12月24日、二学期の終業式。
成績表を受け取り、冬休みの諸注意を受けた。
「う~……」
名出さんは机に顔を突っ伏して轟沈している。
理由は明白。「お小遣いが~」と聞こえるが、同情の余地もない。
一喜一憂している生徒が多い。大事なのは成績ではなく、自分がどれだけ習熟したかだが、あまりそう考えている者はいないようだ。
新たな目標ができた俺は、毎日少しずつ未来の経済の動き、世界情勢の流れを書き起こしている。
これが役に立つ日はまだ先だが、いずれ何らかの形で世に出したいと考えている。
「なあ愁一。今日、オレん家でクリスマスパーティしない?」
吉兆院がまた面倒なことを言い出した。
「クリスマスは家族と過ごせ」
「プレゼント交換とかしたいじゃん」
「家族とやれ。あと交換するならクリスマスカードでもいいだろ。俺を巻き込むな」
吉兆院は相変わらずだ。何か思いつくと、まず俺を巻き込もうとする。
「なになに? クリスマス会やるの?」
名出さんが復活した。いいことだ。そっちを誘ってもらいたい。
名出さんは、帰り支度をはじめている神宮寺さんの袖を引っ張って、「あやめも行くでしょ」と朗らかに尋ねている。
すでに名出さんの中では、クリスマス会はやることになっているようだ。
「……吉兆院くんの家?」
庶民的な神宮寺さんは、実はあまり吉兆院家に近づきたがらない。
以前「ああいう成金とは違った家って苦手なのよね」と言っていた。
リミス令嬢である名出さんは、神宮寺さん的に成金の部類なのだろう。
リミスは名出さんのお父さんが立ち上げて、まだ代替わりしていないので、正しい認識ではあるが。
「じゃあ、四人でやりましょう!」
いつの間にか、俺の袖も掴まれていた。
「パーティは夕方からでいいよね? 交換用のプレゼントを持ち寄ろうか」
「プレゼントね! 上限はいくらくらい?」
「五百円でどう?」
「オッケー、五百円ね。何がいいかな……」
俺は参加すると言っていないが、次々と詳細が決まっていく。
「料理はお手伝いさんにお願いするから……お菓子は買ってきた方がいいかな」
「飾り付けも必要よね」
「手分けした方がいいな」
「それじゃあたし、買い出ししてくる!」
「一人だと大変じゃない?」
などという会話があった結果……。
「にゃ~にゃにゃ、にゃにゃにゃ~、にゃにゃにゃにゃにゃ~……」
俺は、名出さんと買い出しに行くことになった。
よく分からない歌を口ずさんでいる。いや歌か、これ?
数年前にヒットした歌謡曲っぽいが、俺に名出さん語は判別できない。
買い出しは男子がいた方がいいだろうという話になったが、家主である吉兆院は飾り付けを担当。
神宮司さんが飾り付けを手伝い、俺が名出さんと買い出しをすることになった。
こうなるともう、「俺はクリスマス会に参加するとは言っていない」と伝えたところで意味はない。
一年の付き合いでよく分かった。なんだかんだ言われて、結局参加することになるのだ。
というわけで、新宿に買い出しに来たのだが……。
「なんでこう、菓子の指定が細かいんだ?」
買ってくる菓子の種類だけでなく、「味」まで指定してある。
「どうせ買うなら、好きなお菓子の方がいいでしょ」
名出さんが、不思議そうな顔をしている。
「味なんてどれも一緒だと思うが……ん? 迷子か?」
ここは新宿駅。双子と会った日のことを思い出して、周囲を眺めていたら、迷子らしい少女を発見した。
「ほんとだ。迷子みたいね」
小学生くらいの女の子が不安そうな顔で、案内板や周囲の人混みを見ている。
「今日はイブだからな。買い物客が町にひしめいている。親か友達とはぐれたのだろう」
携帯電話やスマートフォンで連絡を取れるようになるのはまだ先だ。この時代、はぐれたらもう、偶然見つける以外に方法がない。
「ねえ、迷子?」
名出さんが女の子に話しかけるが、その子の顔に既視感があった。
以前どこかで見たことがある。といっても、かなり昔だ。それなのに既視感があるということは……。
「元妻か?」
「んん!? 妻?」
名出さんが反応した。いま、それはいい。
少女の顔をよく見る。昔別れた妻に似ていた。
離婚して二十年以上。いまとなっては顔もおぼろげだが、この不安そうな表情に妻の面影があった。
俺より四歳下なので、いまは小学六年生。年齢的にも合っている。
少女は、ポカンとした顔で俺の方を見ている。
「迷子か?」
少女はコクンと頷いて「お父さんとはぐれちゃったの」と言ってきた。声も似ていると思う。
「ねえねえ、妻ってどういうこと? 結婚の約束でもあるの?」
名出さんはふしゅーと威嚇してきた。
「名前は?」
「……
やはり俺の元妻だった。
彼女とはあるパーティで知り合って、数度会うだけの交際をしたあと結婚した。
俺としては都合が良かったが、あとでなぜ結婚を承諾したのか聞いてみた。
――昔、駅で迷子になったとき、肩車してくれた人に似ていたから。
彼女はそう言っていた。
駅で迷子とは、ここのことだろうか。俺が見つけなくても、だれか親切な人が彼女を肩車したのだと思う。
そしてその人物は、俺に似ていたのだと思う。
「お父さんを探すんだな。だったら俺が肩車しよう」
俺はその男性の代わりに彼女を肩車すべきだろう。
それで父親は見つかるはずだ。
「ねえ、『妻』のこと、まだちゃんと聞いてないんだけど」
名出さんを無視し、少女を片方の肩に乗せて立ち上がった。これも肩車のひとつだろう。
「お父さんは見えるか?」
視界が一気に高くなったからか、少女は戸惑ったが、しばら人混みを眺めたあと、大きく手を振った。どうやら無事、見つけたようだ。
「ありがとうございました」
『夢』の中で義父だった男性が、俺に頭を下げる。
小さな部品工場で働いているはずだ。それ以外のことは知らない。
本当にあの頃は、仕事以外に興味がなかった。
記憶の中の義父より若いが、そもそも義父の顔をよく見たことなどあっただろうか。
「いえ、見つかって良かったです」
そして名出さん。なぜ「ふしゅー」と威嚇する?
少女を義父だった男性に渡し、俺は彼女の目線までかがんだ。
「幸せにね」
少女は一瞬だけ驚いた表情をしたあと、少し頬を赤らめながら、コクンと頷いた。
親子は一度だけ振り返り、俺たちに頭を下げたあと人混みの中に消えていった。
「う~~、結局、妻ってなんなの?」
名出さんがうるさい。
「買い物にいくぞ。まだリストに残っている菓子がいくつかあっただろ」
「だから妻ってどういうこと?」
歩き出したが、名出さんの追及が止むことがない。
「ほれ、こっちに来い」
俺が促すと、名出さんが「にゃ~」と腕に手を回そうと近づいてきた。
俺は初めて会ったときと同じように、名出さんの肩を抱きしめた。これで静かになるだろう。
「……う」
「う?」
「うにゃぁああああああああ~~~!!」
新宿の町に、名出さんの絶叫が響き渡った。
その日、東京に初雪が観測された。
〈了〉