないでよー!」
悔しがる甘粕さん。……猫を捕まえるのは、そんなに簡単じゃない。
「どうしよう……このままじゃ、埒が明かないよ」
紬が困ったように呟く。時間は刻一刻と過ぎていく。完全に日が暮れてしまったら、捜索はもっと難しくなるだろう。
その時だった。
「…………」
今まで黙って様子を見ていた小鳥遊さんが、おもむろに一歩、前に出た。そして、ゆっくりと、本当にゆっくりとした動作で、その場にしゃがみこむ。
「小鳥遊さん?」
声をかけると、彼女は人差し指をそっと自分の唇に当て、「しーっ」というジェスチャーをした。真剣な、それでいて優しい眼差し。いつもの彼女とは、少し違う雰囲気を感じた。
彼女は、タマが隠れている暗がりに向かって、無理に近づこうとはしなかった。ただ、じっと、優しい視線を送り続けている。そして、囁くような、とても小さな声で、何かを語りかけ始めた。
「……こわかったね……。びっくりしたよね……。もう、大丈夫だよ……。誰も、いじめたりしないから……」
まるで、子守唄を歌うかのように、穏やかで、途切れ途切れの言葉。それが、不思議と僕たちの耳にも心地よく響く。
最初は警戒していたタマも、小鳥遊さんの静かな声と、敵意のない雰囲気に気づいたのだろうか。唸り声が、少しずつ小さくなっていく。暗がりの中で、小さな影が微かに動いたのが見えた。
小鳥遊さんは、ゆっくりと手を伸ばす。その手には、さっきまでスケッチブックと一緒に抱えていた、小さなスケッチ用の鉛筆が握られていた。彼女は、その鉛筆の先で、地面を優しく、とん、とん、と叩き始めた。一定のリズムで、静かに。
「…………」
どれくらいの時間が経っただろうか。数分だったかもしれないし、もっと長かったかもしれない。
暗がりの奥から、タマが、おそるおそる顔を出した。その瞳には、まだ警戒の色が残っているけれど、さっきまでの怯えきった様子はない。小鳥遊さんの持つ鉛筆の先に、興味を示しているようだった。
「……よし……」
小鳥遊さんが、小さな声で呟く。そして、僕の方を振り返り、目で合図を送ってきた。……僕に、何かしてほしい、ということだろうか?
僕は、彼女の意図を汲み取り、ゆっくりと、音を立てないように、タマの背後へと回り込む。紬も、心得たように反対側へ。
小鳥遊さんが、鉛筆をそっとタマの鼻先に近づける。タマは、くんくん、と匂いを嗅ぎ、その小さな頭を鉛筆にすり寄せた。その瞬間。
「……今!」
僕は、タマの体を優しく、しかし確実に抱き上げた。一瞬、抵抗しようとしたタマだったが、僕と、すぐに駆け寄ってきた紬とでしっかりとホールドする。
「やった……! 捕まえた!」
腕の中で、タマはまだ少し震えていたけれど、暴れる様子はない。ずっしりとした、温かい重み。
「すごいよ、小鳥遊さん! ありがとう!」
僕が興奮気味に言うと、小鳥遊さんは、はにかむように俯き、頬を赤らめた。
「……ううん……。タマちゃん……よかった……」
その声は、まだ小さかったけれど、確かな喜びと安堵の色が籠っていた。
彼女の、動物に対する深い知識と、優しい心が、臆病な猫の心を解きほぐしたのだ。
「まあ……。やりますわね、あなた」
西園寺さんが、少しだけ感心したように、小鳥遊さんを見ている。
「……別に。たまたま、悠人くんたちが上手かっただけだし」
甘粕さんは、そっぽを向いて不満そうに呟いているけれど、その横顔も、どこか安堵しているように見えなくもなかった。
ともかく、これで最初の依頼は達成できそうだ。
腕の中の温かい命を感じながら、僕は、この個性的なメンバーたちとなら、何か面白いことができるかもしれない、そんな予感を、改めて強くしていた。