ある日。
その日、俺は娘に学校の催し物に招待されていた。この間妖刀使いが割っていた竹を使って流しそうめんをやるそうだ。そういえばそんな話しあったな。この間まで刺激的な日々で疲れていたから忘れていた。妖刀使いも娘も楽しみにしているようだった。妖刀使いもそんな笑顔作れるんだな。刀に心はあるのか。娘に選ばれたことでチカラが増幅したとか出会ったときに言っていたような気がするが。まあ、それでも娘の親代わりだ。世話係じゃない。すくなくとも、そこに愛情はあるんだろうな。きっと。
流しそうめんはたくさんの子供たちに、小学生、中学生、高校生に囲まれた。今か、今かとその時を待っている。どうやら先生たちが管理、そうめんを流すらしい。
流しそうめんの発祥は九州らしい。宮崎で商業化されたとか。もう少し時を遡ると、薩摩藩にあった琉球、那覇でも。古くは、文政や天保の時代に鹿児島でも行われていた記録があるとかなんとか。プロ野球の球場でやったことがあるっていうから驚き。国民的風流だな。子供たちにもこんな文化があるんだよって教えていきたい。
「妖刀使いは箸使えるのか?」
「はい、久瑠美に教えてもらいました。抜かりありません」
「ふーん。確かに影とは思えぬ人間らしい綺麗な手だ。何でもできそう」
刀を持つとか。竹を割るとか。
ちなみに妖刀使いが食べ物を食べられるのかどうかは次の運動会の話でするから。
「来ましたよ。そうめんです」
そりゃそう。そうめん以外のものがきたら困る。
「ほら、久瑠美。これは取りやすそうだぞ」
「取れた! 創くん! 桜お姉ちゃん!」
「ああ、食べろよ」
「私も取れましたよ。いただきますね」
俺はわざと取れないふりを、失敗をした。もちろん久瑠美は見逃さない。
「創くんへたっぴ! しょうがないな、久瑠美のあげる」
「いいのか?」
「うん」
俺は久瑠美が手に入れたそうめんを一口だけ貰った。長年ずっと食べてきた味だというのに、どこかそれは刹那的だった。あとに残らない、しかし情緒が口の中であふれる。一瞬の味。俺は心で泣いた。
こういう気づかいを卒なくこなせるのだ。あっという間に成長したことを、こんなにも成長したんだなと改めて確認できたことが嬉しかった。子供の成長は一瞬。しかし、本人にとっては長く、いろんな知見を得て人間を作っている最中。我々にできることは頭を撫でてやることか、話をなんでも聴くことだけ。アドバイスも教鞭も人生理論も、全ては無駄。そんなことより大切なことはいくらでもある。生きることは総じて楽しいものではないが、辛く苦しいが、それでも小さな楽しみを見つけて、学ぶ大切さを知ってくれることを切に願う。勉強はできなくてもいい。自分に必要なこととやりたいことに必要な知識を探してくれ。そのためにはあちこちに顔を出して、手を伸ばして、やっぱりやめたりするんだ。久瑠美はとても頭が良いから、勉強の心配はないんだけどな。お父さんは助かっているよ。倫理観も正しい。ほんと、俺なんかが家族でいいのかいつも不安になる。とても良い子だ。とても賢い。だからこそ、せめて彼女のために。社会から襲いかかる理不尽を、その障害を撤去することを、せめてやらねば。俺は自分の人生を生きれないから。トラブルを解決させろと言いがかりをつけて、いつも他人の人生にお邪魔してばかりの人生。
「あっ、たまごが流れてきましたよ。ウズラですか? 燻製にしているのでしょうか」
たまごって、おいおい。それは箸でつかめるやつなのか? 流しそうめんで流すモノなのか? 子供たちは喜ぶかもしれないけど。箸できちんとつかめるかどうかを、子供たちの箸のレベルを先生に試されている。なんだそれは。ハネトビかよ。ツカジョージ、ツカジョージ。
「創くん! 真の実力を発揮するときだよ! 久瑠美には難しいと思う」
「お父様。私も経験がありません。お手本を」
「お父様と呼ぶな。それと、俺も流れてくるたまごを箸でつかむのは人生で初めてだ。ラーメン食ってる時にしか掴んだことはない」
幸か不幸かたまごは誰も取ることができず、俺のところまで流れてきた。仕方ない。イチかバチかやるか。ここは、娘の前でカッコイイ姿を見せたい。ラッキー、幸運を祈るのだ。
「ラッキー! クッキー! 八代亜紀! 掴め! スモールエッグボール!」
結果を言うと、掴めた。拍手を貰った。意外と才能があるのかもしれない。