北海道は五月の末から六月にかけて運動会が行われることが多い。一概には言えないけど、秋に実施するには寒すぎる。夏は暑いから無理。だからこの時期。それに北海道には梅雨もないしね。ちょうどいい頃合いなんだろうよ。
久瑠美が今通っている特別学校は世間でいうところの特別学校の意味ではない。世間では特別学校は身体、精神障害者の子供が通う学校のことを言う。昔は養護学校なんて呼ばれていたかもしれない。しかし久瑠美の学校は訳ありの子供が通っている小中併設校だ。
正式名称として「すすきの精神特別学校」と名前をつけているのは世間からの目を誤魔化すため。これなら誰でも考えなしに分かる。特別学校なのに車椅子等の児童がいないのも一発で説明している。本当はそんなことないのは言うまでもないが、しかし何も知らない気の利かない大人は子供に病気のことを聞こうとする奴がいる。黙っていればいいものを。余計なことこの上ないが、一定数いるのも事実。対して、ここの子供たちはよく訓練されている。自分の置かれた境遇ゆえなのか物わかりがとても良く、大人の事情もすぐに察して頷く。嘘も平気でつく。そんなことを強いてしまう世の中も社会も大人も本当に嫌いだし、子供たちには申し訳なく思う。成哉がガキのグループのトップをやっているのも、この街の経済を支配しているのも、腐りきった世の中を憎んでいるから。変えてやろうと、変わらない世の中にとびっきりの冷気を流し込んで。もちろん成哉の意識がどれだけ高まろうとも政治家とか、活動家には死んでも成り下がらないだろう。アプローチが違う。選挙の時にしか「国を変えます! 生活を変えます!」と叫ぶことに興味はないだろう。それにしてもあれは幻聴だと思ってるんだけど、俺の耳が悪いのか?
六月第一週の日曜日。久瑠美の運動会は二週間前に貰った娘のプリントで知った。いつも同じような時期にやるのでさして驚きはない。今年もこの季節かと思うだけである。プリントによると、雨天なら中止、三日前ぐらいの天気予報が明らかに雨予報の場合は前日土曜日に前倒し。それも難しそうならば翌週の土日に延期。なるほど。本州のような梅雨はないとはいえ、蝦夷梅雨という言葉もある。雨が続いても何もおかしくない時季だ。晴れを祈ろう。
毎年運動会の弁当は俺が作ってきた。これでも料理上手なんだ。作るのはいつも二人分だからそんなに手間じゃない。しかし、今年は奴がいる。
「お弁当? 私でも作れるだろうか」
「えっ、お前料理とか作れるの? 使うのは刀じゃなくて包丁だぞ?」
「久瑠美のためであろう。是非ともやってみたい」
マジかよ。
「俺が聞きたかったのは弁当を食べるかどうかだったんだけど。お前は人間じゃないから、食事はいらないように見えたけど、ちゃんと聞いたことなかったからな。久瑠美は毎年お弁当楽しみにしているし。少しの間とはいえお前は一緒に過ごしてきたんだ。久瑠美は一緒に食べたいかもしれない。だから一緒に弁当を食べるかどうかを」
「もちろん、久瑠美のためなら一緒に食べます! 私の身体は食事を必要としていません。本体はこの妖刀。お伝えした通りこの人の形をした影も、人のように着色した肌も着物も妖術で作り上げた物。この姿のほうがなにかと便利だからそうしているにすぎない。だから食べ物を一緒に食べることも不可能ではないです」
「え? 胃袋あるの?」
「ないです。でも人間の口で食べ物を咥えて飲み込むような動作を、その真似のような動作をすることは造作もないです。消化はできないが消滅はできるので。口に見せかけた影で食べ物を食べたように装い、妖術で消す。これでお弁当を食べているのと変わらないのでは。瞬時にデータを取れば正しい味の感想も言えるでしょう。脳はありませんが、認識はできるかと。闇夜で鬼を見分けることも、非存在のような奴を見つけられたのも同じこと。認識できればおおよそのことは解決できるはずです!」
「ふーん、よくわかないけど一緒に弁当作って食べるってことでいいんだな? 食べ物を粗末に、もったいないことをしている気もする理論ではあるが」
「ええ。是非ともお願いします」
しかしお弁当作りにはこれよりも遥かに懸念すべきことがあった。娘から聞いた話である。俺はまったく知らなかった貴重な情報だったので付け加えておく。娘によると令和の運動会ではお昼に保護者とお弁当を食べるという文化がなくなったという。まさかのお弁当不要論。そこで詳しく話を聞いた。娘が教えてくれた最新運動会の詳細を以下にまとめた。
令和の運動会は午前中で終わらせるのが基本(熱中症対策)各学年別に実施。学年対抗とかリレーとかも無し。児童・保護者共に二時間交代総入れ替え制。昼休憩が設けられても教室の中で食べる(感染症対策)動画、写真撮影禁止(エスエヌエス対策)玉入れ、騎馬戦、綱引き、組体操廃止(危険、怪我の恐れなど)かけっこ(定番のみんなでゴールからビデオ判定の導入まで)赤組白組廃止(勝ち負けをつけない)大玉転がし棒倒し廃止(危険を伴い怪我の恐れがあるから)先生や保護者参加の綱引きなどの競技も親が強制的に参加させられることを問題視。家庭の事情を考慮して廃止。業者を呼んで動画配信が行われ、遠方の親戚なども閲覧可能に。運動会を見に行けない家庭にも配慮。後日dvd配布。ダンス、お遊戯は必ずやる。どこにも配慮する必要がなく、ソーシャルディスタンスも確保できる。流行の曲や子供たちの間で流行っている曲など好きな曲を使える自由性などのメリットから令和の定番、必須項目はダンス。他にも列挙すればいくらでもあるらしいが俺はそれ以上聞いていられなかったのでそこで辞めてもらった。
では、一言。
なにが楽しいんだよ、そんな運動会! やる意味ないだろ、そんな運動会!
「でもね、創くん。これが時代だよ」
「マジかよ……」
「安心して。久瑠美の学校は時代に逆らい、良き文化を踏襲した運動会だから。白組赤組もあるし、学年問わずみんなでやるし、お弁当も親と一緒に食べるし、玉入れもかけっこも綱引きもあるよ。写真も撮っていいって」
「いいのか? そんなこと許して」
「うちの学校の保護者は理解があって頭がいい人しかいないから。無駄な文句も余計な言いがかりもない。その辺の凡庸な大人たちとは質が違うんですよ。それに運動会は戦いだからね。戦わないと。闘争を求めているんだよ我々は」
「それはそれでどうかと思うが」
久瑠美の話すお弁当不要論は世間一般の運動会のことだとわかり、弁当がない運動会という危機が回避された。理解ある学校の皆様方には感謝しかない。令和の進化した運動会を嘲笑う我が校。俺の知っている運動会が今年もできるのだと思うと応援にも熱が入りそうだ。さて、お弁当のおかずはなににしようかな。