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026 因縁の邂逅

 名出さんのおかげで、路地の確認が早く終わった。

 お礼に駅前の喫茶店『ドトーリ』で、パンとコーヒーを奢ることにした。


 こういうお礼は社会人として当然のことだが、名出さんは「うにゃにゃ」と煮え切らない。

 行きたくないのかと思えば、そんなことないようで、勢い余って自動ドアにぶつかりかけていた。


「……注文しないの?」

「先に席を確保しておこう」


 手頃な席に名出さんを座らせ、注文をしにカウンターへ向かう。

 これまで気にしていなかったが、スターパックスやダリーズが日本に進出してくるのはもっと後の時代だった。


 いまはまだ、暗い店内とタバコの臭いのする喫茶店と、ここのようなファミレス型チェーン店の喫茶店がうまく共存している。

 その後は、外国からオシャレなカフェ文化が入ってきて、店内だけでなく、外のテラスやテイクアウトで楽しめるようになる。


「どうぞ、名出さん。熱いから気をつけて」

「あ、ありがと」


 まずはホットコーヒーだけ。トーストは時間がかかるので、あとで呼ばれたら取りに行く。

 店内には、何組かの男女のグループが見える。


 この頃の出会いのひとつとして、数人のグループで町に出かけ、同じ数の異性グループに声をかけ、意気投合したら喫茶店で話をするというのが流行っていた。

「へい彼女、お茶しない?」というのはナンパの定番文句だが、それをグループ単位で行っていたのだ。


 俺もK高校にいた時代、仲間連中と何度かそういう経験がある。

 グループのだれかが大抵、使い捨てカメラ『写ランです』を持っていて、仲良くなったら、それで写真を撮る。


「今度現像して渡すよ」と連絡先を交換したりする。

 そんな写真を何枚持ち歩いているかがステータスとなり、俺も嫌々だが、貰ったことがあった。


 この写真もくせもので、200枚、300枚と持ち歩いていると逆に痛い人扱いされて、20枚程度をコロコロと変えるのが通らしかった。

 交友関係の広さを自慢するため、日々ナンパに精を出している奴らが一定数いたのだ。


「……ナンパか」

「うにゃっ!?」


 名出さんが立ち上がって、テーブルが揺れた。

「あっちのグループは、ナンパっぽいなと思って」


「そ、そう……あっ、注文ができたみたい。あたし、取ってくるね」

「ああ、お願いするよ」


 名出さんは駆け出すようにカウンターへ向かっていった。

 そんなに急がなくても、トーストは逃げないと思うが。




「それで、大賀おおがくん。不審者を見かけたって言ってたけど、そもそも、なんであんなとこにいたの?」

 一息いれたところで、そう聞かれた。


 名出さんの疑問ももっともだ。

 聞かれるかもしれないと思っていたので、実は表向きの回答を用意していた。


「模試の申し込みをしようと思ったんだ。不審者を見かけたのは、そのときだな」

「……模試?」


 この前、サイレンの時間を確認するためにもらっておいた、模試のパンフレットを見せる。

「模試の内容があまりに簡単すぎて、受けるのは止めたが」


「……簡単」

 名出さんは、全国模試と書かれたパンフレットと俺の顔を交互に見ている。


「初めての場所だから、駅周辺を歩いたんだ。そのとき黒いコートを着て、若い女性のあとを付ける人を見かけた。女性のあとを付けるって、かなり怪しいだろ?」


「それはたしかに……怪しいわ」

「黒コートの男は、カラオケボックスから出てきた女性を見ていた。警察に届けようとも思ったが、何かやったわけじゃない」


「まあそうね。町を歩いているだけで通報されちゃ、さすがに可哀想よね」

 名出さんの言葉に、俺は頷いた。


 もっとあとの時代になると、夜間に女性のを歩いただけで、不審者情報が出回るようになるが、それはいま、言わない方がいいだろう。


「見たのは俺だけかもしれないからな、不審者を捜しながら、危険箇所を把握しておこうと思ったわけ」

「なるほど、それであんなにあちこち……って、大賀くん。優しいんだね」


「優しい?」

 五十年以上生きてきたが、そんなこと言われたのは、初めてだ。


「だって、見ず知らずの人が被害に遭うかもしれないから、行動したんでしょ。あたしだったら、面倒だからしないよ。しても警察にそれっぽい人がいたって話しておわり。わざわざ学校帰りに、町を歩いたりしない」


「もし事件がおきたら、一生後悔するかもしれないだろ」

「一生は後悔したくないけど……でもそれって、大賀くんのせいじゃないよね?」


「それはそうだが……ッ!?」

「大賀くん、どうしたの?」


 俺が緊張したのが分かったのか、名出さんが顔を覗き込んでくる。

「いや、なんでも……もう出よう。歩いて疲れたみたいだ」


「そう? そうよね。……じゃ、帰りましょうか」

「ああ……」


 俺は店に入ってきた五人組を見ないようにして立ち上がった。

 制服からA高校の生徒だと分かる。そして俺が一番会いたくない人物が、その中にいた。


亜門あもん清秋せいしゅう……」

 ヤツとはじめて出会ったのは、T大のとあるサークルが開催した討論会。


 俺はそこで、亜門とディベート合戦を繰り広げて、ボロ負けした。

 あまりに盛大に負けたため、人づてにあいつのことを聞いたら、とんでもエピソードがゴロゴロ出てきた。


 高校の授業中、あまりに暇だったので、板書を一行ずつ違う言語に訳したとか、インターハイに出場した短距離選手より足が速いとか、テニスは教えられる相手がいないので、プロテニスプレーヤーを自宅に呼んでいるとかだ。


 大学時代、科学雑誌に論文を寄稿したこともあったはずだ。

 大学卒業までに数十カ国語をマスターしたなんて話もあった。


 そんな噂が流れるくらい、アイツは周囲から飛び抜けていた。

 真の天才とは、アイツのことを言うのだろう。


 俺は絶対に敵わないと思い、なるべく視界に入らないようにして、大学生活を送った。

(それが、こんなところにいるとは……しかももう、九星会きゅうせいかいに入るメンツと接触しているのか)


 九星会もそうだが、アイツには謎が多すぎる。

『夢』の中で俺は、亜門一族が運営している九星会をネットで調べたことがある。


 ただの政治団体だった。

 だがその成立は古く、二十世紀初頭にまで遡れるらしい。


 T大で亜門に心酔し、卒業後、九星会に入った同級生と飲んだことがある。

 ベロベロに酔わせて話を聞いたところ、もうすぐ悲願が達成されると、涙ながらに語っていた。


「二度の失敗、だが三度目こそ……」

 呂律ろれつが回っていなかったので、後半は何を言っているのか、聞き取れなかった。


「あのときの言葉……九星会の悲願って、一体何だったんだ」

 そんなことを考えていたら、いつの間にか家に帰り着いていた。


 いつ名出さんと別れたのか、思い出せなかった。


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