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025 調査協力

 翌日の放課後。

 もう一度、あの町を歩こうと、休み時間にポケット地図を眺めていた。


 名出さんが俺の方を窺っているのには気づいていたが、それはいつものこと。気にしていなかった。

 それがいけなかった。


「何かある」と思ったらしく、放課後、こっそりと俺の跡をつけてきたのだ。

 帰宅する生徒たちにまぎれていたため、俺はまったく気づかなかった。


 くだんの駅に着いたところで気配を感じ、振り返ったところで名出さんと目が合った。

 すべて悟ったが、すべてが遅かった。


 好奇心旺盛な彼女は、当然いろいろと聞いてくる。

 仕方なく、不審者を見たので探していると説明したが、「だったら、わたしも一緒に探す」と言いだした。


 正直、帰ってもらいたかったが、駅前で押し問答するわけにもいかない。

 仕方なく、名出さんに協力してもらうことにした。


 だが、実は彼女、ここに土地勘があった。

 しかも、細道に詳しい。


「ねぇー! こっちの抜け道を使うと早いわよ!」

「この辺って、名出さんの地元じゃないよな。なんでそんなに詳しいんだ?」


「あっ、ちょっと……いろいろあってね。それでこれから何をするの?」

 さっきまでと違い、なんとも歯切れが悪い返答だった。触れてもらいたくないのだろう。


「この地図は小さいから、すべての道が載ってないんだ。今日はそれを補強したい」

「裏道は得意だから任しといて!」


 なんとも頼もしい言葉だが、なぜ裏道が得意?


 ちなみに昨日、二軒のカラオケボックスの間を歩いたら、七分もかかってしまった。

 今回、名出さんに教えてもらった抜け道を使い、信号につかまらなければ、五分ほどでたどり着けた。おそらくこれが限界だろう。


 当時、救急車のサイレンが鳴ったのは、社会の試験中だった。

 貰ってきた模試のパンフレットによると、社会は十六時二十分から十七時までの四十分間。


 事件発生は、サイレンが鳴る少し前のはずだ。

 細い路地で襲われ、犯人は大通りに向かって逃げている。


 黒のロングコートに中折れ帽が印象的だったようで、目撃者の証言は、ほぼ一致している。

 そして大事なことが一つ。


 これまでの事件では、犯人は対象が一人になったときを狙っている。犯行時の目撃証言がないのだ。

 つまり複数人がいれば、事件はおきない可能性がある。


「なに考えてるの?」

 名出さんが不思議そうに顔を覗き込んでくる。


「ああ……少し昔のことをね」

「む、昔!?」


 気になることでもあったのか、名出さんの表情が強ばった。


「そういえば、名出さんはなぜ、この辺に詳しいんだ? いろいろあったとは聞いたけど」

「えっ……いや、ははは……」


 あからさまに目を逸らす。

「言いたくなければ、別に構わないが」


「そういうわけじゃないけど……」

 後半はごにょごにょして、よく聞き取れなかった。


「無理に言わなくていいよ」

 なにか言いたくない理由があるのだろう。


「そういう……ああもう、別に変なことしてたわけじゃないのよ。ただ……塾に通ってただけだからっ!」

「塾というと、学習塾? それで路地裏に……詳しい?」


「サボってたの……言わせないでよ!」

 名出さんは真っ赤になって叫んだ。


 聞くところによると、彼女の両親は、そろって学がないのだとか。

 父親は東北の寒村の出で、ハナから勉強する気もなく、高校には通っていない。


 やんちゃしていた武勇伝を雑誌の記事で読んだことがあるから、おそらくそうなんだろう。

 母親は高校を中退後、年齢を誤魔化して、水商売の世界に飛び込んだらしい。


 中学で『不良』というレッテルを貼られた名出さんは、両親から「せめて高校だけは出ろ」というお達しも馬耳東風ばじとうふうと聞き流していたらしい。

 そうしたら無理矢理、塾に入れさせられたという。


「それがたまたまここの駅だったと」

「そうなの。地元から離れた塾の方がいいと思ったんじゃないかな」


 塾をサボれば、家に電話がいくからすぐにバレる。

 だったら遅刻していけばいいのではと考え、平気で一時間くらいこの辺をブラブラしていたのだという。


 なんともはや呆れた理由だが、そんな生徒を見捨てず、ちゃんと高校へ押し込んだ塾の先生に、俺は敬意を払いたい。


「でも、あたしがいたから、こうやって案内できるんだよ。なんたって、今年の二月まで通ってたんだからね」

「うむ。助かったのは否定しないが、自慢できることではないな」


 サボって歩き回っていたのだから、言いづらかったわけだ。

「あれも覚えろ、これも覚えろで……中学のとき、ほんっと勉強嫌いだったのよ。だから塾とかも大嫌いだった。覚えるのなんか、もうコリゴリよ!!」


「たしかに日本の教育は、戦後から一貫して『詰め込み教育』だ。……だが、その方がマシだったと思える時代が来るぞ」

「……? どゆこと?」


 これより後、『詰め込み教育』に対する反省から、国が『ゆとり教育』と通称される教育方針を打ち出す。

 小中高校で学習内容を削減して、生徒を競わせない方へ教育をシフトしていくのである。


 ところが、言われた通り、教育に『ゆとり』を取り入れた学校ほど、学習内容を終えることができなくなった。

 そこで単元を大幅にとばしたり、最後に帳尻合わせの駆け足授業を行う学校が増えてしまった。


 そしてなにより、学習内容を削りすぎたことで、教育専門家、教職員、保護者から不満が出たのである。

 結果、『ゆとり教育は失敗だった』として、もとに戻ってしまった。


『ゆとり教育』は時代のあだ花とされ、そのとき学生だった人たちは、社会に出てから『ゆとり人間』と偏見の目で見られることになる。


「黙って暗記していれば、文句も言われないんだ。理不尽だと思っても、従っておいた方がいいぞ」

 両親も、若い頃の無鉄砲さを反省して言っているのだと思う。


「もう、塾の先生と同じことを……あっ、この先、人通りが少なくてかなり暗い道が多いんだよ。だから去年、道のあちこちに防犯カメラを設置したんだって」


「ほう……防犯カメラか」

 犯人の姿が防犯カメラに写ったという新聞記事はなかったと思う。これは有益な情報だ。


 さすがにサボっていただけの……いや、よそう。

 こうして高校に入学しているのだから、彼女もそれなりにがんばったのだろうから。


 とにかく俺は、名出さんの協力もあって、地図に載っていない路地の調査を無事終えることができた。


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