「あの……申し上げにくいのですが、しばらくの間、上げていただけないでしょうか?」
「は、はい!?」
聖修のその一言に、思わず俺の声が裏返る。しかも、目玉が飛び出しそうなほどに驚いていた。いや、確実に驚いていた。完璧に胸が「ドキーン!」と跳ねたのだから、ビックリしたのは間違いない。
だって、あの有名人の聖修が! 俺にとって憧れの存在である聖修が! そんな彼が、俺の家に来るなんて、夢にも思わなかったから……これで驚くなというほうが無理だ。
もちろん、嬉しい申し出だ。でも俺の部屋には、聖修のポスターやDVDが所狭しと並んでいて、正直、人に見せられる状態じゃない。ましてや、その「本人」を前にして、部屋中に飾られたグッズを見せるなんて……恥ずかしすぎる。
それでも、自分の憧れの人を部屋に上げられるのは、本当に嬉しい。だからこそ悩む。要は「恥」を取るか、「喜び」を取るか。まさに究極の選択だ。
人生の中で、こんなにも重大な決断を迫られたことがあっただろうか。
きっと今の俺、表情がコロコロ変わってるんだろうな。そう、人間ってのは喜怒哀楽でできてるんだから、こういう時に感情が顔に出るのも自然だと、俺は自分に言い聞かせた。
とにかく、この状況をなんとかしなきゃいけない。確かに、あのおばさんたちは子どもも巣立っていて、夕飯の時間なんかあまり気にしてない様子。だから、ご主人が帰ってくるまで延々と立ち話してることだって、普通にある。
しかも、あのおばさんたち、お互いの部屋には絶対に上がらない主義らしく、いつもマンションの廊下で長話してるんだ。
……もう、ここは覚悟を決めるしかない。恥を忍んで、聖修を部屋に招き入れるしかないのだ。
ある意味、あのおばさんたちをちょっとだけ恨みたい。
「あ、はい……どうぞ……」
俺は少し躊躇いながらも、お客様用のスリッパを出して、聖修を部屋の奥へ案内する。一応、いや、正直に言えばハプニングがあったからというより、そもそもアイドルの聖修を自分の家に上げること自体が、嬉しくもあり、緊張でもあるわけで。
俺の部屋は、壁一面に聖修のポスターが貼られていて、グッズもあちこちに飾られている。そんな部屋を聖修に見られるのは、正直言って、恥ずかしい。もしかしたら、引かれるんじゃないかという不安もあった。
……というか、この家には今まで誰も呼んだことがなかった。いや、呼びたくなかった。だから、茶菓子もなければお茶すらない。あるのはビールくらい……あ、いや、麦茶くらいならあったかも。
ここは完全に自分の城。どんな趣味全開でも、自分の家なんだから自由だ。でもまさか、その部屋に最初に来るのが友達ではなく、憧れのアイドル・聖修だったなんて、考えたこともなかった。
玄関を抜けると、小さな廊下があり、その先にリビングがある。廊下の左側にはキッチンがあって、リビングの右奥が俺の部屋だ。
……って、もうすぐ俺の部屋が見えてくるじゃん。
俺はとりあえず、聖修にリビングの椅子に座ってもらおうとするが、彼の視線は俺の部屋の方へと向いていた。
……やっぱり!?
あれだけポスターを貼っていれば、そりゃ目に入るよな……。その瞬間が一番憂鬱だった。
「本当に君は、私のファンだったんだね……」
「あ、はい……」
身体中の毛穴が開いて、今にも汗が吹き出しそうな俺。けれど、ここまで見られてしまったら、もう開き直った方が楽かもしれない。
まさに「穴があったら入りたい」って、こういうことを言うんだろうな。
俺が恥ずかしさのあまり顔を俯けていると、聖修がやわらかい声で言った。
「でも、私としては……お隣さんが、こんなに私のファンでいてくれて、嬉しいよ」
「……へ?」
その言葉に、俺は顔を上げた。
男なのに、心から聖修が好きで、部屋中にグッズを飾るほどのファン。そんな俺の部屋を見て、気持ち悪いとかじゃなく、「嬉しい」と言ってくれるなんて……。
今までずっと恥ずかしがっていた自分が、なんだかちょっと損をしていたような気がした。