じりじりとアスファルトを焼く太陽。むせ返るような蝉時雨。そして、スタンドを埋め尽くす大歓声。
俺、
そう、向かっていたはずなんだ。あの、眩いヘッドライトが視界を白く染め上げるまでは……。
……ん。
重い瞼をこじ開けると見慣れない天井が目に飛び込んできた。
薄暗い六畳ほどの部屋。壁には野球選手のポスターが何枚も貼られ、本棚には野球雑誌やスコアブックがぎっしりと詰まっている。俺の部屋じゃない。そもそも、なんで俺はこんなところに……。
体を起こそうとして、違和感に気づいた。
……軽い。まるで自分の体じゃないみたいに異常に軽い。いつも鍛え上げているはずの筋肉の重みが、どこにも感じられない。細く、頼りない腕。
「……なんだよ、これ……」
掠れた声が自分の口から漏れた。それも、俺の声じゃない。少し高くて、弱々しい、聞き覚えのない声だ。
混乱しながら部屋を見渡すと、机の上に置かれたテレビが目に入った。画面には、見慣れた球場が映し出されている。
――『さあ、まもなく試合開始です! 高校野球選手権、埼玉大会決勝!
アナウンサーの明るい声が部屋に響く。しかし、続けて彼の口から信じられない言葉が飛び出した。
――『しかし、心配な情報が入ってきています!
……は?
俺が、到着してない? 何を言ってるんだ、このアナウンサーは。俺はここに……いや、ここはどこだ? そして、この体は……誰なんだ?
頭が真っ白になる。テレビ画面には、必死の形相でウォーミングアップをするチームメイトたちの姿。そして、マウンドへ向かう見慣れた背番号「10」……二番手の
「……
無意識に彼の名前を呟いていた。
落ち着け、落ち着くんだ。何がどうなっているのか、全く分からない。でも、今は……試合を見届けなければ。
机の上に置かれた学生証。「
……来栖悠人? 野球オタクで、クラスでも目立たない、あの……。
そうだ、悠人は俺と同じクラスだが……俺とはほとんど話したこともない、存在感の薄いやつだ。
試合は、波乱の幕開けとなった。
初回、
青葉学院も必死に反撃し、3回裏に1点を返すが、5回表、帝都実業に追加点を許し、スコアは3-1。重苦しい空気が、画面越しにも伝わってくる。
――『5回を終了し、3対1、帝都実業が2点をリードしています。青葉学院、エース上杉君の不在が大きく響いているでしょうか……』
アナウンサーの言葉が、胸に突き刺さる。
その時だった。テレビ画面が、突然、緊急ニュースの速報テロップに切り替わったのは。
――『臨時ニュースです。本日午前、 高校野球選手権、埼玉大会決勝に向かっていた青葉学院のエース、上杉奏多さんが、都内の交差点でトラックにはねられる事故に遭い、先ほど、搬送先の病院で死亡が確認されました。繰り返します……』
………………は? 嘘だろ……? 俺が……死んだ……?
頭が真っ白になる。耳鳴りが酷い。目の前がぐにゃりと歪む。
事故の記憶……小さな女の子……俺は、あの子を助けて……。だから、俺は……。
信じられない。信じたくない。でも、テレビの中のアナウンサーは、淡々と、俺の死を報じ続けている。
涙が溢れてきた。この悠人とかいうやつの目から。
混乱は球場にも広がっていた。青葉学院の選手たちはベンチで泣き崩れている。青空もマウンドで呆然と立ち尽くしている。スタンドからは悲鳴と嗚咽が聞こえてくる。
それでも……試合は止まらない。非情にも、再開のサイレンが鳴り響く。
両チームの選手たちは、どんな思いでプレーを続けているのだろうか。俺には、もう、それを見ていることしかできない。この、借り物の体で。
試合は、その後、両チームとも追加点を奪えず、重苦しい雰囲気のまま進んだ。
そして、迎えた最終回。9回裏、青葉学院の最後の攻撃。スコアは3-1のまま。
ツーアウト、ランナー一、二塁。一打同点の場面。バッターは、キャプテンの
スタンドの応援団が、声を振り絞って校歌を歌っている。涙声で。
――『佐伯君、この場面、亡きエース上杉君に、勝利を捧げることができるか!』
頼む……打ってくれ……!
カキィン! 打球は、三遊間を鋭く破るヒット!
セカンドランナーが還り、3-2!
ファーストランナーも三塁を蹴ってホームへ突っ込む! クロスプレー!
――『……アウトーーーッ!!』
無情なコール。ゲームセット。
3-2。青葉学院は、敗れた。
俺たちの、最後の夏は……終わった。
テレビ画面には、グラウンドにうずくまり、号泣する仲間たちの姿。監督も、コーチも……俺は、もう、あそこにはいない。
俺は死んだ。そして、なぜか、この来栖悠人という、見ず知らずの……いや、同じクラスの、ほとんど話したこともない少年の体の中にいる。
これから、どうすればいい……? 窓の外は、いつの間にか、血のような夕焼けに染まっていた。