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13:朱美

 最後の夜は満月だった。


 朱美は、真っ暗な6畳間に敷いた布団の中で、じっと床下の笑い声と、誰かが茶碗を叩く音を聞いていた。

 最近は毎晩だ。でももう慣れてしまったので、特に腹は立たない。しばらくして起き上がると、廊下を歩いて台所に行き灯りをつけた。もうすぐ10時だ。テーブルの上に置いたお守りを見る。姉の悦子が送ってくれたものだ。この家に来てから、色々あって心配だから、と。本当に姉は心配性だ。いつもいつも心配している。


 テーブルの上のお守りは、ぱんぱんに膨らんだようになっている。


 何かを吸収しているのだろうか。こんな小さなお守りが。朱美はお守りを握り締めると、玄関から外に出た。外は街灯ひとつ無いけれど、満月だからいつもより明るい。そのままじっと待っていると、自転車に乗った郵便配達員が家の前を通りかかった。きっちり10時ちょうどだ。

 いつもなら通り過ぎる郵便配達員が、今夜はキィッとブレーキをかけて止まった。何も言わずに朱美の方を見る。玄関のぼんやりした明かりに照らされた顔は、特徴の無い普通の男性の顔だ。

 朱美は初めて話しかけた。


「こんばんは。何か用ですか?」


 郵便配達員は頷くと、どこからか1枚の葉書を取り出し、朱美に差し出した。

 朱美が受け取ると、郵便配達員はまた自転車をこいで立ち去った。そうか、彼はこの葉書を配達するために朝晩通りかかっていたのか。じゃあ明日の朝からは会う事も無いな。

 朱美は家の中に入ると、台所で古びた感じの葉書を読もうとした。でも葉書には何も書いてない、白紙だ。住所はこの家の住所だけど、宛名が書いていない。何だ、私宛じゃないのか。つまらない。

 朱美は葉書とお守りを一緒にテーブルの上に放り出すと、奥の6畳間に行った。

 また寝ようかと思ったけど、床下のくすくす笑いが相変わらずうるさい。朱美は縁側からそのまま月光に照らされた庭に出た。裸足だけど構うもんか。


 庭の草の間を歩いて、祠の前に立つ。祠の屋根には、ナタが刺さっている。毎日のように使うので持ちるくのが面倒になったからだ。刺しておけば、無くす事も無い。でも朱美は眉をひそめた。

 また太いツタがみっしりと祠に巻きついている。毎日切って捨てているのに、本当に目障りだ。朱美はナタを引き抜くと、ツタに振り下ろした。何度も何度も。

 ツタがバラバラになり、祠にもナタの刃物の傷がつく。しかし朱美は気にしない。どうせ中は空だ。

 ようやく気が済むと、長く伸びているツタを持ち上げた。今こそ大元まで辿ってやる。


 ツタを握った朱美の両手の肉がぐずぐずと腐り出す。やがて両手も両腕も、肉が腐って干からびたようになり、細い赤茶色の枝のようになる。朱美はそのまま歩き出す。もう、役に立たない自分の体は用無しだ。このままツタの根本まで行って、へし折ってやる。そうすればもう大丈夫だ。

 朱美の全身は、腐って落ちて骨に固い皮がついたようになり、面倒な服も乱暴に脱ぎ捨ててしまう。

 顔の肉も腐って落ちて、瞼が無くなり眼球だけが飛び出したようになり、唇も無くなって歯が剝き出しになる。耳たぶはとっくに無くなった。


 もう庭を出てずい分歩いたようだ。周囲を、既に朱美だけども朱美ではない存在とそっくりの細い影がゆらゆらと取り囲む。どうやら皆、このツタが気になるようだ。


 さっきまで朱美だった細い影は、そのまま草原の向こうに消えて行った。


 後には、月光に照らされた壊れた祠だけが残されていた。

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