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茨戸創04

「お兄さんは、私のお母さんの事を知っているの?」


「ああ」


「どうして、しゃがんで私の目線で話をしているの?」


「ああ、そうだな。それは、これから一つお願いをしようと思っているからだ」


「お願い?」


「そうだ」


「どんなお願い?」  


「久瑠美を俺の家族に迎え入れたい。俺と家族になってくれるか?」


「家族?」


「そうだ。家族だ」


 俺は同居している女の子にお願いをする。罪滅ぼしと言えばそこまでだが、俺はそんなことのためにこの女の子に提案をしたわけじゃない。


 事件は終わり、切り裂き魔を捕まえたが俺の任務は失敗。事件の結末で人が死んだのだ。それは成功とは言えない。だから俺は、せめてこの女の子が死ぬことがないようにしたいと、そう思った。誰かが、隣にいなくてはいけない。見守るのではなく、寄り添うのではなく、理解しようとするのではなく、隣にいるのだ。安心していいぜ。隣には俺がいる。心配するな。これからの事は何も心配するな。そう言ってやりたくて。





愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません。愛するものが死んだ時には、それより他に、方法がない

ーー引用「春日狂想」





 ※ ※ ※





 俺は成哉から車の中で事件の概要を聞いた時、被害を受けたふたりのメンバーには絶対に病院に行くように伝えていた。闇病院でもいいから、とにかくなんでも良いからと。でも、結果俺が対応したのはその二人だけだった。他の三人の事は抜けていた。甘かった。認識が甘かった。もっと正面からこの事件を捉えるべきだった。俺はこの時、まだ学生時代の〝薄野レジスタンス〟の作戦と同じような視線で望んでいたことを否定できない。学生気分が抜けていない新入社員そのものだ。甘かった。


 リバーサイドの二人以外の被害者全員が死んだ。アケミさんも死んだ。調べたらどの被害者も学校の保健室の傷の手当程度しかしていなかった。病院に受診しなかった人間もいた。傷が付いた理由を医者に言えなかったからだろう。心当たりはあるのですか、とお巡りさんに聞かれるような普通の質問を避けたのだろうと、今なら想像がつく。


 捕縛したすすきの切り裂きジャックは、切った人間は全員〝極左〟だと言った。これらの人間は愛国者ではないと、そのような言葉を口にした。


 調べるとアケミさんを含めた被害者は全員過激な発言をしていた。しかしこの発言は普通の人は目に触れるところには無く、つまり政治に興味がある人間界隈での発信であった。右と違って街宣車で中国領事館の前を走って喚き散らす事はしないから、たとえ目にしても「なんか良くわかんないこと言っているな」で終わるのだ。


 問題は全員会社の上層部の人間だということ。出張や飲み会。接する人間が多いため、足取りがつかみやすい。役職があって発言力があってリベラル。いつ夜道を襲われてもおかしくはなかった。


 きっとこの切り裂き魔は同じように調べて凶行に及んだのだろう。自分のテリトリーを汚す人間は許さないと目を血ばらせて。もちろん、どんな理由があっても人殺しは許されない。文字通り痛い目にあって警察に保護されたのだ。俺は最低限のことはできたと思い、これを糧にしてこれから活躍していこうと決意すればそれで良かったのだろうが、そう簡単に切り替える事は出来なかった。



 初任務を失敗した俺は成哉に謝った。これに対して成哉は


「アレは仕方ない。お前が関わったのは斬られた後だろ。その時点でもう毒は回っていた。仕方無かったんだ。そんなに思い詰めるな」


 そのような言葉を掛けてくれた。顔見知りになりつつあったリバーサイドのガキ共も声を掛けてくれた。金髪、ピアス、青墨、レザージャケット。良い奴らだな。


 これが2016年の夏の事。2013年に高校を卒業した3年後に再会した時の事。そして話はそれから6年後。白黒バイナリーの1年前に俺は久瑠美に出会う。忘れることの無い、あの連続切り裂き事件の残像と共に。




 ※ ※ ※




 新型コロナウィルスが猛威を振るっているその日。なんでもないサードゴロをトンネルしてしまった時のような顔をしていた俺に、リバーサイドボーイズから女の子を紹介された。成哉の差し金だろう。何かあるんだろうなと思ったが、話を聞くとなんとアケミさんの娘だという。俺はその名前に表情を硬くした。六年も前のことをいまさら、とは思わなかった。ようやくか、とは思った。忘れることはない。成哉の提案を安請け合いした俺の失敗。何も分かっていなかったガキ共以下のガキ時代・・・・・・・・・・。ベテランオーガナイザーとなっても、いつまでたってもけじめは付けることは出来なかった。引きずっている、と言うと悪く聞こえるが、過去の戦争災害を忘れないように過去を覚えていると言えば下を向いていた顔を上げたように聞こえるだろう。俺は忘れないのだ。思い上がっていた俺自身の事を。


 アケミさんの死後、この女の子は成哉がBGを使って面倒を見ていたという。当時は2歳。母親が亡くなった事を理解できる歳ではない事ぐらい想像できる。ガールズの誰かが母親代わりになったのだろうか。みんなで育てたのだろうか。良い奴らだな、このガキ共は。最高だな。


 成哉はこのままでは流石に良くないと、育ての親を探しているという。それまでの間、少し預かってほしいとのことだった。どうして俺なのか、これまでどおりBGが子守をすればいいのでは、環境を変えたらそれこそ良くないのではないかと思ったが、断る理由はない。俺は頷いた。もう終わった事件だから何も出来やしないのに何かしてやりたいと、なんでもいいから何かしなければと思っていたのは事実だ。娘なら、それがあの事件の関係者であるのなら都合がいい。俺にとって都合がいい。


 この女の子の名前は分からなかった。本人に聞いても、持ち物を調べても、いくら調べても、リバーサイドの情報網を持ってしても分からなかった。不思議だ。名前は与えられなかったのだろうか。複雑な事情があったのだろうか。望まれない子供だったのだろうか。余計な詮索と思考がよぎる。そんなことを考える自分を嫌悪する。


 BGは〝ガール〟と呼んでいたらしいが、それは名前では無い。俺はとりあえず、この女の子を久瑠美と呼ぶことにした。ふたりでアケミさんの墓参りをした墓の近くに、市内では珍しいクルミの樹が生えていたのだ。近年、熊の餌となるクルミの樹は伐採される傾向にある。ハンターが街中で銃を使うことには猛烈な批判と抵抗があるからな。熊が餌を求めて下りてこないように。


 久瑠美はこの名前を受け入れた。久瑠美はとても頭が良かった。何でも理解が早く、同じ年の子供を凌駕した。自分の事は何でもできる。俺が出来る事は飯を作る事と布団を用意することだけだった。それでも久瑠美は悲しかったのか、口数が少なかった。俺はこのような思いをさせてしまった事、例え俺の範囲外の死だったとしても心苦しかった。俺のためにしかならない贖罪は俺を苦しめるだけ。久瑠美を救うことは出来ない。



「今日は学校楽しかったか?」


「楽しくはない。生きるのに必要なだけ」


「そっか。夕飯何が良い?」


「ふりかけで」


「そっか。じゃあ、何かゲームでも」


「テレビを見る」


「そっか。とりあえず、ひとつおかずを作るな。食べてくれると嬉しい」


「分かった」


 俺は胸が締め付けられ、久瑠美に新しい家族が早くできれば良いと願うばかりだった。





 ※ ※ ※





 二週間過ぎたが家族は見つからなかった。俺は成哉も考えていたであろう〝すすきの児童擁護アソシエーション〟への転校、委託を提案しようとしたが、その前に久瑠美は拒否の意思を示した。俺の考えなどお見通しだった。俺は親代わりを続けることにした。


 俺は久瑠美と同居しながらオーガナイザーの活動を続けた。創成川リバーサイド内である程度の地位を得ていたが、やっている事は6年前の延長戦。成長点を挙げるとしたら、深追いするようになったことだ。受けたら徹底的にやる。裏の奥の人間を洞察。事件の結末まで想定して、後日談を思い通りになるように。俺は毎日走り回った。だからまた失敗した。今度は子供の心を分かっていなかった。大人やモラトリアム世代ばかり相手にしてきたから尚更。



 久瑠美が手首を切った。



 俺はすぐに成哉に電話して、息のかかった病院に駆け込んだ。成哉の権力が大きくなりつつあるのを実感したが、それどころではなかった。俺はまた認識が甘かったのだ。まだ小さな子供だと、そう決めつけていたのだ。どこで覚えたのか分からないが、アケミさんにも似たようなキズが見え隠れしていたのを思い出す。子は親のことをよく見ているってか。見なくても良いことも含めて。判別はその後に行われる。大人も子供もそこに違いはない。



 医師は出血の見た目より軽症だと、そこまで慌てることはないと言った。傷も浅いため残らず、そのうち消えるという。このまま精神科に引き継ぐというので、俺は頭を下げた。


 久瑠美は服薬して数日で落ち着いた。何もなかったかのようだった。急性ストレス症だとかPTSDだとかなんとか言っていたが、そんな名前は不要だ。原因は明らかだった。家族がいなくなったことだ。まだ8歳なのだ。母親が亡くなったのは6年前でも、この女の子にとってつい最近なのは当たり前のことだ。唯一の家族が、母親が突如いなくなってしまった悲しみをなんと表すことが出来るだろうか。


 俺は久瑠美と言う名前は呼び名として付けただけで、この〝久瑠美〟という名前の事を深く考えていなかった。それよりも、この女の子の将来のことばかり考えていた。どうしたら幸せになるかと考えていた。ああ、俺は俺の考える幸せをこの女の子、久瑠美に押し付けようとしていたのだと気づき、俺は膝をついて泣いた。それを見つけた久瑠美は静かに近づいてきて涙を拭おうとする。俺は「ごめん、ごめん」と言って笑顔を取り戻し、優しかった頃の心を取り戻そうとした。今だけは、今だけは優しくなれるように。



「なあ、久瑠美はお母さんに会いたいか?」


「うん」


「久瑠美はお母さんの事を覚えているか?」


「ううん」


「そうか。俺は久瑠美のお母さんの事を知っているから、話そうと思うけどいいかな」


「お兄さんは、私のお母さんの事を知っているの?」


「ああ」


「どうして、しゃがんだまま私の目線で話をしているの?」


「ああ、そうだな。それは、これから一つお願いをしようと思っているからだ」


「お願い?」


「そうだ」


「どんなお願い?」  


「久瑠美を俺の家族に迎え入れたい。俺と家族になってくれるか?」


「家族?」


「そうだ。家族だ。俺の名前は〝茨戸創〟というんだ。だから、茨戸久瑠美。急な話だけど、少し考えてみてはくれないか。難しいかもしれないけど、一緒にこれから暮らしてくれなんて難しいだろうけど、考えてくれないか。幸せに出来るかは分からないけどさ、隣にいたいと思ったんだ。こんなよく分からない大人だけど、お互い知らないことばかりだけど。だからこそ、ずっと隣に。死ぬまで。だから、家族だ」


「そう言うと思ったよ。いいよ。創くんね。これからよろしく」


「えっ。いいのか?そんな、簡単に」


「簡単じゃない。言われる前からちゃんと考えていた。私、ちゃんと見ていたから。それに、創くんが家族になりたいって言ったんでしょ。いま」


「ああ、まあ、そうだけど」


「幸せなんかいらないから、私の隣にいて面倒を見てね。お父さん


「ああ、もちろん」


 どこまで分かっていたのだろうか。どこまで見通していたのだろうか。最初からそのつもりだったのだろうか。BGとの暮らしはあまり好きではなかったのだろうか。俺との生活をこれからも続ける道をどうして選んでくれたのだろうか。俺はこれからその意味を知るために、家族になるために頑張らないといけないと、この時大いに誓ったことを覚えている。成哉に頼んだらすぐに戸籍を弄ってくれた。最初からそのつもりだったのだろう。これだけは分かる。



「よろしく、創くん」


「よろしく、久瑠美」






愛するものは、死んだのですから、

たしかにそれは、死んだのですから、


もはやどうにも、ならぬのですから、

そのもののために、そのもののために、


奉仕の気持に、ならなけあならない。

ーー引用「春日狂想」




 以上。俺の話はここまで。あまり面白くなかっただろ。曖昧にしてちゃんと話していなかったことを文章化しただけだからな。次はちゃんとドキドキワクワクハードボイルドな話にするからついてきてくれよな。テンポ良く握手でもしながら話すからさ。


 次は「ホロ・クラウディレッド」の3ヶ月前。春、桜の話。また過去を振り返り、今と交錯する話。美少年的美少女探偵が主役だ。


 桜っていつ見ても詩的な感じがするよな。と、思う一方で桜を見る度にあまり深く詩を勉強したことがないので、その〝詩的〟を正しく理解していない事をこの季節が来る度に思っている。詩的ってなんだ? 難儀な生き物だよな、日本人って。



 唐突に出てきた中原直也も次の布石ってことで。石を回収するかは分からないけど。今回の時系列を載せておくから参考に。じゃあ、次は桜の樹の下で会おうぜ。



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