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第17話

 平凡だった毎日が、少しずつ何か変わってきている――そんな気がする。


 夕方まで、俺はずっとDVDを見ていた。もちろん、聖修が出演しているやつだ。


 ただ、声を出して応援できないのが少し疲れてきた。聖修が隣の部屋に住んでいると思うと、今までみたいに声を張り上げて応援するわけにはいかない。


 それに、そろそろ夕飯の時間だと気づき、俺はキッチンへと向かった。


 そのとき、本日二回目のチャイムが部屋に鳴り響く。


 急いでドアホンに出ると、そこに映っていたのは、またしても聖修だった。


 挨拶回りは昨日で終わっているはずなのに、まさかの二度目の訪問。驚きながらもドアホン越しに話す。


「神楽さん? 夕飯って、もう作ってますか?」

「あ、いや……まだだけど?」

「あの……私が作った料理でよければ、食べませんか? ちょっと今日は作りすぎてしまって……」

「……へ?」


 そんな嬉しいことがあっていいのだろうか。昨日は初めて聖修に会えて舞い上がっていたのに、今日は聖修の手料理が食べられるなんて……まるで夢のようだ。


 本当に現実なのかと、俺は思わず頬をつねってみた。……痛い。うん、現実だ。


 そう、人間は夢か現実かを確かめるとき、頬をつねるという。痛ければ現実、痛くなければ夢。誰でも一度はやったことがあるはずだ。


「あ! わかりました! 今、行きますね!」


 そう返事をして、俺は玄関へと急ぐ。


 ……俺の性格は、もらえるものは遠慮せずにもらう主義だ!


 たとえそれが聖修じゃなくても、近所のおばちゃんが作ってくれたものでも、もらえるならもらう。遠慮して後悔するくらいなら、受け取ったほうがいい。もらい損ねるほうが、よっぽど損だ。


「はーい!」


 勢いよくドアを開けると、そこにはエプロン姿の聖修が立っていた。


 さっきドアホンではよく見えなかったけど……えっ!? エプロン!?


 これが女性アイドルなら、きっと世の男性たちは「萌える~!」と騒ぎ出すに違いない。いや、俺の場合はその「萌える~!」って言葉が、頭の中で満開の花畑のように咲き誇っている状態だ。


 しかも、銀髪に紺色のエプロンという組み合わせ。こんなの、誰も見たことがないはずだ。


 今の俺は、心臓がいくつあっても足りないくらいだ。とりあえず、心臓を落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。


 ――隣に聖修が引っ越してきて、本当に良かった。


 こんなふうに、アイドルの私生活が垣間見えるなんて、ファンでも滅多にない機会だ。今のこの姿は、俺だけのもの。


「カレー作ったんだけどね……なんか余りそうだったから、食べます?」

「はいっ! もちろんです!」


 たぶん、そのときの俺の笑顔は本物だった。今までにないくらい、自然で嬉しそうな笑顔だったと思う。


 丼に盛られたカレーからは、できたてならではのいい香りが立ち上っていた。


 と、そんなとき、エレベーター特有の「ピンッ」という音が聞こえてきた。普段ならドアを閉めていれば気にならない音だけど、今は開けっぱなしだったから、はっきりと耳に届いたのかもしれない。


「神楽さん! ごめん!」


 聖修がそう言ったかと思った瞬間、俺は勢いよく部屋の中に押し込まれた。


 突然のことでバランスを崩し、倒れそうになったけど、どうにか壁に手をついて体勢を立て直す。


「ど、どうしたんですか!? きゅ、急に……」


 そりゃ驚く。いきなり聖修に部屋へ押し込まれたのだ。何が起きたのか、まったく理解できない。


「いきなり、すみません……。エレベーターの音が聞こえてきたので……つい、というか……」

「はい……?」


 それだけじゃ、意味がわからない。


 ……そう言いたかったけど、まだそんなことをツッコめる関係じゃない。


 俺はただ、困惑した顔で聖修を見上げることしかできなかった――。


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