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082 詐欺師

 地面師じめんしとは、詐欺師の一種だ。

 土地所有者になりすまして相手を信用させ、自分が所有していない土地や建物を売ってお金をだまし取る。


 もちろん、地面師が用意する登記書類はすべて偽物。

 たとえ売買が成立したとしても、法務局はそれを認めない。


 所有権移転登記が失敗してはじめて、詐欺に気づくわけだ。


 バブル期は土地の値段が爆上がりし、多くの地面師が暗躍した。

 業者だけでなく個人の投資家でさえ、不動産投資に手を出したので、騙しやすかったのだろう。


 ちなみに、「これから値上がりする」と相手をだまし、まったく価値のない二足三文の土地を高値で販売する原野商法げんやしょうほうというものがある。


「持っているだけで資産になる」と言われ、多くの人が騙され、何の価値もない田舎の土地を購入した。

 バブル崩壊後、『限界ニュータウン』や『放棄分譲地』などという言葉が生まれる。


 そこそこの資産を持った素人投機家が食い物にされたのだ。

 このように土地をめぐる詐欺は、被害額が大きいため、だます側にも入念な準備になることが多い。


「どうしたのじゃ?」

「あそこに目立つ日本人がいますが、あれ、詐欺師です」


「なんと」

「もしかすると、今回の件の仕込みかもしれません。どうします? ポーカーフェイスはできますか?」


 それだけで老人は悟ったようだ。

「無論じゃ。本心を隠して商談くらい、いつものことじゃ」


「そうでしたね。……でしたら、気づかぬふりでいきたいと思います」

「わしは構わんが、おぬしの知り合いだとすると、やっかいじゃぞ」


「いえ、面識はありません。詐欺師と知ったのも別件ですので」

「ふむ。それなら安心じゃが……おぬし、首を突っ込みすぎではないか?」


 老人が不審な目を向けてくるが、それは濡れ衣だ。

 俺は目立たず雌伏することを信条としている……最近、達成できていないが、あちこち首を突っ込む性分ではない。


 そもそもこれは、『夢』で知った知識だ。の俺が、何かをしたわけではない。

 詐欺師の件はうまく説明できないし、ここは誤魔化しておこう。


「俺が知る限り、彼は地面師として活動しているはずです。そう考えると、見えてくるものがありませんか?」

「地面師か。戦後のドサクサでは、地面師がようおった。一時期、姿を消したが、このバブルで再び顔を覗かせおった……そうか、銀行の話!」


 うまく老人の気を逸らせたようだ。

 俺はゆっくりと頷いた。


 この巨額銀行詐欺事件は、地面師が詐欺を働くやり方によく似ている。


 偽の所有者を立て、周囲に偽の関係者を配置するなどはそっくりだ。

 書類を偽装しなければならないが、そこは地面師の本領発揮である。


 彼らは「なりすまし」と「書類偽装」のプロなのだ。

 そしてすべてが終わったら、姿をくらます。まさに現代の地面師そのままだ。


 老人もそれに気づいたのか、小さな声でうなりはじめている。


「なにもかもウソで塗り固めて、最後はドロン……ですかね」

「きゃつらのやり口はよう知っておる。おそらくそうじゃろう」


「詐欺師も知恵を絞るのでしょう。大分巧妙になっているようですよ。騙されないでくださいね」

 俺がそれとなく忠告を与えるが、老人は不敵に笑うばかりだ。


 戦後、なにもかも失った中で、老人は会社を支え、利益を出し続けてきた。

 人に言えない苦労もあっただろう。


 悪事に手を染めたことだって、あったかもしれない。

「馬鹿にするなよ、若造」と言った老人の身体は、一回り大きくなった気がした。


「おや、御同胞ですかな」

 俺と老人が注目していることに気づいたのか、くだんの人物が日本語で話しかけてきた。


 同胞とは通常、兄弟などの関係をさすが、外国でその言葉を使うときは、同国人を意味することが多い。

「どうやら、そのようじゃな。ここは知り合いが一人もいなくてのう」


 老人は、自然な感じで半歩前に出た。

 ここは任せろということだろう。俺は老人の陰に隠れた。


「そうでしたか。放っておくなど、本日のホストは何をやっているのかな」

「なに、わしらはいま、着いたばかりじゃ」


「でしたら、何人か知り合いをご紹介いたしましょうか?」

 男は気取った感じで周囲を見渡した。


「そうしてもらいたいところじゃが、わしは英語に疎くてな。なあに、このような老人の相手をしてもつまらんじゃろうて。それに人を見ていても飽きんよ」


「そういうことなら、私がお相手をしても? ……申し遅れました、私はこういう者です。神戸で貿易を営んでおります」


 男が差し出した名刺には『長田ながた商船株式会社 専務 小山田おやまだ一郎いちろう』と書かれていた。

「ほう、若いのに専務とは大したものじゃ」


「いえ、小さな会社ですよ。それにいまは何を持ってきても、日本で売れる時代ですからね」

 老人は頷いた。


 円高のこの時代、外国製品は日本で飛ぶように売れた。

 1980年代の中頃からは、商売眼や経営手腕がなくても利益を出すことが可能だった。


 思いつきではじめた商売でも、トントン拍子に黒字が出せた時代だったのだ。

 いまなら考えられないことだが、通りで貸店舗の看板を見つけたら、即契約して店舗を増やした時代なのだ。


 バブルが崩壊して、日本の不況が長く続いた原因のひとつに、『にわか経営者』が次々と倒産していった背景があると思う。


 なにをやっても儲かる時代から、なにをやっても儲からない時代に突入したことを彼らは理解できなかったのだ。

 老人と男の会話は続く。


「そうですか、GTM社の招待でここに……なるほど、あそこは大手ですからね。あやかりたいものです」

 名刺交換を終え、老人の素性を知った小山田と名乗った男は大げさに驚いていた。


 それが演技かどうかは、俺には分からなかった。

 会場を見渡せば、日本人は俺たち三人のみ。


 遅かれ早かれ、同国人同士、話すことになっただろう。

 それもまた、仕込みのひとつだったのかもしれない。


「ぬしの会社は、アメリカからは何を運んでおるのじゃ? わしのところでも扱えるかもしれん」


「個人向けの雑貨や、商社に頼まれた穀物が多いですかね。コンテナ船には負けますが、その分、小さな商いに対応している感じです」


 長田商船は、独自の運搬船をいくつか持ち、アメリカと日本を行き来しているらしい。

 といっても彼は詐欺師。名刺に書いてある会社も、本当にあるかどうかは分からない。


「ちょいと疲れてしまったのう」

 きりのいいところで、老人は休憩を求めた。


「そうですか。ではまたのちほど」

 男はキザな調子で会釈すると、俺たちから離れていった。あっさりしたものだ。


 壁に並んでいる椅子へ、老人を連れて行く。

 日本語を理解している者がいるとも限らないので、小声で会話をする。


「あの男、話した限りでは、知識も豊富。変なところはなかったな」

「それが商売ですからね。名刺は偽物でしょうね」


「だれかと交換した名刺ではないのか?」

帝銀ていぎん事件の例もありますし、それはないでしょう」


 帝銀事件とは、毒物を飲ませて銀行員を殺害してから犯行に及んだ銀行強盗事件で、十数人の命が失われた凶悪犯罪である。

 事件に使われた名刺は実在の人物のもので、犯人は名刺交換してそれを入手したと推測された。


 印刷された名刺は100枚。

 捜査関係者は日本各地を尋ね歩き、92枚まで名刺の所在を確認した。


 行方の分からない8枚の名刺の中から、生き残った人の人相証言と一致、被害額とほぼ同額の預金を事件後に入金、事件当時現場付近に住んでおり、当日近くを歩いていたなどから、一人の男が逮捕された。


 これは警察の地道な捜査もさることながら、名刺の持ち主が、名刺交換した相手(たとえ交換していなくても名刺を手渡した相手)の素性をすべて書き出していたからこそだろう。


 現代の詐欺師が、そういった些細なミスから身元を辿られるヘマはおかすことはないと考える。

「帝銀のあれは、悲惨な事件じゃった」


 老人がしみじみと言う。

「それでも一応、名刺の裏は取っておいた方がいいですね」


「うむ。パーティが終わったら、さっそく問い合わせよう」

 小山田と名乗った男に目をやると、大人しそうな金髪の美女に話しかけていた。


 彼が地面師として暗躍し、全国に指名手配されるにはまだあと二十年ある。

 その間、どこで何をしていたのか不明だが、もしかすると『夢』の中でもこのあと大金を得ていたのかもしれない。


 そしてバブル崩壊で少しずつ手持ちの金を失い、リーマンショックで大損する。

 思いあまって、「かつての栄光を」と詐欺を再開した可能性もある。


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