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094 バンドブームとチケット

 お土産は、渡す側が催促されるものなのだろうか。

 少なくとも「いつくれるの?」と電話をかけてくるものではないと思う。


「偶然、今日空いたから、ラッキーだったね」

 待ち合わせの場所に到着早々、名出さんはそんなことを言いだした。


 なぜか俺が、予定を空けてもらったことになっていた。

 ここはガツンと言ってやらねばならない。


「別にこのまま帰ってもいいんだぞ」

「うにゃ~~! お土産ぇ!」


 背中の毛を逆立てる勢いで名出さんは抗議してくる。

 だが考えてほしい。持ってきた土産は、ただのチョコレートだ。そこまで欲しがるものなのか?


「そんなに威嚇しなくても、やるから。……神宮司じんぐうじさんと仲良く分けろよ」

「もちろんよ。ちゃんと、あやめにも渡しておくから」


 名出さんはニコニコ顔だが、待ち合わせに来た当初は、やや不機嫌な顔をしていた。

「それで、予定が空いたと言っていたが、今日は何があるはずだったんだ?」


「そう! 聞いてよ。なんか定員になったとかで、ライブのチケットが取れなかったの。メジャー前の最終ライブだったのに……もう、ガッカリ」

 名出さんが推しているメジャーデビューしていないロックバンドのライブがこのあと、あるらしい。


 旧メンバーは解散することが決まっていて、今日が最後のライブだったとか。

 メジャーデビューするにあたって、メンバーの入れ替えや補強はよくあること。


 もとからのファンからしたらたまったものではないが、商業ベースに乗せるのだから仕方ない。

 そしてこの最終ライブ。小さなライブハウスで行うようだが、これまで定員なんていうなことはなかったらしい。


 急遽定員制が導入され、名出さんはチケットが買えなかったことが不満なのだ。

「そういえば昨年、どこぞのライブハウスで、群衆雪崩による圧死事件があったな。そのせいで定員制が導入されたのだろう」


 バンドブームは数年前からおきており、最近、ギターケース担いで町を闊歩する若者が増えた。

 地下鉄に乗ると、一人や二人は必ずケースに入れた楽器を持っていたりした。そのくらい、一般にも浸透してきたのだ。


 そのせいか分からないが、この時期、大型のドームや球場があいついで誕生した。

 八十年代末にできた東京ドームを皮切りに、福岡ドーム、大阪ドーム、名古屋ドームなどは、コンサートや野外イベントにも積極的に使われている。


 著名なアーティストは武道館やドームでコンサートを開くが、いっぱんのバンドはどうしているのか。

 彼らの活動場所は小さなライブハウスで、狭いスペースに素人バンドマンとそのファンが集まっていたのだ。


「定員なんてやめて、限界まで詰め込めばいいのに。満員電車を見習えばいいのよ」

 名出さんが無茶苦茶なことを言っている。


「そういう考えが圧死事故に繋がるんだぞ。満員電車なみに詰め込んだら、いつかどこかで死者が出る」

 この時代の満員電車を一言で表すと『通勤地獄』だ。


 乗車率はすさまじく、駅員が乗客の背中を押してなんとか電車内に押し込んでいたのだから。

 あれが日常というのだから、この時代の通勤は恐ろしい。


 このラッシュアワーはさすがにまずいと考えたのか、この時期から始業時刻をずらす運動、いわゆるフレックスタイム制が導入されるようになった。


 週休二日制とフレックスタイム制のサラリーマンをエリート視したのが広瀬香美の『ロマンスの神様』だろう。

 この歌が登場するのはもう少し先だが、優良男性をチェックするときの指標になっている。


「まあいいわ。友達に頼んでおいたから」

「……?」


「これとこれよ! チケットを取った友達が見つかったから、写真と録音をお願いしたの」

 名出さんは、カメラと感度400のカラーフィルム、それに小さな録音機器を鞄から取り出した。このあと友人と会って、それらを渡すらしい。


 映像や音楽がデジタルになると一気に需要がなくなるが、この時代はまだフィルムカメラでしか写真が撮れなかった。

 とくに一眼レフのようにシャッタースピードを調整できない普通のカメラでは、室内や暗い場所での撮影は本当に苦手だ。


 カメラが対応していないのだから、フィルムでなんとかするしか方法がなく、少ない光量で写真を撮る専用のフィルムが売られていた。

 それがフィルム感度で、一般的には感度100。これは日中、屋外で撮影するときに適している。


 名出さんが取り出した感度400は、普通に売られている感度の中ではかなり高い方で、室内で電灯をつけて撮影すると、全体的にオレンジ色になってしまうことが多かった。


 どの程度の明るさでどの感度のフィルムを使うかは、完全に経験に頼るしかなく、失敗も多かったのだ。

「ライブだと、照明が一箇所に当たるから、その感度だと明るすぎるぞ」


「そうかな? でも周囲はまっくらだよ」

「天井からのライトに反応して、写真の上部がオレンジ色に染まるぞ。フラッシュを焚けないのは分かるが、少し感度を落とした方がいい」


「うーん、そうなのかなぁ……でもこれ、高かったんだけど」

 名出さんは、お小遣い足りるかなとブツブツ言っている。


 本当にこの当時の屋内撮影は失敗が多く、プロレスの試合を撮影したら、48枚全部ピンボケしていたなんてこともあった。

 光量が足らないと、動きのあるものを撮影するのはとても難しかったのだ。


 そもそも日中の屋外でも、逆光撮影は厳禁だった時代だ。

 写真を撮るとき、被写体は太陽の方を向いたのだ。撮られる側はいつも眩しいのを我慢するのがこの時代の常識だった。


 もうひとつ、録音機器の方だが、これはカセットテープを使うやつだ。

 工事現場で使用しているのか、あちこち傷がついている。


「これはお父さんが使っているやつじゃないのか?」

「うん。りんじょー? よく分からないけど、それに使ってる」


「臨場な。現場監督だって、自由になんでもできるわけじゃない。施主や雇い主の意向が最優先される。彼らが現場に来て、追加や変更の指示を出すことがある。聞き間違いや勘違いを防ぐために、現場の変更はそれで録音しておくのだ」


「へえ……お父さん、よく考えているんだ」

「言った、言わないのトラブルを防ぐための常識だな」


 実際、意思疎通がうまくいかずにトラブルになるケースはいくらでもある。

「庭に飛び石の道をつくってくれ」と業者に頼んだ施主は、ゆるやかにカーブするささやかな道を想定した。


 だが実際にできたのは、庭の木々を伐り、根を掘り起こし、幅広の直線の砂利道だった。砂利道の中央に飛び石が配置されていたという。風情も何もあったものじゃない。

 頭の中にあるものを人に伝えるのは、本当に難しいと思う。


「まあ、失敗してもその友達のせいにしないようにしろよ」

「分かってるよ……そんなことはしない」


 このあと名出さんは、その友達と会うというので、ここで別れた。

 やれやれと思って家に帰ると、菱前老人から電話がかかってきた。


「お土産の催促ですか?」

「なんのことじゃ?」


「……いえ、なんでもないです。それでどうしました」

中日なかびにワシとあの詐欺師で出かけたじゃろ? そのとき部下にこっそりついてきてもらったのじゃ」


「追跡ですか? よく見つかりませんでしたね」

「うむ。そのときの写真ができたので、お主にも見てもらおうと思っての」


「……お役に立てるとは思えませんが?」

「あの詐欺師のことは知っていたわけじゃし、他にも何か気づくことがあるかもしれん」


「なるほど、それはそうですね」

 というわけで、俺はまた菱前老人と会うことになった。


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