「運動会か」
「そうなんだよ。だからちょっと仕事とかできないから。ごめんね」
「構わない。お前がいなくても世の中は回る。仕事ができるやつは他にもいる。気にするな」
キビシイビッグボス。俺は本当は必要とされていなかったのか。唯一無二の存在になれたと思っていたのに。自惚れていた。冷静に見つめ直せば探偵、じゃなかったオーガナイザーなんて溢れかえるようにどこでもいるし、ウェブライターなど主婦から学生まで簡単に手を出せる副業と化している。物書きってもっと国語力があってきちんとした文章できれいな言葉と情緒あふれる表現で読者を楽しませるプロがやるものだと思っていた。俺も連載を持っている以上、その責任と誇りを大事に書き続けている。ちょっとお小遣いを稼ごうかなと台本丁寧な指示をテンプレート通りに書く奴は、無論ライターとも小説家とも、物書きだなんて名乗れることは一生ない。恥ずかしいよ。言葉がどんどん簡単に、若者言葉とネットスラングばかりが使われる世の中なんて。そんなんじゃ商業小説もプロの文章も読めない人間ばかりで出版不況になるのは当然。本を読まない人が増えたからどんどん本を読んでもらえる機会を作ろうではなく、やはり最低限の勉強をしてもらうべきだ。読む練習。音読でも黙読でもいいから。小学一年生でもやってるだろ。なんでいい大人ができないんだ。そうだな、それが嫌なら漢字の書き取りをしろ。大人なら漢検二級、レベルを落としても三級くらいの漢字を書いて練習すればいい。それくらいは子供でも、ガキ共でも平然とやる。俺も鈍らないように勉強しないと。
「それで相談なんだけど。ひったくり犯を捕まえたときあったじゃん? あのボーイズ借りられないかな」
※ ※ ※
「どうしたらかけっこ速くなるかな。桜お姉ちゃんはすごい速いよ。一瞬でね、瞬間移動みたいなんだよ」
「そうか。それはすごいな」
娘よ。あれは参考にはならん。久瑠美の言う通り妖刀使いはいつも瞬間移動をしている。非現実を現実とするやつだ。人間業ではない。人間にアドバイスを貰うべきだ。
「そう言うと思ってな。今日は走るのが速い人を連れてきた」
「こんにちは。茨戸創さんにはいつもお世話になってるっす」
「こんにちは。背が高いね。お名前は?」
「五十嵐っす」
「イガラシさんね。わたしは茨戸久瑠美。よろしくお願いします」
「はい。お願いしまっす」
「じゃあ、まずは久瑠美に走ってもらって、どこを改善したら良いかを考えよう」
「はい」
久瑠美はスタート位置を決めて立ち、スマホで歩いて距離を測って五十メートルの位置で俺はスマホのストップウォッチを起動。何でもできるスマホすげぇ。
「よーい、どん!」
久瑠美が走る。そしてゴール。タイムは十一秒ゼロイチ。この年の女子の平均はスマホで調べたところ九秒九だった。ちょっと足りないか。かけっこのイチ秒がどれだけ重要なのかは、大人だからわかるけど。どうやって一秒を縮めるかは箱根駅伝のランナーも同じ。あっちは短距離じゃなくて長距離だけど。
「五十嵐、どうだった」
「良い走りだと思います。腕もよく振れていますし、いわゆる女の子走りみたいに体も開いていないですし」
「じゃあ、タイムが伸びないのはどうしてだ。普通の子よりいい走りなんだろ?」
「ずばりスタートダッシュっすね。初速を上げれば、すぐに勢いに乗れますし、他の子に差をつけられれば気持ち的にも余裕ができるのは大きいっす。具体的には利き足をスタートラインに、逆の足を半歩くらい下げるっす。わずかでいいです。あと、少し前に体重をかけるようにするんですね。でも、やりすぎると意識がそっちに向きすぎて最初からフォーム崩してしまうので注意です。速く走ろうと意気込むとチカラが入って思うように走れなくて焦って、余計に走れなくてさらに焦りますから。気持ち少し前に体重をかけるって感じっすね。プロの陸上競技を目指すならまだ改善点はあるんですけど、運動会ですから。軽視しているわけじゃないっすけど、イチ位が目標なら少しずつ改善していくっす。いっぺんに教えてもすぐにはできないっす」
「久瑠美わかったか? 調子に乗ってこいつ長々と喋ったけど」
「大丈夫だよ、創くん。久瑠美わかったよ」
「そうか。じゃあもう一度走ってみるか」
こうして久瑠美のかけっこイチ位奪取作戦、五十嵐との特訓は連日行われた。この努力が実ればいいけど。俺は祈るばかり。世の中ってのは努力しても上手くいかないことの方が多いから。世の中は甘くなくて、厳しいからな。でも久瑠美はそんなこととっくの昔にめちゃくちゃ分かってるから。理解してるから今さら学ぶ必要はないんだ。やめてくれよ、神様。俺では叶えられない願いを邪魔しないでくれよ。