「陽翔に冷たくしたことで君を傷つけ、そんな俺に愛想を尽かして嫌いになるのを願っていたハズなのに、実際に距離をとられたのが、思ってた以上にショックだった」
「この手紙に書いたことは、それなのか?」
水で濡れて、シワシワの手紙を伸ばすように両手で引っ張り、悠斗の口から聞いた内容を黒い表面から探す。消しゴムが紙を薄く削り、悠斗の迷いを表していた。
「ほかにもいろいろ、伝えたいことがたくさんあったのに、文字にしたら恥ずかしくなってしまった」
「5年前のことはもういい。終わったことだからさ」
見えにくい黒い表面から文字を探すのが嫌になり、違うところからアプローチを試みる。
「陽翔?」
「大事なのはこれからだと思う。悠斗、おまえの気持ちを聞かせてくれ」
「だから書いてあるって」
「真っ黒で読めない」
「よく見ろよ!」
悠斗は怒って言うなり俺から手紙を奪い、その部分に指を差した。
「ほら、ここ!」
「あ゛? こんな隅っこで、ものすごく小さい文字を読めとか、嫌がらせにも程があるだろ」
それは手紙の左隅下で、表面がかろうじて白い部分。見慣れた汚い文字で『陽翔の事がずっと好きだった』と書いてある。
「悠斗が書いた『好きだった』って過去形なんだけど、今はどうなんだよ?」
「陽翔だって同じことを言っただろ!」
「悠斗の答え方次第で、それが現在進行形になるとしたら?」
したり笑いを頬に滲ませると、悠斗はメガネの奥の瞳をカッと見開き、持っていた手紙を握り潰した。
「アハハ! 時間はたっぷりある。プレゼンがんばれ!」
5年前に待ちぼうけを食らった恨みとも表現できる俺の横暴に、悠斗は怒りにまかせて口を開いた。
「バス停で陽翔と逢ったとき!」
「傘を持たずに濡れネズミでいた俺に、悠斗は声をかけて、傘をくれたっけ」
「重なったんだ、桜の木の下で雨に濡れてる陽翔と」
「それで?」
胸の前に腕を組み、考える暇を与えないスピードで訊ねた。
「あのときと同じく、スルーすればそれまでだって咄嗟に思ったのに、気づいたら声をかけてた」
「なんで声をかけたんだよ?」
「かっ、かかかか……かっ!」
途端にブワッと顔を赤らめ、壊れた機械みたいに同じ言葉を繰り返す。
「口下手どんまい」
呆れ果てながら悠斗が握り潰してる手紙を奪い返し、テーブルに押しつけてシワを伸ばし始めたそのとき。
「……カッコよくなってた。高校のときより、ずっと。……それで目を奪われて、気づいたら声かけてた」
悠斗が躊躇うそのセリフに、今度は俺が固まった。降りしきる雨が激しさを増し、遠くの雷鳴が聞こえた。
「陽翔に未練たらしく引きずってる想いがバレたら、気持ち悪がられると思って、慌てて立ち去った」
「それなのに俺たちは、カフェで偶然再会したな」
「連絡先の交換をするとき、嬉しさのあまりに君よりも先にLINEのQRコードを出してた」
どうりで俺よりも先に、スマホを出すことができたわけだ。
「陽翔からのLINE……通知音が鳴る度に、ドキドキが止まらなくて嬉しくて。それなのに返事をするのに、アホみたいに時間がかかった」
「既読早っと思った。返信遅いのは仕事の忙しさが関係してると予想したのに、違ったのか」
「変なこと書いて、嫌われたらイヤだったし」
悠斗は下がっていないメガネのフレームを何度も上げて、落ち着きない仕草をする。
「そのクセ『わかった』『別に』『そうか』のみの返信なのが、マジでウケるんだけどさ」
きっとコイツは、この手紙のように長文をしたためていたのだろう。でも読み返している内に、短いものに変化したということか。
「陽翔と逢う度に好きが増えてるのに、やっぱりこの関係が壊れるかもしれないと考えたら、怖くて二の足を踏んだんだ」
「壊さない、絶対に」
迷いのない声で言い切ったその瞬間、空が光った。鋭い稲光が激しい雨音の向こうで閃き、俺の胸の奥まで突き刺さる。
「ヒッ……!」
悠斗が肩を竦めて、反射的に身を縮めた。小さく怯えるように。まるで、過去の痛みごと自分を守るように――。
その姿を見たら、もう迷いなんてなかった。俺はそっと、でもしっかりと悠斗を抱きしめる。
「やっと捕まえた」
「陽翔?」
俺の腕の中にいる悠真は瞳を潤ませて、頬を染めたまま顔を上げる。
「俺は卒業式の日の雨と一緒に、お前を好きな気持ちを桜の木の下に置いてきてたんだ」
「陽翔と違って、俺は後生大事に手紙を取っていたなんて」
「悠斗がバス停で声をかけてくれたから、あのときの想いが一瞬でフラッシュバックした。ありがとう」
心を込めて礼を告げてから、悠斗の涙に濡れた頬をそっと撫で、雨音に導かれるように唇を重ねた。
「おいおい、泣くなって」
「だって嬉しくて、ううっ……」
とめどなく溢れる涙で濡れた悠斗の頬を両手で拭いながら、額を合わせた。
「雨で閉じ込められているのを機に、5年分の想いを悠斗に伝えたいんだけどいいか?」
「それって――」
俺のTシャツを掴む悠斗の手に、力が込められる。
「悠斗が閉じ込めていた5年分の気持ちも、直接知りたいだけどさ」
赤くなっている耳にそっと告げたら、「後悔しても知らない」なんて悠斗らしい返事がなされた。引き寄せられるように互いに顔を寄せ、ほほ笑んで熱いキスを交わす。
顔を離したら、悠斗が見たことのない緩んだ面持ちで宣言した。
「陽翔のこと、これからもずっと好きでいる。忘れるなよ!」
雨音が5年間の空白を溶かし、俺たちの鼓動を包み込む。この音を、きっとふたりで忘れずにいられる――そんな気がした。