悦子はパソコンで妹の朱美から届いたメールを読み終えて、今日もほっと安堵した。
心配性なのは自覚があるけど、とにかく妹の朱美は子供の頃から好奇心が強くて、興味の赴くままに突っ走るところがあるから、慎重で大人しい悦子はいつもハラハラしてしまう。
朱美はイラストレータとしてそこそこ名前は売れているのだが、少し前に付き合っていた男性と別れてから、落ち込んだり荒れたりしていたようだった。そしてある日いきなり悦子に電話を掛けて来た。
「姉さん、私さあ田舎に移住する事に決めた」
「移住? 何よいきなり」
「もうゴタゴタ続きに疲れた。しばらく田舎で適当に引き籠ってのんびりするわ。お祖母ちゃんの家ならちょうどいいでしょ?」
「ああ、お祖母ちゃんの家か……そりゃあんたが住んでくれたら家も傷まなくていいけど、石並村は本当に山奥だよ。大丈夫なの? あそこに行った事無いじゃない」
「平気平気、山奥っていっても通販の荷物は届いてネットも繋がるんでしょ? ヤケクソで仕事をしまくったから少し余裕もあるし、しばらく無職になっても大丈夫。久しぶりに趣味の水彩画でものんびり描いて暮らすわ」
それから、朱美の行動は素早かった。さっさと住んでいた賃貸マンションを引き払い、家具や不用品の類は処分したり友人に引き取ってもらってから、引っ越し業者と契約して石並村に移り住んでしまった。祖母の家は、3年まえに祖母が亡くなった時に綺麗に片付け、年に何度か悦子が様子を見に行って雨戸を開けたり掃除をしていたのですぐに住めるようになっていたので、朱美は面倒が無いと喜んでいた。
引っ越し後に朱美からほぼ毎日届くメールには、庭の草むしりが大変ですぐに飽きたとか、役場の近くにある図書館が結構立派で驚いたとか、駐在所のお巡りさんが心配してわざわざ家に来てくれたとか、コンビニは無いけど地元の小さなスーパーでの買い物は結構楽しいとか他愛ない日常の暮らしと愚痴が綴られていた。
最初の何日かは、広い古い家での暮らしは怖かったようだけど、それにも慣れたらしい。でも近々テレビを買う! という文面を読んで苦笑しつつ、そうだな何事も無くて良かった、と悦子は考えた。
石並村で祖母が長い間ひとりで暮らしていた家は、祖母の持ち家だったが購入したのでは無いと悦子は聞いていた。
「頼まれたから、ここに移ってきて住んでいるんだよ。広すぎるけど仕方ないね」
祖母はそう話していたけど、誰に頼まれたのかは言おうとしなかった。そして突然、家の中を完全に片付けてから別の市にある老人施設に入り、半年もせずに亡くなった。家は、悦子と朱美の母親が相続したけれど、車で片道3時間もかかるので面倒を見るのは何となく悦子の役割になっていた。別に不満は無かったけれど、朱美が住んでくれれば正直助かる。石並村も、田舎暮らしブームとかで若い人が移住してきて、国道の方におしゃれなカフェを開店したりしている。意外と、地元で知り合いが増えれば朱美のイラストの仕事も新しい展開があるかもしれない。
――あの家には一人で何度も行った事があるけど、泊まった事は無かった。さすがに夜に一人でいられる度胸は無かったから。別に幽霊屋敷じゃないけど……。
ああでも、祖母が暮らしていた時も泊まった事は2回か3回ぐらいだったかな。娘や孫が遊びに来てもあまり嬉しそうじゃなくて、割と素気なかったよなあ。
確かに台所の大きな食器棚には食器がたくさんあった。祖母が家から施設に移る時にそのまま置いていって、別に指示も無かったからちょっと不思議に思ったっけ。
悦子がお茶を啜りながら、朱美に好物のお菓子でも送ってやろうかと思っていた時、また朱美からのメールがパソコンに届いた。今日2通目で、珍しく画像ファイルが添付れている。
何かあったのかと急いでメールを開き、その画像を見た朱美は眉をひそめた。
それは、何も無い押入れに置かれた茶碗と、茶碗の上に丁寧に揃えられた箸の画像だった。