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白黒バイナリー04

「茨戸創さん。はじめまして、新羅の羅白黒と申します」


「ルオさん、よろしくおねがいします。さっそくですが、事業のお話を聞きしたいと思いましてーー」


「ヘイ・ハイツ」


 え?


「パイ・サクラ」


 彼はにこやかに、笑っていない目で言った。沈黙を選んだ俺を見て続けた。


「どちらも私の娘の名前です。片方は名前ですらありませんが」


 そう言うと、代表取締役であるルオ氏は冷蔵庫からペットボトルの無糖の紅茶を二本取り出し、そしてそれぞれの前に置いた。やはり流行のおもてなしはペットボトル。 


ヘイ孩子ハイツ。いわゆるひとりっ子政策で出来た無戸籍の子供のことを中国ではそう呼びます。子供は一人だと国が言っているのにも関わらず、二人目の子供ができてしまった。よくあることなんですよ。でも、親はルールに反しないようにしないといけない。だから、ふたり目を戸籍に登録しないんです。戸籍上の登録がない子供は、無戸籍ゆえに国民として認められておらず、学校教育や行政サービスを受けられない。その為、ふたり目以降が人身売買されることなんて、それこそ当たり前のように行われていたんです。彼女もそんな子供のひとりです。名前すらつけられなかったので、本当の名前すら持っていません。かわいそうなことに」


 一昔前の話ですが、と彼は注釈をつける。全てを見破られていることに確信した。オーガナイザーは立ったまま、寡黙を貫き、目線で話の続きを促した。彼はペットボトルを開けて紅茶を一口飲み、微笑みを維持して続けた。 


「ハイツとサクラは幼い頃中国にいましたが、母親に連れられて、というより拾われて日本に来ました。二人とも無戸籍で孤児。別々の土地で生き延び、違う土地で拾われて姉妹になった。ほら、二人とも中国人っぽいなまりとか無かったでしょ。自然で日本人のような日本語だったでしょう。ずっと日本で暮らしていましたからね」 


 そのとおりだ。名前を聞くまではイマドキの女子高校生だと疑うこともしなかった。話しかけられたときも、違和感の無い喋りに彼女らが日本以外の国籍であるなんて、疑うことはなかった。きっとボランティアの人たちが高校への通学の面倒を見ているのか、あるいは世間を騙すために制服を着せているのか。シロクロ姉妹が日本で生きていくために。 


「私はこう見えても事業に成功していまして。子どもたちへの支援事業も行っているんですよ。あの子達の母親から話を受けたのも、ああ、もう十年以上前になりますかね。面倒を見たんです。なんでも国に帰されるとかなんとかで。泣いて頼んできたので養子にもしてあげました。もちろん、形の上ではそのようになっていますが裏では養子を組んだ事実はありません。いつでも覆せる。しかしこの国では、そんなこと誰も疑わない。とても簡単なことですよ。それが最近のことなんですが、ふたりが私のことを詐欺師だ、悪者だと言いましてね。彼女たちが私の仕事を糾弾し始めたのは最近です。なにかと邪魔をされたりして、ほとほと困っています」 


 羅氏は、また紅茶を飲んだ。毒なんか入っていませんよ、と言うように。 


「雁来成哉さんのお名前は度々耳にしています。一緒に事業ができるなら光栄なことこの上ない。できれば、本人に会いたかったですけども」 


 彼は作り物の笑みを浮かべた。こちらの考えを見透かすような、余裕のある笑みだ。俺は向かいに座った。まだ紅茶には手を付けていない。 


「質問よろしいでしょうか」 


「ええ、もちろん。どうぞ」


「あなたの事業というのは、具体的にどのような事業をされているのでしょうか」


 よくぞ聞いてくれた、と彼はタブレット端末をどこからから取り出した。待っていました、と。


「日本企業のIT化促進をお手伝いするのが主です。中国はかなりまえから国が計画して進めてきましたから、いまや世界的な企業が多くあります。たとえば、ほら。この中のいくつかは聞いたことがあるでしょう?」


 羅氏はタブレットを操作すると、パワーポイントを開いた。そこには、最大手の検索サービスから短い動画投稿アプリを経営する会社、FPSの人気ゲームの会社。どれもどこかで見たことのあるサービスばかり。どうやら、自分の国がいかに成果を上げているかを示したいらしい。彼の会社はまだ無名だが、それはターゲットを日本としているから、だろうか。 


「国内でも、世界的にも一気に飽和してしまった感が業界では多少なりともあります。でも日本はまだまだ市場価値を秘めている。私は、そのお手伝いをしたいと思っているんですよ」


「……この、仮想通貨ってのは何ですか?」


 聞いたことはある。しかし、ここにいるオーガナイザーは若者なのにそういうことに関しては疎かった。街を歩いて見える景色だけが現実じゃない例のひとつだな。昔から続いているネット社会のことはよく知っているが、専門業界についてはにわかである。知らないことが次々と増え、古いものを塗り替えて世の中の新常識にすり替わっていく。新しいと思ったことも、もう古いなんてことが当たり前なのだ。仮想通貨ももう古いかもしれない。


「金融取引の一つですよ。雁来さんならご存知だと思いますよ。まあ、そうですね。仮想通貨は分かりやすいから、手を出しやすいんですよ。少し話が変わりますが、似たような話でFXも人気が非常に高いんです。特にこの日の国では、話題だとなればなんでも食いつく。気軽に、手軽に調べてわかったつもりで手を出す人が多い。ある程度は把握していましたが、私もこちらで仕事をしていなければ、ここまで過熱しているとは知らなかったでしょう。利益があがりやすいので、ありがたいばかりですが」


 俺はここでようやく紅茶に手を伸ばす。


「さきほど娘さん達に『困っている』とおっしゃっていましたが、具体的にはどう困っているのですか?」


「ああ、それは先程も言いましたが、糾弾してくるんですよ。彼女たち」


 羅氏は飲み物を半分ほどまで一気に飲んで、また綺麗な笑みを浮かべながら続けた。


「いやね、なんでも私が“違法”なことをしている、悪いことをしているっていうんですよ。しかし、彼女たちの言うことを聞いてみれば、それは自分の母親の話だったわけですよ。あの子達は少しですが、便宜上留学生という扱いなので、どこからか奨学金を貰っています。もちろん私も面倒見てるんですよ? 仮にも養子扱いですからね」


 続ける。


「そうですね、簡単に話せば、その母親が金融商品に嵌り、当時、何年か前ですが娘の奨学金までつぎ込んでしまった。そんなところです。先程お話したとおり、私の会社は企業の仕事効率化から仮想通貨、FX投資まで幅広くやっています。素人でも少額から手を出すことができますし、知識がなくても目先の金ぐらいは稼げる。勉強すればもっと良くなりますしね。何もやましいことも、悪いこともありません。姿カタチが、ルートが変わっただけで仕組みは昔の取引と変わりません。名前と見てくれに騙されているだけですよ。マネーゲームに近いけど、違うかと」


 冷たい笑顔は続く。


「取り引きの一つに、彼女たちの母親が奨学金を突っ込んでしまった。そう聞きました。その取り引きは簡単。ハイアンドローで予想して当たれば配当金がもらえ、外れれば没収される。そんな単純な取引なんでそれこそ誰でも手を出しやすいんですが、実は専門知識が必要とされる商品。手を出しやすいが、失敗もしやすい。生活費を注ぎ込む人も少なくはなく、このような“典型例”はよく耳にします。いや、ホント良く聞くんですよ。だから珍しいことではない。だからこそ、困っているんです。母親の失敗は私のせいではありません。誰が悪いかといえば、それは彼女たちの母親です。私を憎むのは見当違いです」 


 彼は呆れ顔で言った。自己責任ですよ、と。平然と。それが常識で当たり前だって。


 俺は同意するように、心では肯定せずに言った。


「なるほど、聞いたことがあります。そもそも自己責任という言葉は金融業界の用語だと。正確には自己責任原則だったかな。取引は投資者の責任と判断のもとで行うべきだ、有価証券等の取引で失敗して大損をしても、それは自ら負担すべきという原則。そんな感じだったような」


「そうです。そのとおりです。そうなんですよ、いや、さすがにご存知でしたね。失敬、常識を問うようなことを申しました」


 彼は理解されたものだとホットしたのだろう。笑みがやや自然なものとなった。そして、だからだろうか。こんなことをポロリと言ったのだ。


「あの子供だけならどうでもいいんですけどね。面倒なのがヤクザ。ジャパニーズマフィアですよ。これまた縄張りだなんだと、まるで畑違いなのに顔を出して来まして。“氷永会”とか言ったかな。イマドキみかじめ料だなんて、マフィアですら素人相手にそんなことやる時代じゃないですよ。困ったものです、本当に」


 良いことを聞いた。その会の名前はとても馴染みのある言葉だ。俺は心のなかでほくそ笑んだ。微笑みを続けるルオ氏のように。瞬時に、一気に作戦ができた。これは間違いなく最強作戦だ。


 羅氏は最後に言った。


 創さん。お金に困っているなら、いい仕事ありますよ? 彼は平気でそんなことを言ってきた。俺は丁重に断った。この男は俺が雁来成哉の会社の人間ではないと判断して、姉妹サイドの人間ならばいつでも潰せると言ったのだ。ヤクザの話をわざわざ持ち出したのも自分の裏にはバックが、強い後ろ盾がいることを匂わせたかったのだろうが、おそらくハッタリだ。まさか氷永会を敵に、真正面から戦うつもりだろうか。無謀な。もしかすると、いや、もしかしなくてもあわよくばこの男はこの街を手に入れようとしているのか。表ではなく街の裏側を。もちろん、この街には表も裏もないんだけどな。勝手に認識しているだけだ。それは誤認。


 成哉の名前に反応して俺を招き入れたのはなにか仕掛ける算段があったのかもしれない。きっかけを、機会を待っていたからかもしれない。いいぜ、それなら教えてやる。欲張ると何も良いことがないことを。おとなしくアイティーしてれば良いことを。この街がどんな街で、この街に敵対するつもりの人間には容赦しないことを。何度も言うが、この街にやってくる人は拒まず歓迎しないが、拒否も拒絶もしない。仲間になりたいと言えば、それは喜んで受け入れるだろう。いい街だぜ? 住みやすくて良いところ。大都会だしな。余計なことしなければタカの組の名前も雁来成哉の名前も聞かないで済む。真面目に不真面目に働き、普通の生活をしていれば無縁の組織と人間だ。試される大地を楽しめるよ。



 ※ ※ ※



「バイナリーオプションだな、それは」


「なんだ、それは?」


「おいおい、シティのオーガナイザーはそんなことも知らないのか。ガキの子守しすぎたんでないの?」


「知らないよ、そんなの。頼むよ、お前しかいない」


「ったく、ネットで調べなかったのかよ。仕方のないやつだ」


 夕方の日暮れ頃。綺麗な橙色が空を染め上げた時間。街のトラブル解決屋さん、茨戸オーガナイザー様から電話があった。氷永会のタカと茨戸創、あとはIT企業の社長様の三人は高校時代からの付き合いだ。厄介なことに、黒い悪縁が邪魔をして電話をいつも断れない。彼は夜の帳が降りるまで、賭場理・・・の時間が来るまでだけだと念押しして時間を作った。念の為付近に組員を数人置いた。


 タカは煙草を吸いながら創の話を聞いた。オーガナイザーが言うには、なんでも留学生という名目で亡命してきた姉妹がいて、その奨学金を金融商品に突っ込んだ母親がいたらしい。その姉妹から父親の殺害依頼を受けているらしい。母親の娘二人、仲良し姉妹は父親に嵌められたと思っているわけだ。その金融商品は至ってシンプル。ハイアンドローを選んで簡単に賭けることができ、誰でも手を出して誰もが失敗するのだというのなら、それは間違いなくバイナリーオプションだ。俺は創に向かって「殺しちゃえば? 何なら、友達のよしみで手を貸してやろうか?」何て、冗談を言ってみたが、「冗談じゃない。そんなことできるか」と返されてしまった。ったく、冗談が通じないのは成哉だけにしてくれよな。まったく、つまらねぇ事しか持ち込まないやつだ。そういや創のやつ、あれでも子持ちだったけか。子供には弱いのかね。 


「でもあれだろ、子供の方は親殺したいぐらい憎んでいるんだろ?」


「さあな、本当のところはどうだろう。親と言っても名前ばかりで、育ての親ですら無いことは俺でも分かった。本当の親の、まあたぶんこっちも本当の親ではないんだけど、その育ての母親はたぶんもう死んでいる。白黒姉妹は何も教えてくれないけど。まあ、憎んでいるっていうか、どうしようもないんだと思う。殺意を向けられた父親の本人ですらそれを素直に認めているんだ。突然の不幸を嘆いて、頼れる大人を失った悲しみと行き場のない悔しさだけが残った。やるせないんだろ」


「なんだよ。創は子供の気持ちが分かるってか」


「さあな、どうだろうね」


 俺にはわからんがね。子供の気持ちなんて。 


 それからまた新しく火をつけた。


「仕方ないから説明してやる。よおーく聞いておけよ? 一回しか言わないからな。バイナリーオプション取引って言うのは、為替相場とか株価指数とかが決められた期間での騰落を予測して、当たったら賭けたチップに利益が上乗せされて払い戻される金融取引の一種だ。簡単に言うと、株価が三分後今より高い? 低い? って賭けて当たれば賞金、負ければ没収。時間はすごく短いものから長い時間まで様々。金額も十円単位のちいさいやつから何百万とデカいものまで幅広く。本当は資格が必要なんだけど、簡略されて登録を代行してるサービスばかりだから実質いらない。大学生のアホとかがよく嵌まるんだ。必ず当たる儲かるって誘われてな。あれは登録して始めてすぐに結果が出るから、FXの知識ないやつとかでも分かりやすくていいんだろ。何回かやって、次第に当たらなくなると、負けた分を取り返そうと思って必死になる。そこに必勝法のデータが入ってると、嘘のユーエスビーとかを高額で売る奴らがしたり顔でやってくる。認証された真っ当な業者のサービスを利用しているトレーダーなら、まず誰かにヘルプを求めたりしてこねぇ。騙されたなんだってのは“百”違法だ」


「なるほどな、やっぱりそうか。いや、なんとなくは俺でも調べたんだよ」


 何だよ、それを先に言え。タバコの本数が無駄に増えるじゃねぇか。 


「羅白黒」


「んぁ?」


「なあ、そっちで羅白黒ルオパイヘイって名乗っている男を聞いたことないか。所場を請求されたりして、ヤクザに目をつけられているって言っていた」


「おい、創」


「なんだよ、」


「そいつ。そのルオってやつ、会社とか企業とかをシンラって言ったりしなかったか」


「ああ、出会ってすぐに『新羅の羅白黒』ですって言っていたよ。紹介された会社のホームページにも大きく書かれていたしな」


 はは、おいおい。それはとてつもなく愉快だな。 


「なあ、創。“シンラ”って言うのは朝鮮半島三国時代の新羅、と同じ漢字か?」


「ああ、そうだ。ffの方じゃない。高句麗、百済ともう一つの」


「そうか。そうかよ。そいつはいいこと聞いた。だから俺を呼んだってわけか。いや、まったく。運がいいな、お前。どこにでも、ありとあらゆる方面に首と顔を突っ込んでいやがる。創、もう少し詳しく話せ。ルオパイヘイって名前に覚えはないが、IT企業を名乗る新羅っていう業者さんなら、それが中華系なら、それは氷永会おれたちが絶賛追いかけっこしてる相手だ」 


 まったく、この街は退屈しないね。お互いに。


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