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023 真の天才

 遅くまで英語クラブの活動を見学していたので、今日は本屋に寄らずに帰宅した。

「おにいちゃん、お帰り。遅かったね」


「ああ、部活に誘われて、見学してきた。……ん? どうした?」

 冬美ふゆみはなぜか、俺の顔をじっと見ている。


「おにいちゃん……なんか、変わったよね」

「そうか?」


「去年のおにいちゃんだったら、部活なんて無駄だって、絶対に見学に行かなかったと思う」

 なるほど、そうかもしれない。


 以前の俺なら、大学受験に必要ないと、見学すら行かなかっただろう。

 それくらい自分本位だった。


「心境の変化があったんだよ」

「ふうん……ねえ、ねえ、それでどんな部活を見学したの?」


「英語クラブだ。今日は簡単な英文を読んで、英語でディスカッションしたな」

「やっぱおにいちゃんは、わたしと違って、頭のデキが違うわ」


 はい解散とばかり、冬美はすっかり興味をなくした。

「冬美、おまえは勘違いしているようだが、俺は別に天才じゃないぞ」


「またまたぁ。そんなワケないって……おにいちゃんも、冗談言うようになったんだねえ」

 冬美は足をバタバタさせて、ケラケラと笑った。


「いや、本当だ。俺は努力型の人間だからな。天才はちゃんと他にいる。会った瞬間に敵わないと思って、それ以降近づいていないが」


「えっ? おにいちゃん、中学校で一番頭がよかったじゃん。それにいま通っている高校の偏差値は高くないし……おにいちゃんが適わないような天才って、いるの?」


「俺が合格したけど、行かなかったA高校って、あるだろ」

「うん」


「そこにいる」

「へ、へえ……そうなんだ」


 冬美は、なぜそんなことを知っているのかという顔をしている。

 我が妹ながら、表情がずいぶんと読みやすい。


 俺がその天才と会うのは、T大生になってからだ。もちろん『夢』の中での話だ。

 学年は同じなので、いまはA高校の一年に在籍しているはずだ。


 T大で知り合う機会に恵まれたが、はっきりいってヤバいくらいの天才だった。

 巻き込まれたら大変なことになると感じた俺は、すぐさま交流を絶った。


 その後そいつは、国家公務員試験一種を受けて、官僚になった。

 当時、進路が重ならなかったのを素直に喜んだものだ。


 ああいう真の天才に比べたら、努力型の俺なんて秀才止まり。

 自分の限界はよく分かっている。


「それでもおにいちゃんは、わたしと比べものにならない素質を持っているでしょ」

 どうやら冬美は、俺に対してコンプレックスを抱いているようだ。


 終身雇用制度が機能しているいま、いい学校を出ていい会社に就職するのが理想とされている。

 俺は成功者になれることが、ほぼ決定している。


 だがこの先、人件費の高騰によって、年功序列が揺らいでくる。

 冬美が思い描いているであろう社会は、やってこない。


 不況が加速すると、年功序列では、十分に利益を出せなくなってくるのだ。

 バブルが崩壊すると、会社は生き残りをかけてリストラを断行していく。


 成果主義を取り入れる会社が増え、必要ないと思われる人材をどんどん放出していく。

 それは大企業でさえ、例外ではない。


 本来『リストラ』は、リストラクチャリングと言って、再構築や配置転換を意味する言葉だった。

 だが社員を解雇したり、閑職に追いやって自主退職を促すための言葉として使われるようになった。


 冬美が就職する頃には、リストラや派遣という言葉は、すでに社会に定着している。

 いい大学を出ても、それが通用しなくなる時代が、すぐそこに来ているのだ。


「素質というのはな、冬美」

「うん」


「努力で、いくらでも伸ばすことが可能なんだぞ」

「またまたぁ~、本当に今日のおにいちゃんは……」


 冬美は、また俺が冗談を言っているのだと思っているようだ。


「本当だ。これは研究論文にあった内容だけどな、『能力』を褒められた子どもは、次に『簡単』と『難しい』の課題が与えられた際、『簡単』な方を選ぶ傾向が高い」

「なんで?」


「簡単な方が、達成しやすいだろ?」

「あー、そっか。そうなんだ」


「だがな、『能力』ではなく、『努力』の方を褒められた子供は……実にその九割が『難しい』方の課題を選んだんだ。これはどういうことか、分かるか?」


「えっと……難しい方がより成長できるから?」

 そう、努力を褒められた子は、また褒めてもらいたいために、努力する方を選ぶようになる。


「考えてもみろ。子供が大人に成長するまで、何万回、何十万回、選択する機会がある? ずっと『難しい』を選んでいる子供は、達成率こそ低いものの、『簡単』を選んだ子供より、成長するとは思わないか?」


「たしかにそう……かも? じゃあ、おにいちゃんはいつも『難しい』を選んだの?」

「当然だ。イージー、ノーマル、ハード、ベリーハードがあったら、俺はその上のナイトメアを選ぶ」


「その方が成長できるから?」

 俺は重々しく頷いた。


 俺の回答に、冬美はドン引きしていた。

 なぜこうも、俺の周囲でみなドン引きするのだろう。


 そろそろ止めてもらっていいだろうか?


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