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092 帰国&お土産

 帰国した。


 俺と菱前老人が観光を楽しんでいる間に、日本行きのチケットを手配してくれた人がいたようだ。

 観光を終えてホテルに戻ったときにはもう、すべて用意されていた。


「しかし……老人の目は笑っていなかったな」

 はたから見れば、無邪気に観光する老人と孫の姿だったと思う。


 だが、観光しているにしては、老人の眼光が鋭すぎた。

 敵をどう料理してやろうか、そればかり考えていたのだと思う。


 気持ちは分かる。

 生涯をかけて発展させてきた事業を舌先三寸で奪い取ろうとしたのだから。


「今回ばかりは、光井みつい三美辞みつびじは、関係ないようじゃな」

 帰りの飛行機で、老人がそんなつぶやきをしていた。


 俺もこの巨額銀行詐欺事件、裏に日本の財閥はいないと思っている。


 用意されたのが外国人ばかりであること、日本の財閥と接点のない米国企業が関わっていること、接触してきた日本人はリトル東京出身らしいことなど、国内に根を張る財閥の手口とは似ても似つかないからだ。


 戦時中、お抱えの記者に鈴木商店の悪評を書かせ、その結果として米騒動がおこった事件がある。

 あとで漁夫の利を得た光井みついが暗躍していたようだが、日本の財閥が動くならば、日本で日本人を使うだろう。


 この詐欺事件は、それらの事件と大きく違う。

『夢』では、黒幕がいることだけは分かっていた。


 黒幕の正体として日本の財閥の名前はいくつか挙がったが、怪しかっただけで、証拠となるようなものは一つも見つかっていなかったと思う。

 やはり黒幕は、彼らではないだろう。


「お兄ちゃん、これがお土産?」

「そうだぞ。サイズも合っているはずだ」


 俺は妹の冬美に米国土産のTシャツを渡した。

「ええっと、サイズは合っていると思うけど……というか、少し大きいけど……だれこれ?」


 妹は首を傾げている。

「知らないのか? マイケル・ジョーダンと言って、シカゴ・ブルズの花形選手だ」


「………………へぇ」

 反応が悪い。


「NBAの公式グッズだぞ」

「あたし、こっちの方がいい」


 冬美は、各所に配ろうと大量に買ったチョコレートやクッキーの箱をいくつか持って、二階に上がってしまった。

 Tシャツは、ソファの上に放り出されたままだ。


「おかしいな。バスケットボールは、米国でもっとも人気の……そういえばこの時代、インターネットはなかったな」

 どうやら妹の冬美は、NBAのことをまったく知らないらしい。


「どうしようか」

 のちに永久欠番となる背番号23を着たマイケル・ジョーダンがプリントされたTシャツを手に持ち、俺は途方にくれた。




 旅行土産は、人間関係の潤滑油。

 学生のうちは、そんなことつゆほども考えなかったが、社会に出ると、そういった些細な配慮が人間関係の構築に役立った。


 出張土産を少し豪華にして給湯室に置いておくだけで、評価が上がったりする。

 社会人になってすぐそれを知ってから、ずっと実践している。


 出張では、会社が出してくれる滞在費は微々たるもの。その場合、安いホテルにしか泊まれない。

 だが自分で差額を出して高級なホテルに宿泊し、商談をそのホテルのラウンジなどですると、相手側の評価が一段上がったりする。


 その辺の調整を経理部とするときでも、旅行土産は欠かせない存在となっていた。

 というわけで、餞別をくれた吉兆院きっちょういんに、旅行土産を渡そうと電話をしたのだが……。


『じゃあさ、代々木公園で待ち合わせできるかな。明治神宮で、じいちゃんたちと安全祈願をするんだ』

「距離的にはそれほど離れていないからいいぞ」


 明治神宮で安全祈願か。おそらく大きな工事でもはじめるのだろう。

 土建業では、地鎮祭や安全祈願は昔から行われている。一般的な行事ともいえる。


 神社では安全と幸運をもたらす神がまつられているからという理由もあるが、祈願することで安全に対する意識を高めるのを目的としているのだと思う。


 待ち合わせ場所の代々木公園に向かった。

 少し思いついたので、中央線で新宿駅まで向かい、そこから歩くことにした。


 遠回りするように住宅街の中を歩く。

 この辺はまだ、古い一般住宅が多く残っている。


 家主が亡くなると、上がりに上がった土地の相続税が支払えなくなり、みな土地を手放すようになる。

 するとこの辺り一帯もビルかマンション、もしくは高級住宅に生まれ変わるようになる。


 時代の流れとはいえ、下町の風情が残るいまが最後の時間だろう。

 ゆったりと古い町並みの中を散策したあと、俺は代々木公園に入った。


愁一しゅういち!」

 吉兆院が俺を見つけて走ってきた。暑いだろうに、ご苦労なことだ。


「走らなくていいぞ。それとこれは電話で話した土産な。家族の分もあるから、一人で食べるなよ」

 吉兆院には事前に話しておいたシーズキャンディ。他にもチョコレートやクッキーなど、日本で売っていないお菓子の詰め合わせを渡した。


「おー、いっぱいあるね。これとこれは見たことあるかな」

「ハーシーだな、何年か前に日本に上陸したんじゃなかったかな」


「そうなんだ……それじゃ、いこっか」

「……ん? どこへだ?」


「じいちゃんに言ったら、連れてきなさいだって」

 土産を渡したら帰ろうかと思っていたのだが、呼ばれているならば行った方がいいだろう。


「安全祈願だろ? 会社の行事じゃないのか?」

「そっちは父さんがやってるんじゃない? ……じいちゃんは八宝菜するって言ってた」


「中華料理屋でも開くのか?」

「さあ?」


 吉兆院についていくと、老人たちが談笑していた。第一戦を退いた人たちだろう。

「じいちゃ~ん」


 吉兆院がまた走り出した。ある意味フリーダム。まるで小型犬だ。

優馬ゆうま、境内では走らないようにな」


「うん、分かった。それで愁一を連れてきたよ」

 老人たちの視線が俺に集まったので、軽く頭を下げておく。


「よく来てくれたの。ちと良くない卦が出たので、八方除はっぽうよけをしにきたのだ」

「なるほど、厄除けですか。ご一緒させていただきます」


 厄除けは本来、年の初めに行うものだが、老人は悪い卦が出たと言った。

 大難でも出たのだろう。それを小難に変えるため、わざわざこうして引退したような人たちを集めてここまで来た感じだろうか。


「ねえ、じいちゃん。八宝菜っていうの、とっととやっちゃおうよ」

 吉兆院は怖いものなしだな。あと、八宝菜は料理の名前だ。


 一体どのような卦が出たのか気になるが、いまこの場で安易に聞くべきではないと思う。

 吉兆院に急かされたわけでもないだろうが、老人たちは境内を進んで祈祷が行われる場所まで歩いた。


 相当な初穂料はつほりょうを弾んだのだと思う。

 神職が大勢集まって、あれやこれやとやっていた。


 厳粛な雰囲気の中、八方除が執り行われた。


 あとで知ったのだが、今回やってもらったのは、正式には『八難除』というらしい。これは日本で明治神宮のみが行える厄除けなのだとか。

『ありとあらゆる』と言えば語弊があるだろうが、数多くの災難に対応しているようだ。


 八難除では俺に通じないと思い、老人は八方除と言ったのだろう。

 つつがなく厄落としも終わり、老人たちは帰路についた……と思っていたのだが吉兆院がやってきて「じいちゃんが話したいって」と言ってきた。


 どうやらこのあと、俺に話があるらしい。

 菱前老人といい、年配者に縁があるのはなぜだろうか。


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