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048 カナダの話

 俺はいまの戸山開発について、それほど詳しくない。

 海外で日本人向けのリゾートを手がけていた程度の認識だ。


 会社のこととかを聞いてみたいが、さすがにそれは突っ込みすぎだろう。

 というわけで、最近のカナダについて、話を聞いてみた。


 神子島あきらさんは、誠実そうな人だ。

 最初は高校一年生が相手ということで、言葉を選んで話してくれた。


 だが、話についてこられると分かってからは、かなり突っ込んだ内容まで話してくれた。

「……というわけでカナダ政府は、天然資源の輸出依存から脱却しようといているのだと思う」


「なるほど、そのあたりの話は、まったく日本では報道されていませんね」

 森林や鉱物資源が豊富だが、それに寄りかかった貿易では先がない。


 世界中で工場化が進んでいることに目を付け、自国の産業を発展させようとしたらしかった。

 昭さんの話で興味深かったのが、日本の自動車工場建設だ。少なくとも、俺が読んだ新聞には、まったく書かれていなかった。


「ただの工場だから、関心が薄いのだろう」

 昔、カナダは高関税をかけて自国の産業を守ろうとしたらしい。


 国内製品を安く、外国製品を高くだ。

 だが、それをすると相手国も同様の措置をとってくるため、自国の輸出入が落ち込むことになる。


 関税率は徐々に下げられ、それにともない米国の企業がカナダに進出してきた。

 日本も負けじと、あり余る金で工場を建設していったらしい。その中で顕著だったのが、自動車産業だったようだ。


「現在、建設中のものも含めると、日本の自動車業界トップ九社のうち、実に八社がカナダに工場を持っていますよ」


「それはすごい話ですね。レジャーや不動産投資の話は知っていましたが、日本企業は早くからカナダに注目していたわけですか」

 聞けば、1980年代頃から、カナダには日本の自動車工場があったという。


「自動車業界については私も専門ではありませんが、アメリカに続けとなったのでしょう」

「なるほど、たしかにアメリカの自動車業界と戦うには、アジアに生産工場を持っていてもしょうがないですからね」


 おどろくことに、昭さんは博識だ。

 この時代について、俺が知らなかった情報をいっぱい知っている。


 この頃の日本人は、投機熱が高まり、諸外国の土地や美術品を買いあさっていた。

 なんにでも価値を見いだし、とにかく高値で買っていた印象だ。


 カナダもリゾート地としてターゲットにされていたのは知っていた。

 スキーやスノーボードのブーム、オーロラ観測のため、日本人旅行者が激増していたのだ。


 だがその裏で、自動車のシェア争いがあったようだ。


「いやいや、ここまで話すつもりはなかったのですが、なかなかどうして。先日、カナダ政府の役人と話したのですが、まさにそれを思い出しました」

 昭さんは、ふと我に返ったのか、そんなことを言いだした。


「いえ、俺も貴重なお話を聞けて、大変有意義でした」

 テレビや新聞に書かれていない生の情報は、この時代、値千金の価値がある。


「お返しになるか分かりませんが、三年前に締結された米加自由貿易協定べいかじゆうぼうえききょうていについてお耳に入れたいことが」

「ほう、カナダとアメリカが多品目で貿易関税を撤廃させたあれですね」


「ええ、近いうち、あれにメキシコが加わると思います。三国で交易が盛んになれば、インフラの整備や人の流入流出における様々な施設が必要となるでしょう。今後、日本人相手の商売もいいですが、そちらにシフトしていくもの一つの手かもしれません。もっとも、専門家の方には無用な言葉かもしれませんが」


「いえいえ……しかし、メキシコですか。それが成立すると、たしかに大きな市場が産まれますね」

 米加自由貿易協定発足当時、途上国のメキシコはまだそれに参加するほど成熟していなかった。


 だがこの数年で経済的な成長がおこり、政権が変わることで、アメリカとの関係も変化してくる。

 メキシコが加わり、そこに大きなマーケットが誕生するのだ。


「貿易協定は幅広い項目が対象となっていますし、人の移動も多くなります。開発事業はこれからと言えますね」

「なるほど、そうですね。……たしかに、日本人相手よりも……うーむ」


 昭さんも、メキシコが加わる効果を想像したのか、しきりと頷いている。

 昭さんが本気で悩み始めたため、奥さんと娘さんが、やや冷ややかな目で見ている。


 仕事の話をしにきたのではないのだから、当然かもしれない。


 実際、1988年の米加自由貿易協定は、わずか六年で終わる。

 メキシコが加わり、北米自由貿易協定ほくべいじゆうぼうえききょうていと名を変える。


 そしてこれは、米国・メキシコ・カナダ協定と名を変えて、ずっと続いていく。


 カナダは、アメリカから入ってくる大量の農産物や乳製品により自国の農家が被害を受けた。

 だが、産業の発展を成し遂げ、不況も一時的となり、わずかな期間で経済が上向いてくる。


 ずっと不況のままである日本とは大違いだ。

 戸山開発も、これからは日本人相手の商売はほどほどにして、ぜひとも大きく成長してほしい。


「あなた、それで今日は何しにきたのですか?」

「えっと……なんだっけ? あっ、いや、覚えている。覚えているから」


 そんな世界で活躍している昭さんだが、ただいま奥さんにシメられている。

 俺は悪くない……はずだ。




 華さんの両親は、俺に何度も頭を下げて帰っていった。

 帰り際、「あとは若い者だけで……」と言っていたが、これはお見合いではない。


 華さんも「お見合いじゃないでしょ、もお~」と、ちょっと声が嬉しそうだった。

 親子関係が良好なのがよく分かる。


「そういえばテレビで、相手に求める条件を『3高』なんていうらしいですよ。知っていました?」

 3高とは、高学歴、高収入、高身長のことだ。


 不況に入ると給与は上がらず、終身雇用制度も崩壊し、労働組合の活動も消極的になっていく。

 春闘しゅんとうという言葉も死語となっていく。


 九十年代以降、電車やバスのストライキで交通機関が止まるなんてことはまずない。

 公立の学校も教師たちのストライキで、二時間目から開始なんてこともなくなる。


 そんな時代に突入するからか、3高も存在意義が薄れ、反対に 低姿勢、低リスク、低依存、低燃費、いわゆる『4低』の男子がもてはやされるようになる。


 多くの女性は「4低プラス、次男以降」と言い出すのだ。

 もちろん「そんな男子なんて、どこにもいねーよ。いたとしても、すでに結婚してるだろ」と言われるようになるのだが。


「あー私の場合、そういう条件は関係ないからね! 好きになった人に尽くすタイプだし、ほんとお得ですよ」

「そうですか」


 なぜか華さんは、こちらににじり寄ってくる。

「とてもお買い得だと思うの」


 スーパーの見切り品みたいなアプローチをしてきた。


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