「ずいぶんと山奥だなぁ。なっちゃん。こんなところに本当にひとなんか住んでるのか?」
白いワンボックスカーは、道なき道をウサギのようにバウンドしながら草をかき分け進んで行く。
「失礼ね。これでもわたしの
わたしの名前は
遙か遠くにみえる山々が目に優しい。涼しげな風が車内を通り抜ける。ときどき窓から流れ込む木漏れ日の粒が、わたしの栗色のボブカットの髪の表面をきらきらと転がるように流れて行く。
わたしの身長は平均よりもちょっと低い。ミルク色の白い頬。小さく淡いピンク色の唇。つぶらな瞳。それがわたしだ。
ニューバランスのスニーカーにタイトなブルージーンズ。身体の線が際立つ淡いクリーム色のサマーセーターに身を包んでいる。
「そんなにムクれるなって。きみにはみんな感謝してるんだからさ」
身長差は二十センチそこそこある。昔チッチとサリーっていう漫画があったっけ。そんな感じ。
佑樹は見ようによってはイケメンと言えなくもない。適度にウェイブのかかった髪。鼻筋の通った高い鼻。センスのいい・・・・・・のであろう黒縁のロイドメガネ。細身のチノパン。肘にレザーパッチのついた深緑のクルーネックセーターを身につけている。
佑樹が後部座席に目を向ける。「なっちゃんコーラあるかな?」
わたしはクーラーボックの蓋を開ける。後ろからわたしが助手席に冷たく冷えた缶コーラを差し出す。「はいどうぞ。ディレクターさま」
「おう。センキュウ」
「沢村さんは?」とわたしは運転席のカメラマンにも声をかけた。ADはこういう時でも気配りを忘れないのだ。
カメラマンの
少しでもスリムに見せたいのか、ピッチリとした黒のTシャツを着込んでいる。胸には真っ赤な舌をベロリとだしたローリングストーンズのシンボルマーク。
「いらねえよ。こんなガタガタ道で炭酸なんかよく飲めるね」
「なに?」そのとき佑樹のコーラのプリングの隙間から勢いよくコーラが吹き出した。まるで噴水。佑樹は思わず缶に口をつけたが、広げた膝の間にコーラの泡つぶだらけの水溜まりが出来上がった。「そういうことはお前・・・・・・もうちょっと早く言えよ」
「わかりそうなもんすけどね」運転手は苦笑する。「なっちゃん。そろそろ運転かわってくれないかな。尻が痛くなっちまった。タバコも吸いてえし」
今日はロケハン。ロケーション(撮影現場)ハンティング(探索)の略。いわゆる本撮りをする前の下見である。撮影は一週間後。
制作会社がロケを敢行する場合、事前に各方面に撮影許可をもらわなければならない。今回であれば村の村長だ。ようするにわたしの父。
必要があれば観光協会。地方自治体。道路を使用するのであれば所轄の警察にも許可を取る。もちろんこれもADの仕事。
機材スタッフが充分動けるかどうかの道幅チェック。タレントやリポーターなどの出演者の動線チェック。そして映り込んではいけないものがないかのチェックなどが必要だ。
この業界、スポンサーの商品とバッティングする他社製品が映り込んでクビになったケースは結構多い。もっとも最近は邪魔なものを手軽に消せる編集ソフトがあるので助かってはいるのだが・・・・・・。
※※※
「どうだろう。最近のオカルトブームに乗っかってみようかと思うのだが」
会議室でプロデューサーの田邊が言い放った言葉だった。企画会議には七人の男女が参加していた。
プロデューサーの田邊昭彦。ディレクターの神谷佑樹。カメラマンの沢村亮。音声の篠塚義雄。メイクの墨田すみれ。タレントマネージャーの豊田映子。そしてアシスタントディレクターのわたしである。
田邊は夜でも薄緑色のレイバンのサングラスをかけている。バーバリーのシャツにラルフローレンのカーディガンを掛けている。結構いけてるおじさん。少々寂しくなっている頭髪については誰も触れようとはしない。
「いいじゃないですか。都市伝説的な感じですか」佑樹が相づちを打った。「それにしてもなんでまた急にそんな企画を思いついたんです?」
「実はさ、昨晩リビングでワイフと水戸黄門を見ていたんだけどな」
「
墨田すみれがいつもの調子でチャチャを入れた。
「そうしたらさ」ダンディーな田邊はいつもの事なので気にする素振りもみせずに続けた。「突然画面が因習村の特集に変わっちまってね」
「リモコンの操作ミスでもしたんですか」と沢村。
「いいや。リモコンはテーブルの上にあった」
「きっと猫のいたずらだな」ひょろひょろと背の高い篠塚が笑い出す。「たしか田邊さんの家、子猫を三匹飼ってましたよね」
「まあ何でもいいじゃないですか」佑樹が抑える。「それより何です?その因習村っていうのは」
ちなみにプロデューサーとディレクターの違いとはなにか。
プロデューサーは番組制作の総責任者。企画や予算計画を担う。ディレクターを任命することもできるし、制作の指示や進行も行う。
それに対してディレクターは現場の責任者である。指揮進行はもちろんだが、自らカメラで撮影することすらある。
その片腕が
「因習村を知らんのか?」
田邊はあきれた顔でスタッフ全員を見回した。みんな神社の境内にいる鳩のような面をしている。
わたしは顔を伏せたまま恐る恐る手をあげた。「古いしきたりとか、風習とか、言い伝えなどが強く信じられている集落のことですよね」
「そうだ市之瀬くん」田邊が満足げに頷く。「よく勉強しているね。感心感心」
「あの・・・・・・ここに」奈津子がタブレットを持ち上げて見せた。
「なんだググったのか」
「おどろおどろしい風習が残ってるってことですか?」もうひとりの女性スタッフであるメイクの墨田すみれがため息まじりにぼやいた。「なんか厭だなあ。またこのあいだの心霊スポットの撮影みたいにならなきゃいいけど」
「すみちゃんは霊感があるからねぇ」
「あの」ただひとり、タレント会社に所属する豊田映子が割って入った。「うちの越野はそういうレポートはちょっと・・・・・・」
「大丈夫ですよ。そんな因習、現在も残ってるわけじゃありませんて。ひと昔まえの言い伝えとかを現地でレポートしてくれるだけでいいんですよ。どこぞのユーチューバーなんかより、イケメン俳優の越野順也がレポートしてくれたら視聴率も上がること請け合いですから」
プロデューサーに押されて映子は渋々肯いた。
「なっちゃん。そういうことで」
どういうことで?
「ここにいくつか候補の村をピックアップしておいたから取材の申し込みたのむよ」
田邊が一枚のコピー用紙を放ってよこした。ひらひらと舞い上がった一枚の紙が、まるで意志をもっているかのようにわたしの手許に舞い降りてくる。
「ゲゲゲ。まるで一反木綿」篠塚が大げさにおどけてみせた。
全員が笑い出した。