久瑠美と出会ったのは、いや、まだ名前のなかった女の子に会ったのは彼女が小学生二年生の時だ。
それは俺が創成川リバーサイドの人間として最初に解決したトラブルで、母親が殺されたという俺のトラブルの中では稀有な殺人絡みの案件。
2016年の夏に成哉に声を掛けられた俺は、よくわからないままデカい黒い車に乗った。これから俺は拉致されてどこかに連れて行かれるのだろうか、と思ったが運転手含めたこのメンバーは〝創成川リバーサイドボーイズ・ガールズ〟である事、成哉の手下であることを最初に教えてもらった。少し安心したのを覚えている。一応緊張していたからな。
最初、成哉が話す若者集団の事を〝薄野レジスタンス〟の成れの果てだと思っていた。しかし、成哉が言うには全くの別物で、高校の時のお行儀の良いヤンキーかぶれの集まりとは違い、北の歓楽街〝すすきの〟を中心として市内全域のガキ共を対象にメンバーに加えているらしい。
いつの間にか大きくなったんだなとは思った。俺が〝すすきの児童擁護アソシエーション〟で成哉に呼ばれて加入した〝薄野レジスタンス〟は喧嘩でテリトリーと覇権を争っていた。俺はこの若者(俺はそのうちガキ共と呼ぶ)の雰囲気や服装、表情からして〝創成川リバーサイド〟の事を、半グレというか、裏社会の組織に近い印象を持った。そして、きっとそれが外側の人間、一般人間の〝創成川リバーサイド〟に対する現状認識に近いのだろう。普通の人は不良グループと思うだろうし、もっと言えば組織的な集まりという印象を持つのだろう。だから、この若者の集まりを路上で見かけた時に〝最近のみっともない若者〟と蔑むことが出来ずに、〝怖い、危ない、犯罪の匂いがする人間〟と恐れて離れるのだ。それが現状だと成哉は言う。成哉はそれを変えたいのだ。普通から落ちた若い人間を理解できる環境、社会に。ただの居場所づくりならば安い理念のNPOにやらせておけば良い。成哉がやろうとしているのはきっとその階層の話では無い。後にその全てを実現させたのだから、彼の手腕はとんでもなく凄い。身内以外にもその名前が知れ渡ることになるのだから。
俺はこの友人をとても尊敬している。リーダー気質、アイドルでは勝てない英国の王子様のような容姿と寒冷前線が居場所をなくして退くような寒気をもたらす冷たい声。頭が良いなんて言葉で彼を紹介しようものなら、頭が良いという言葉について辞書で引き直さないと人間として生きることが許されない程には聡明。
「出せ。適当に回れ」
成哉が命令をしている。それはどこか懐かしいような気もするし、友人だと呼んでいた存在が遠くに行ってしまったような気もした。
「それじゃあ、お前はIT業界のリーダーでガキ共(もうガキ共と呼んでいる。形から入るタイプ)のトップってわけだ。二年……いや、三年前か。高校の時にお前が言った宣言は達成した。良くやるよ」
この時の俺は成哉の事を「成哉」と呼んでいた。この男をビッグボスなどと揶揄し始めたのは、社長と囃し立てるようになったのは2021年辺りからだと思う。某球団から思いついた呼び名だけど、これは今回とはあまり関係ないな。続ける。
「創。俺様はまだ何も達成していない。俺様がやりたいことは、これからだ。これから絶対的な権力を手にしないといけない」
「へぇ。政治家にでもなるの?」
「創。高校の時、お前に言ったことを覚えているか」
「高校の時?まあ、確かにお前とはつるんでいたから色々言われたけど。トップになるって話じゃなくて?」
「ああ。それも関係しているが、一番は若者に対する大人の思い込みを変える事だ」
「思い込み?そんな事言っていたっけ?」
「若者が集まるとさ、不良グループだとかギャングだとかすぐに悪いイメージを付ける傾向がある。スティグマだ。現に地下鉄大通りにある少し広めの休憩スペースで待ち合わせをするだけで煙たがれる。何集まっているんだって。地下鉄南北線、すすきの駅の出口で待ち合わせて集団でいるとまるで犯罪者のように見られる。なんだあいつらこんな時間にって。ほら、大学生のサークルが四十人くらい集まって道に居たらバカにする人間が一定数はいるだろ。小学生なら怖がるかもしれない。通行の邪魔にならないように、きちんと道を空けていてもだ。高校生がお金がなくてフードコートでお喋りしても邪魔者扱いで、少しでも家庭環境が悪ければネット中毒、ゲーム依存、犯罪者予備軍。普通からはみ出した若者はいつも救われない。〝すすきの児童擁護アソシエーション〟は義務教育、高校教育を正しく受ける為の場所だったろ。社会に出てからの支援までは手が回らない。何でもしてあげられほど金はないし、人手も無い。新規の絶望を手にした小学生を次々に迎え入れるのに必死だからな」
「ああ。それはわかる。ここにいつまでも世話になるわけには行かないと、そう思うまでに成長させてくれる場所だった。卒業した誰もがいつかあの場所に恩返しをしたいと思っているだろうよ」
「そうだ。だから俺は、俺達は〝すすきの児童擁護アソシエーション〟の子供たちを含めて、ドロップアウトした若い人間を下から上まで擁護しなければいけない。若者軽視を爺さん世代にでも理解させる。平たく分かるように言えば〝この街の頼れる若者〟だ。だから俺様は周囲の人間が余計なことを言う事が憚れる程の権力を、その目的を達するために手にしないといけない。視線変える。偏見を叩き壊す。仲間を、この街の若者に害をなす人間を潰す。大人の事情で絶望の道を歩かされる不条理は許さない。創。そのために、またお前のチカラが必要だ。俺はお前のことを友だと思い、信頼している」
「そうか。そうだな。それは、のさばる犯罪者を見つけては潰すってことか?この街のために。この街の若者のために」
「そうだ。お前の推察と想像通りだ」
俺は考えた。思考の速さだけは自慢できる俺だったので即答した。傍から見たら何も考えずに返事をしたように思われるだろうが、凡人の10分思考を10秒で回せる。勉強はできないが、知恵はよく回るんだ。
「いいよ。俺もちょうど暇していたところだし。トラブルシューター?ちょっと憧れていたんだ。あっ、報酬とかあるの?リバーサイドはボランティア?」
「いや、この車にいるメンバー含めて活動したガキ共には全員報酬を与えている。通貨は円だ。一応社長で業界のトップだからな。金は稼いでいる。限度はあるが」
「そうなんだ。じゃあ、ちゃんとした組織なんだ。ただの暴力的ギャング集団じゃないんだ」
「創。だから、その偏見を俺様は潰すと言っただろ。聞いていなかったのか?」
「冗談。この車俺たち以外話していないから、和ませようと思って」
「余計なことは言うな。それで、どうする。ちゃんと仲間になるのか」
「いいよ。また手を組もう。若者であっても、俺たちはガキじゃない。喧嘩の為の作戦を立てろって訳じゃないんだろ?いいぜ。トラブル解決屋になってやる」
「ありがとう、創。すすきのに名を轟かせるオーガナイザーになってくれ」
オーガナイザー?
俺は馬鹿だからこの時、この言葉の意味を知らなかった。家にあったブックオフで買った五百円の古い版の英和辞典で調べたら「イベントや活動を計画し運営する人」とあった。計画して運営。つまり、作戦を立てて実行するって事か? トラブルシューターと何が違うんだ?
この時の俺はまだ若かった。自分の目の前のトラブルと自分が属する組織、〝創成川リバーサイド〟の人間の事しか見えていなかった。その観点しか持っていなかった。このオーガナイザーという役職をまだ自分の目に加えられていなかった。無理もない。俺は何もかもが初めてで、何も知らなかったのだ。成哉とタカが先に何もかもを知っていただけなのだ。
オーガナイザーは分かりやすく言えば橋渡し。つまり、氷永会との橋渡し。依頼人と氷永会、依頼人とリバーサイド、依頼人とリバーサイドと氷永会の橋渡し。後に妖刀使いとか、探偵とかがここに加わる。
仲介役に近い仕事。俺はこれを分かっていなかった。勘違いしていた。勘違いを正すことが出来なかったから、何度かひどい失敗をした。それもまた勉強だと言えるだろうが、踏み台にしてしまった依頼人の人生は取り返しがつかない。死屍累々の件とかな。俺は申し訳なさに涙し、二度としないと誓う。本当に最初のこのトラブルも成功とは言えないが、失敗ではなかったと周りからは言われた。
※ ※ ※
「茨戸創といいます。よろしくお願いします」
「アケミといいます。ええと、その」
「プライバシー。名字も本名も話さなくて良いですよ。あなたを呼ぶことができる名前があれば、何でも」
成哉からのトラブルは連続通り魔の調査、捕まえる事だった。被害者は全員警察には言えない事情を抱えている共通点があった。リバーサイドのガキ共の被害は二名。両方とも腕をナイフで切られている。上記から警察には誰も報告していない。逆に介入させると被害者共々厄介な事になるのは明白。同士討ちのためにリバーサイドが動き、俺の初任務となった。
このアケミさんという女性も被害者のひとりだった。リバーサイドの人間ではない、一般人。Gカップ美女大生に老化が訪れずにそのままいい奥さんになった綺麗な人。腕を見せてもらうと、ナイフで切られた跡がある。
全員が警察には言えない事を隠し持っている。これは偶然ではない。犯人の狙いに、意図に関係しているだろうか。情報を集めて解決に導きたい。
「被害に遭ったのはどこですか?」
「パルコの近くだったと思います」
「何時ぐらいですか?」
「ええと、飲み会の終わりでしたので、22時過ぎくらいでしょうか」
「なるほど。相手の事は覚えていますか?夜だとしたらあまり良く見えなかったかもしれませんが」
「はい。顔は全く覚えていなくて、通り過ぎる時に視界には入っていたのだと思いますが、服装も思い返せばそうだったかもしれない程度です。人間、注意をきちんと向けて見ていないと覚えていないものですね」
「わかりました。では、わかるところまでお願いします。細かいところまで質問します。わからなければ答えを濁さず、分からないとおっしゃってください」
「はい」
俺は犯人のおおよその情報を手にした。それがどこまで正しいかを見極めて。メンバーの被害者ふたりにも同じように話を聞いた。おおよそ一致した。俺は作戦を立て、成哉に情報を共有し、実行した。
※ ※ ※
目撃情報による推測容姿から経済的状況と行動範囲を想定。ツイッター、掲示板、ネット。そして何より創成川リバーサイドの情報網でほぼ特定した。俺は驚いた。感情的ではなく、ビジネス的でもなく、つまり
「どうだ。見つかるか」
「いえ、まだ現れません」
「監視を怠るな」
「はい」
その車内は、今日も冷房が効きすぎているのかと思うほどのクールで冷えた声。温度計で計ってみると、僅かだけど温度が高い。楽しそうだ。
「この場所で間違いないんだな」
「うん。近くにも別部隊いるんでしょ?」
「もちろん。お前の範囲に従って」
「さすがだな。ここまで強い
「生きる伝説だ。俺様は」
「そうかよ」
それから程なくしてひとりの若い男を発見し、突撃し全速力で迫ったメンバーが捕まえた。1秒で拘束し、口を塞いであっという間に車に連れ込んだ。この車、意外と広いんだな。
問題はその後だった。
塞いだ口を開くことを許した開口一番。奴はこう言った。
「遅かったな雁来成哉!ナイフにはトリカブトの新種の毒が塗られているんだ。切り裂いた人間は今頃無事なのかな?は!は!は!あんな人間共生きる勝ちがない!この国から消えて当然!ざまあみろってんだ!は!は!は!」
また口が塞がれた。どこかに連れて行ってこれから拷問……じゃないけど尋問するのだろう。おそろし。
俺達はこの発言を受けて、幾つか用意していたプランの一つを即断即決。実行に移した。メンバーは守備範囲だから大丈夫だけど、他の被害者は大丈夫だろうか。間に合ってほしい。
捕まえた男は気味の悪い、妙な笑い方をするやつだった。聞こえるはずのない塞いだ口から伝わる言葉は、控えめに言ってドブ川のヘドロに頭を突っ込まれる様な気分の悪くなるヘイトスピーチ。リバーサイドもドブ川に頭突っ込ませるみたいな勧善懲悪をしているんだろうけど、それとは違うよな。腹の奥から湧き上がる怒りに近い。成哉は全裸で交番の前に転がすことは良くあるらしいと言っていたから、ドブ川も大差ないのだろうと思った。今回の犯人も全裸で転がった。スズメバチの巣と一緒に交番の前に。低俗な週刊誌に「全裸スズメバチ男」って書かれていたのを後から見たから、少し騒ぎになったかもね。