翌日の放課後、俺は書店で『ポケット地図』を買った。
大きくて見やすいしっかりしたものを買いたかったのだが、持ち運びを考えたら妥協せざるを得なかった。
しかし、地図に頼らなければいけないというのは不便だ。
スマホがあれば現在位置が分かるし、検索できればカラオケボックスくらいすぐなのだが、この時代にはないものねだりとなってしまう。
模試を受けた駅は覚えている。
さすがに周辺の道路や建物の記憶は残っていないが、地図を片手に歩けば大丈夫だろう。
駅前に立ち、周囲を眺めた。
「ここに間違いない。当時の記憶のままだ」
やはり俺の記憶力は優れている。
四十年前に一度だけ訪れた駅だか、懐かしくもある。
当時のやるせない気持ちが蘇ってくるようだ。
「高校の三年間は、T大に入ることだけ考えていたんだな」
K高校では内心で「無駄だ、無駄過ぎる!」と愚痴りつつも、世間の流行に合わせていた。
いまにして思うと、あれはあれで無駄ではなかったのかもしれない。
もしK高校の連中に話を合わせなかったら、高校三年間で記憶に残っているのは、机の上に広げられた参考書とノートだけになっていたかもしれない。
当時の俺は、なるべく顔に出さないよう周囲に合わせていた。
周りの友人も、ただの『同調圧力』で嫌々興味あるフリをしているだけだと考えていた。
だがもしかすると、彼らは本当にアイドルや女優、マンガやアニメ、ゲームに興味があったのかもしれない。
当時の俺が低俗な娯楽と断定したものに、価値を見いだしていたのだろうか。
地図を見ながら駅から繁華街に向かって歩く。
カラオケボックスを探しながら、通った道にチェックを入れていくと、不思議なことがわかった。
「こんなものだったか……」
探す前は、どこにでもあるものだと思っていたが、いざ目を皿のようにして探しても、なぜか見つからない。
偏見とは恐ろしいもので、「カラオケボックスでも入れときゃ、人が来るだろ」的な感覚で、もっとあるものだと思っていた。
だが結局、繁華街をくまなく歩いたが、カラオケボックスを見つけることはできなかった。
繁華街から少し離れたところで、ようやく一軒だけ見つけた。
看板には音符とマイク、それに『
外から覗いた限りだが、中はあまり大きくないと思う。
「――もう少し、探す範囲を拡げてみるか」
雑居ビルはまだまだある。
ほとんどは飲み屋か事務所が入っているが、そこにカラオケボックスがないとも限らない。
見落としてはマズいので、地図を片手に細道まで念入りに歩いた。
『ポケット地図』に記された道がすべて埋まるまで……駅の西側と東側ともに歩いたが、他に見つけることができなかった。
「あの一軒だけか。だけど、本当にそうか?」
当時の状況を思い出す。
模試を受けた会場の近くを救急車が通過した。それは間違いない。
模試の会場は駅前だったが、あれは東口だった。カラオケボックスは西口だ。
本当に西口の一軒だけでいいのか? 見落としている可能性はあるか?
もう一度、地図を見る。
書き込みだらけになってしまったが、駅周辺はすべて歩いている。地図上の見落としはない。
「そうだ! 聞けばいいんだ」
検索するクセがついていて忘れていたが、こういう場合、知っている人に聞けばいいのだ。
俺は駅のインフォメーションセンターに向かった。
「友達と待ち合わせをしていて、この駅に『楽カラ』以外のカラオケボックスってありますか?」
そう尋ねてみた。
「カラオケボックスですか? 『楽カラ』以外にあったかしら……」
センターのお姉さんは首を捻り、店舗名が描かれた地図を見ている。お姉さんの記憶にもないらしい。
だとすると、あの一軒で決まりだが。
「室長、『楽カラ』以外のカラオケボックスって、ありましたっけ?」
四十代半ばのやや小太りな男性が奥からやってきた。
「カラオケボックス?」
「ええ、この子が友達と待ち合わせしているんですって」
「そうか。う~ん……独立していないけど、ボーリング場の中にあっただろ」
「あっ、『エコサウンド』ですね。そういえばありました」
「あるんですか?」
「ボーリング場の二階にポケットビリヤード場があります。その奥にカラオケボックスが入っていますね。それほど大きくないけど、お友達はそこにいるんじゃないかしら。あそこ、手前はフードコートになっていて、ボーリングした人たちがよく使うの。待ち合わせにピッタリだわ」
「そうですか、ボーリング場の二階ですね。ありがとうございます。行ってみます」
「楽しんできてね」
「はい、ありがとうございました」
聞いて良かった。そんなの、建物の中に入らないと分かるわけがない。
行ってみると、たしかにカラオケボックスはあった。だがここも小さい。
受付に見取り図があるが、四部屋しかなかった。
「これで漏れがなければいいんだが、二箇所はやっかいだな」
二箇所見つかったのは良かったが、同時に監視することはできない。
二つのカラオケボックスは離れているが、五分も走れば到着できるだろう。
だがその五分が致命的になる可能性がある。
「被害者の名前さえ覚えていれば良かったんだが……」
覚えているのは、大学一年の女性ということだけ。どこの大学かも知らない。
「子供の日までまだ時間はあるし、落ちついて対策を練ろう」
俺は地図に印をつけ、その場をあとにした。