陽翔の住むアパートに、ビーフシチューの香りが漂う。ちょっとだけ焦がしてしまった鍋。それをごまかすのに煮込みすぎて、香りがちょっとだけ重い。
早く帰ってくると宣言した陽翔の手にはビニール袋。コンビニで購入したアイスが、二本透けて見えた。もちろん俺のお気に入りのアイス!
「ただいま! すげぇ外までいい匂いがしてたぞ」
「おかえり。早かったな」
キッチンで夕飯の支度をする俺の傍を通りすぎて、アイスをビニール袋ごと冷凍庫にぶち込み、すぐさま俺に抱きつく陽翔。いつまでこんなふうに、愛情表現を示してくれるのやら。
「なぁ悠斗、俺思ったんだけどさ」
「寄りかかるな、重たい」
ガス台の前には寄りかかれるところがないため、自分よりも大柄な男を全力で支えることになる。
「俺、悠斗と一緒にいたい」
「実際、いるじゃないか」
「そうじゃなくてさ。一緒に住まないか?」
ビーフシチューを煮込んでいる鍋を、これ以上焦がさないようにお玉をぐるぐる回していたのだが、告げられたセリフが衝撃的すぎて、思わず手が止まってしまった。
「悠斗は俺と一緒に住むのがイヤか?」
「ど、どどどどっ!」
「そうそう、同棲な。俺の会社と悠斗が勤める会社の真ん中辺りで、アパートを借りるってこと」
すりりと俺の髪に頬を擦り、イチャイチャする陽翔には悪いけど、一旦落ち着きたい。
(まずはガスの火をとめて、ビーフシチューを美味しく食べられるようにしてから、陽翔を剥がさなければ!)
陽翔がくっついたままテキパキ動き、体に絡みつく逞しい二の腕を無理やり外した。
「なんだよ、悠斗成分をチャージしてたのに」
「俺はそれどころじゃない。あとでいくらでもしてくれ」
額に手を当てながら目をつぶり、陽翔との同棲生活を頭の中に思い描く。何度も行き来している関係で、互いの生活リズムは把握済み。食べ物の好き嫌いだってわかってる。
「悠斗、俺と暮らすのが不安なのか?」
俯いてうんうん唸る俺の顔を、大きな手が上向かせた。柔らかい唇が返事をしかけた俺の口を塞ぐ。
「んあっ」
与えられる熱に、すぐさま体が反応した。こんなふうに強引に求められると、すべてを陽翔にゆだねたくなってしまう。
「は、ると……不安、だよ」
「なにが不安なんだ?」
陽翔の額が俺の額に押し当てられ、俯くことをさせないようにほどこされた。目が逸らせない分だけ、陽翔の視線が俺に突き刺さって、ごまかしを許さない。
「ずっと一緒にいたら飽きてくるかもとか、イヤなところを見て嫌いになるかもしれない」
恐るおそる告げた言葉を聞いたのに、陽翔は額をぐりぐり押しつけて小さく笑う。
「悠斗、俺が今やってるこれ、嫌か?」
「おでこが痛いけど陽翔が喜んでしてるから、イヤじゃない」
「俺はどんな悠斗でも受け入れる。ずっと好きでい続けるから」
額が開放されたと思ったら、陽翔の唇は俺の耳朶を柔らかく食む。
「んんッ!」
くすぐったくて肩を竦めたのに、それでもリップ音をわざとたてて俺を感じさせた。
「俺、悠斗を飽きさせない自信はめちゃくちゃある。5年分溜め込んでいたからな」
甘く切ない呟きは、俺の胸をくすぐって耳の奥に残った。
「陽翔、俺、おまえと一緒に住みたい!」
コイツにうまい具合に、絆されたのかもしれない。雨が降る桜の木の下にいる陽翔に想いを告げなかったことを後悔したあの日のように、選択を間違いたくなかった。
「そう言ってくれてありがとう。のほほんとした悠斗は魅力的で、誰かに好かれたりするから、近くで監視しなきゃ気が気じゃないんだ」
言いながら俺がかけているメガネのフレームを外し、出しっぱなしにしてるまな板の上に置く。
「陽翔?」
「お互いの気持ちが通じ合ったところで、まずはヤろう!」
「なに言ってるんだ。腹が減ってるだろう?」
「あとでいくらでもしてくれと言ったじゃん。今徴収しなくてどうする」
しまったと思っても既に遅くて――。
ほくほくした陽翔は俺を横抱きにし、そのままベッドに連行した。
「かわいい」
顔を赤くした俺に颯爽と跨り、手際よく締めてるネクタイを解いていく。
「悠斗が毎日いたら、ずっと手を出し続けるかもしれないな」
「バカ……」
ビーフシチューの香りが漂う室内で、飴玉よりも甘いひとときを過ごした俺たち。陽翔が傍にいるだけで、いつも不機嫌な俺は笑うことができる。心がいつも晴れやかでいられる。
きっと同棲したら、たまには雨が降ったり雷が落ちるかもしれない。それでもきっと仲直りしたら、晴れ渡ること間違いなし!
だって俺たちは、愛し合っているのだから。
☆最後はある人の目線で、ふたりの姿を見てみましょう。