吉兆院建設の社長にして、優馬の祖父
というわけで、車に乗せられて都内を移動して着いた先は……老舗料亭。
「予約しておいた吉兆院だ」
「承っております」
なぜか予約済みだった。
目の前に広がる古風な建物。たしかに予約なしでは追い返されそうな佇まいであるが、予約?
吉兆院に電話したのは今朝のことなのだが。
というか料亭で話って……どこぞの菱前老人みたいに、俺を政治家かなにかと勘違いしていないだろうか。
「ここならば、内密の話もできる」
「そうですね」
料亭での話が外に漏れたら大スキャンダルだ。
どんな歴史があろうとも、客の話をホイホイ外部に売るような店なら、数年のうちに潰れる。
そういう意味では安心できるのだが……安心?
老人は外部に漏れると困る話をここでするつもりか?
「普通ならまあ
「どうぞ……」
ここまで来たら、焦ってもしょうがない。まずは食事を楽しむことにした。
黙々と食事を続けていると、峰男氏がおもむろに口を開いた。
「儂のところの話ではないのだが……」
これはあれか? 「友達の話なんだけど」と自身の恋愛相談をする乙女か?
そう考えると、目の前の老人がなんだか、ピュアでシャイに思えてくる。
まあ、違うと思うが。
「何かありましたか?」
俺は先を促した。
「取り引きのある会社……半ば配下のようなものだが、そこが株の投資をして、大きく損を出した」
「この時勢ですから、よくある……ことなのでしょうね」
老人は頷いた。そして爆弾を投げつけてきた。
「証券会社から補填を受けたようだ」
ガンと椀が卓に当たって音を立てた。
証券会社から、損失の補填を受けたと老人は言った。そして俺は、その先の流れを知っている。
すでに今年の六月、つまり先月だが、証券補填問題がニュースに取り沙汰された。
これはまずい流れだ。
いまの時代、大金を証券会社に預けて運用を一任している会社がたくさんある。
証券会社は、顧客から預かったお金を投資して、利ざやを稼いでいるのだ。
儲かるか損をするかはそこの社員の腕次第。
この資産運用は、それこそ元本すら補償されない。
これまでは良かった。
長い間、経済は好調で株価は上り調子。
よほど変なところへ投資しない限り、損をするといったことはなかった。
日本の経済が上を向いていたので、含み益を出すのは簡単だったのだ。
だが、これまでずっと上がり調子だった株価は、今後下降の一途を辿る。
しばらく我慢すればまた上昇に転じるが、いまはどの銘柄も下降している。
もちろん、業績が好調な分野もあるが、大勢の投資家が損をしている。
するとどうなるか、好調な銘柄を売りに出して、損の穴埋めをはじめる。
つまり売り市場では注文ばかりが増えてしまい、結果、どの業種でも株価が下がってしまうのである。
そんな中、大手……いや、最大手の企業だけは『損した部分を証券会社が補填』している事実が発覚してしまった。
「いま、テレビで話題になっている証券補填問題ですね」
老人が重々しく頷いた。
「儂が知る限り、補填を受けた会社はまだ一つだけだが、仲のよい社が他にもあってな。この問題がどう転ぶのか分からん」
「これまでの慣習とはいえ一部の会社だけ、損失を補填してもらったのですから、世間の目は厳しいものになるでしょうね」
バブルがはじけてさえいなければ、損失を補填していても、世間の目には触れなかっただろう。
ここに来て、一斉に株価が下がったことで隠蔽しきれなくなったわけだ。
そしてこの問題、ここで終わらない。
「社のイメージは悪くなるであろうし、この問題は一生ついてまわる」
俺は頷いた。
「そうですね。このあと国会の証人喚問にまで発展しますよ。証券会社のトップは交代、法改正されるでしょうし、このあともっと
捜査が進むうち、「元本保証」どころか、資金を集める際、本来やってはいけない「にぎり」と言われる「○%の利益保証」まで行っていた。
これは金融自由化で、企業が持つ資金を銀行に取られたくなかった証券会社が独自に行っていたことだが、もちろん不法行為である。
さらにこのあと、損失が出た株券を別の会社に一時的に移し、あたかも損失が出ていないようにみせかけるいわゆる「飛ばし」も発覚する。
つまりこのあと、証券会社は不正のデパートのような様相を呈してきて、それに便乗した企業が矢面に立たされることになる。
個人投資家が100万や1000万円を損したとしてもそれっきり。なのに企業だけは、損した分を補填してもらえたのだ。
その憎しみは、容易に想像できる。
企業は世間から叩かれるのは必然と言えよう。
するとどうなるか。株主総会で経営者が糾弾されることになるのだ。
そしてそれを恐れて、総会屋に現金を渡してしまうのである。
それはまるで、負のスパイラル。
何しろ、企業の瑕疵は損失の補填だけではない。
いま持っている株の含み損や、本来計上しなければならない損益などを隠蔽しなくてはならないのだから。
結局、総会屋に大金を支払ってその場を凌いだがいいが、問題を先送りしただけ。
10年、20年と経済が回復せず、ずっと不況時代が続いたことで、結局破綻への道へ突き進むことになるのだ。
ちなみにいまから数年後、元プロ野球のピッチャーで、芸能界に転身した地声の大きな芸能人がいるが、それが証券会社に運用させていた金が目減りし、「損失を補填しろ、借用書を書け」と証券会社社員を恫喝した事件があった。
昔からこういったことが、一部の人間の間では普通に行われていたのかもしれない。
「しかし、どうしたらいいかのう」
「補填された分を返却して経営陣の一斉交代。一時的に損を出してもいいから、運用している株の売却ですかね」
「そこまでせんと駄目か?」
「前に話しましたが、不動産価格の下落、金融の落ち込みは長期的な様相を呈してきます。いま不動産関連の株や建築関連の株を持っているのでしたら、早期に売り抜ける方がいいでしょう。崩壊に巻き込まれないためにも、損切りは早いほうがいいと愚考します」
「そこまでか……まいったな」
「俺の話以上のことがこの先、おこると思います。一応、製造業や輸出産業はこれから好調が続きますが、持って数年です。急激な円高で輸出産業は絶不調になります。そのときにはもう、海外に工場を持っていないと、世界を相手に戦えない状態になっています」
「…………」
峰男氏が遠い目をした。
「その話は興味があればそのうち……いまは、証券補填問題ですね。これは社会問題になります。下手に隠蔽しようとすると、結局株主総会で痛い目をみますし、今後何年にもわたって不況が続きます。経済が好調になったら返済するとか考えない方がいいでしょうね。損切りは今日明日にでもすべきです」
こんな一介の高校生の話をどこまで信じるか分からないが、せっかく頼られたのだからとある程度、このあとの経済の流れを伝えておいた。
帰りは車で家まで送ってもらったのだが、道中、峰男氏はしきりに建築業界の行く末について質問してきた。
よく考えたら、相手はその道のプロなのだが、俺が答えるべき案件なのか?
その日の夜、なぜか名出さんから電話がかかってきた。
「ねえ、聞いたんだけど、お土産があるんだって?」
だれから聞いたのか一目瞭然だったが、とりあえずとぼけることにした。
そしたら電話口で騒がれたので、結局翌日、お土産を渡すことになった。