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読めない手紙と雨のキス

 次の週末、悠斗の自宅に行くことになり、最寄り駅まで迎えに来てもらったのだが。


「降水確率0%を引き上げたのは、どこの誰だろうな。悠斗と逢うときは、なぜか雨が降ることが多いし」


 土砂降りじゃなかったのが幸いしたが、それでも悠斗の住むアパートに着く頃には、パーカーがしっとりと濡れてしまった。


「文句を言う前に、これで濡れたところを拭け。風邪を引く」


 自分だって濡れてるクセに、悠斗は玄関先で俺にタオルを差し出した。それを受け取り、被っていたフードを外して、肩口から拭っていく。


「サンキュー。悠斗も風邪引かないようにしろよ」

「わかってる。ほら」


 そう言って、真新しいTシャツを俺の手に押しつける。


「あ、パーカー乾かせてもらっていいか。中に着てるTシャツは大丈夫」

「そうか。だったら濡れたものを早く寄こせ」

「その前に自分を拭けって。メガネだって濡れたままで視界最悪だろ」


 渡されたTシャツを戻し、持っていたタオルで悠斗の頭をガシガシ拭ってやった。


「ちょっ、待てって」

「アハハ、思い出した。駄菓子屋に行くまでに雨でびちゃびちゃに濡れちゃって、タオルを借りたときも悠斗ってばおばちゃんに『細っこいのに濡れて』って言われて、同じようにされていたな」


 悠斗と過ごした、ちょっとしたこと。誰かに大事にされた思い出――それはけして色褪せずに、未だにこうして残ってる。


「陽翔、も、大丈夫だから。自分を拭けって」

「はいはい。仰せの通りに!」


 俺に髪の毛をぐちゃぐちゃにされた、残念すぎる見た目の悠斗は、不機嫌な様子で部屋の奥に行ってしまった。それすらもかわいいと思いながら、濡れたところを拭って、着ていたパーカーを脱ぐ。


 するとそれをひったくるように奪い、手にしたハンガーに素早くかけて、「中に入れよ」といつの間にか身なりを整えた悠斗が促した。


 さっきよりも本格的に降り出した雨が窓を叩き、悠斗の住むアパートに柔らかな調べを奏でる。リビングの本棚には悠斗好みのラノベが並び、淹れたてのコーヒーの香りが漂った。


「陽翔、ずっと聞きたかったことがある」


 ソファに腰かけ、あたたかいコーヒーに口をつけたタイミングで訊ねられた。悠斗はソファには座らず、立ったまま俺を見降ろす。メガネの奥の瞳は揺らめくことなく、真剣そのものだった。


「それを聞き出すために、俺をわざわざここに呼んだのか?」


 何度も顔を突き合わせているのに、それを訊ねなかった理由を知りたくなった。


「ああ。俺自身、心の整理をつけたかったのもあるし、正直聞くのが怖かった」

「聞くのが怖いことって、いったいなんだろうな?」

「高校の卒業式……花散らしの雨の中で、陽翔は俺を待ってた」


 俺が注ぐ視線を遮るように、悠斗は俯いて力なく告げる。


「そんなこともあったな、懐かしい」


 マグカップから伝わるコーヒーのあたたかさを手のひらに感じながら、あのときのことを思い出し、しんみりと返事する。雨に濡れた制服の冷たさや重さに愛おしさを感じ、悠斗を待ち続けることの妨げにならなかったんだ。


「俺は未だにあのときの雨の音が、耳から離れない」


 震える声で語られた内容に、驚かずにはいられない。


「それっておまえ、校舎裏の桜の木の下で待ってた俺を見ていたのか?」

「校舎の影からずっと。君が立ち去るまで見送った」


(――なんだそれ。傍から見たらバカみたいだろ、俺たち)


「悠斗、なんで来てくれなかったんだ」


 大きな溜息をつき、苛立ちながら問いかける。


「仲の良かった両親の愛が壊れるのを、間近で見ていた。俺がふたりの間を取り持っても、どうにもならなかった」

「口下手な悠斗がフォローしたところで、壊れちまったものは元には戻らないだろうな」


 コイツは残念なくらいに一言足りなくて、クラスメイトと事ある毎に揉めた。それを親友である俺が、いつもフォローしていたのである。


「俺は陽翔との関係も、いつかは壊れてしまうと思ったんだ」

「相変わらず自分勝手だな」

「そうさ、俺は自分勝手だ。深く傷つきたくなかった俺は、最初からなにもなかったことにすればいいと考えて、君に冷たくしたんだから」

「なるほど。受験のストレスで当たられたんだと思った」


 当時の俺の考えを超えるそれに、肩を竦めて失笑するしかない。


「陽翔が卒業式で俺を呼び出したのは、文句のひとつでも言おうと思ったのか?」

「文句なんてそんなもん、あるわけないだろ」


 びしょ濡れになってまで、文句を言うヤツがいるか。


「だったら、なにを――」

「あのとき、雨で散っていく桜を見ながら悠斗を待った。冷たくされても、ずっと好きだったって伝えたかったんだ。それだけ」


 マグカップを目の前のテーブルに置き、腕を伸ばして、突っ立ったままの悠斗の袖を掴んで揺らした。


「不器用で口下手なお前が好きだった」

「…………」


 悠斗は唇を引き結び、喋ることをしなかった。降りしきる雨音だけが、耳に聞こえる。


「無言でスルーか。俺の気持ちは悠斗にとって、ありがた迷惑なんだよな」


 悠斗は俺が掴む袖を腕を振って強引に外すと、身を翻して本棚に向い、たくさんの本を退けてゴソゴソ漁り出す。


「悠斗、口下手で口数が少ないのもわかってるけどさ。俺の告白についての返事くらい、ちょっとでもいいからしてくれ」

「うるさい」


 悠斗の足元に、どんどん積み上げられていくラノベ。いったいなにを探しているのやら。


「返事がないなら、俺帰る」

「帰るな、バカ……」


 振り返った悠斗の手には、透明の小さなガラスケースがあった。中になにかが入っているらしい。


 大股で俺に近づき、「ほら、これ」と言って手渡される。それをやんわりと受け取って眺め倒した。


 繊細な飾りが施された、高級感漂う透明なガラスケース。思いきって蓋を開けたら、中に入っていたのは水に濡れた形跡のある、くしゃっとした真っ白な封筒だった。バランスの悪い汚い文字で『陽翔へ』と、中央に書かれている。


「悠斗、これは?」


 ガラスケースをテーブルに置き、くたびれた感のある封筒をひらひら見せびらかして訊ねた瞬間、悠斗の顔が赤く染まり、メガネの奥の瞳が動揺を示すように揺らめいた。


「陽翔に呼び出された卒業式の前の日、3時間かけて手紙を書いた。当日なにも言えないと思って」

「3時間かけたにしては、やけに薄っぺらい手紙だな。開けるぞ」


 もの言いたげな面持ちで俺を見つめる悠斗の前で、封筒を手荒に破って開封し、手紙を一枚取り出した。ドキドキしながら、畳まれた手紙を広げたのだが。


「なんだこれ。真っ黒でなにも読めないじゃないか!」


 シャーペンで、書いては消してを繰り返したであろう手紙。書いた文字の形跡すら読めないそれを渡したとて、俺には悠斗の気持ちが伝わらない。


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