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白黒バイナリー05

 妖刀使いはその夜、そこに現れた。


 そこは賭場理場。いや、違うな。利害と考えると賭場“利”場か。


 虫の鳴き声すら聞こえない都会の狭い路地であろうと、時間が経てば夜は訪れる。寝るにはまだまだ早い時間だが、子供は寝るべきだ。


 健全な街、すすきの周辺から少し離れ、“ホウスイ”の方へ行くといくつか怪しい店が増えてくる。花魁街とはまた別の欲望渦巻く町だ。向こう側が観光客とビジネスマン、好奇心を抑えられない大学生向けの性欲街ならば、こちらは占めて一攫千金のドリームってところか。まあ、ドリームっていうほど夢はないのだが。 


 現実しかないのだが。


 ホウスイは飲めや騒げや蟹だ寿司だの観光店とは毛色が変わり、どちらかと言うとオシャレで上品な大人の飲食店が多い。人でごった返すことはないので、即席カジノを建てるには最適だった。それが賭場“利”場。


 その夜、借金男が逃げた。逃げたが、逃げたところが悪かった。逃げたその先に人影が現れた。それは闇夜に紛れて影のように暗かった。だから、その正体に気づくのに遅れた。


「誰だ! くそぅ、もうこっちに人が回ったのかよ」


 そんなことを口にした次の一瞬。その影は間合いをゼロ距離にまで詰め、刀を振った。それは顔をかすめ、当たらなかった。


「な、なんだ、お前! ヤクザじゃない……新手の敵か」


 その言葉は正しかった。彼にとってそれは敵で間違いなかった。影にとってもこの人間は敵だったが。


 ふと月明かりが差し、男はその姿を見た。正しく認識した男はあまりに驚いた。体勢を崩して尻もちをついた。そして慌てふためくようにして、おっとり刀で逃げ始めた。


「た、助けてくれ」 


 その人間の事情としては借金に身を包み、ヤクザから逃げるに逃げられなくなったため、その宵最期の賭けに出た。しかし失敗した。だから逃げた。それこそ絵に描いたように逃げ出したわけだが、この男は逃げ足が速かった。ヤクザも半グレも取り立て屋も足が速かったが一歩追いつかなかった。その手の稼業を生業とする人間は、小説や漫画のようなお決まりの場面によく遭遇する。周囲や外野が思うよりも遭遇しがち。だから頻繁に起こる“追いかけっこ”にはある程度自信のある奴が多い。かけっこ一等賞間違いなし、陸上記録更新続出。みんな速いのだが、その男はどこでトレーニングしてきたのか箱根区間新記録もびっくりだった。足で借金を返したほうが早いかもしれない。


 ツッパリも不良も街から姿を消し、過去の遺物となった現代。勧善懲悪と犯罪を許さない意識が根付いた現代では生きづらくなった人間がいる。少し前まで流行り病の感染対策として暴走族よりもマスク装着を徹底した世の中であったが、それもクスリやらワクチンやらで、乗り越えつつあった。 


 流行り病が周期的に世襲するのは、歴史を見ると分かりやすい。天然痘、ペスト、コレラ、結核、インフルエンザ、コロナウイルス……。どれだけ収集がつかなくとも、終始をつけてきた。しかし克服する度、しばらくすると新しいのが湧いて出てくる。人類は総じてウイルスとの追いかけっこをしてきた歴史といえよう。どれだけ相手が新しくなろうと、弱点を見つけて対処してきた。今宵の追いかけっこにも、そろそろ終始をつけたいところであった。


 このかけっこを終わらせたのはヤクザでも借金男でもなく、妖刀使いだった。 


「う、噂を聞いたことあったが、くそっ、まさか……お前が」


「噂?」


 よく見るとアロハシャツを着ていた借金男は、腰を抜かしていた。顔の見えない和服姿の美人に向かって、その影に向かって「妖刀使い、この死神」と言った。 


「妖刀使いの、噂。やっぱり私は噂されてるのね」 


 黒い影の妖刀使いを見たら死を覚悟しろと、この世界では有名な話だった。妖刀使いとしては殺したことは一度も無いが、どうしてか悪名高く仕上がっていた。不本意だった。


「私を死神”って言ったけど、私は殺しはしない。この刀は命を奪うモノではない。お前が言うとおり、これは妖刀。奪うのは命ではなく、魂だ」 


 妖刀。妖かしい刀。妖刀といえば、徳川家に仇なす刀として『村正』が有名だが、この刀は無名。作者不詳、愛刀者不明。鬼を切った伝説だけが残っている。現代のこの街では鬼切伝説として語られることはなく、闇夜に紛れて現れる、神出鬼没の妖刀使いが命を狙って彷徨いていると噂される。妖かしを斬る意味での妖刀ではなく、妖怪そのものと扱われていた。どこか畏怖の対象になっているのかもしれない。 


「そうか、令和になると妖刀の意味も変わるのか」 


 人は鬼を見ることができない。巻物に描かれている姿は、人間の想像とこの目で見たと嘘をついたか勘違いしている者の曖昧な証言によるものだ。妖怪を切り続けてきたこの刀の化身である私がそう言うのだから、それは間違いない。しかし、ヒトの鬼に対する認識は間違っていない。流行り病の事を昔の人は“鬼”にたとえた。タトエただけでなく、鬼の仕業によって被害を被った話も作った。それは、実際に起きた事でもあり、また同時に作り話でもある。妄想といえばそこまでだが、もう誰も覚えていない昔話では“オン”が転じて鬼となったと言われる。今も昔も正しくその姿を認識したヒトなんていないだろう。 


「や、やめてくれ……」 


 すっかり怯えてしまっているが、妖刀使いはその男の体に憑依し、その姿を現実のモノとしようと試みている悠然と厳しい表情の鬼の姿をはっきりと捉えていた。死神、妖刀使いは刀を構える。 


「鬼に化ける前に、隠であるうちに成敗する」 


 負の感情が怨みとなって、怨念になりかけている。隠がまだオンであると同時にインと呼べる内に潰す。


 しかし借金アロハ男は、妖刀使いに殺されるのだと疑わず、斬られる前にあっという間に気を失った。 


 妖刀使いは斬る前に、「痛いのは一瞬だ。現代で言えば予防接種みたいなものだと聞いている」と言ったが誰も聞いていなかった。



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