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第二話 蝼蟻潰堤(とうぎかいてい)

 取材の申し入れは思いのほか難航した。


 プロデューサーが候補にあげた村落はどこも頑なに取材を拒否したのだ。ようやく忘れかけた過去の汚点を蒸し返すようなことはやめてほしいというのがその理由だった。


「・・・・・・ありがとうございました。なにかお気持ちが変わるようなことがございましたらご一報いただけますか。あ、はい失礼いたします」


 受話器を置くわたしを食い入るように見つめる視線。嫌な予感。


「仕方がない。なっちゃん。きみ、たしか実家が地方の山奥だったよな」田邊だった。


「それがなにか?」


「小耳に挟んだところによればお父さんが村長だそうじゃないか。なにかあるだろう?」


「誰から訊いたんですか。なんにもないですよ」


 まったくもう。佑樹に違いない。わたしは向かいのデスクを睨みつけた。佑樹はデスクにうずくまるようにして何やら必死に書き物をしている風を装っている。さては雲行きが怪しくなったから誤魔化そうとしているな。


「今じゃない。昔の話しさ。親御さんに訊いてもらえないかなぁ。うば捨て山とか村八分とか、長男以外は人間扱いされないとか。どこかの地方じゃあ、妊婦を並べて三メートルもある岩場の裂け目を跳び越させる風習があったんだってさ」


 佑樹が面白そうに顔を上げた。「そりゃまた何のためです?」


「口減らしだったそうだ。流産だけならまだしも、妊婦も一緒に死んじまうことが多かったらしい」


「そんなの訊いたこともありません!」わたしは憤然として言った。


「なっちゃん。そんなんじゃなくてもいいって。とにかく昔の話だけでもいいから訊かせてもらえないか頼んでみようよ」佑樹がわたしにウィンクしてよこした。「ぼくも一度親御さんに会っておきたいと思っていたんだ」


「ううん」


 そういうの反則だよ。わたしはため息をついて渋々承諾したのだった。


※※※


「ちょっと休憩」沢村さんがハンドルを切って、車をゆっくり路肩に寄せる。


 そこはちょうど目的の村の入り口だった。県名や村の名前はあえて公表しない約束にしてある。


 冬の降雪に備えてチェーンを巻くスペースだろうか。鬱蒼うっそうと草木のはえた道端にちょっとしたスペースがそこにあったのだ。


 車を降りたわたしたち三人は大きく背伸びをした。


「くうぅ。都会と違って空気がうまいなあ」


 沢村さんはジーンズのポケットから、まるで買い物かごからよじれて出てきたようなセブンスターを口にくわえて火を点けた。


「おれ、ちょっと小用」と言って佑樹が草むらの向こうに消える。「あ、おれも」と言って沢村もくわえタバコのままその後ろに続いて行った。


「火事を起こさないでくださいよ」わたしはふたりに非難めいた言葉をかけてため息をついた。


 のどかな風景だ。わたしはポシェットから小型のデジタルカメラを取り出す。あたりの風景を画像と動画に収めるためだ。東京に戻ってからスタッフ全員に共有する。


 本番のときのスタッフたちの動線を想定して道幅などを撮影した。


 どこかに道標みちしるべはないのかしら・・・・・・。わたしはカメラのファインダーを覗いたまま辺りをうかがった。


 あった。ハイエースの後ろに小さな石で掘った道標が隠れていたのだ。車のサイドにはデカデカと会社の名前がプリントされている。


 ちょっと車を動かそう。わたしは運転席に乗り込んだ。運転席が高いのはエンジンが運転席の下にあるキャブオーバーという車種だからだろう。


 エンジンを始動する。パーキングブレーキを解除。ギアチェンジ。アクセルを踏みこむ。


「!」意に反して車が後退してしまった。「嘘!」急ブレーキを掛ける。


 しかし車は停まるどころか、急発進してしまった。「キャ!」なにかが当たって鈍い音がした。ハイエースは衝撃とともにエンストを起こして停車した。


「おいどうしたんだ!」


 佑樹たちが驚いて走り寄ってくる。


「アクセルとブレーキを踏み間違えたみたい・・・・・・」


「ケガは?」


「だいじょうぶ」運転席のわたしの顔色は蒼白だったと思う。


「そうか」


「おいこれ・・・・・・」後ろから沢村さんの声がした。「ちょっとヤバいんじゃないのか」


 わたしはワンボックスから降りて沢村さんの指さしている場所を見つめた。


 草むらの中に犬小屋ぐらいの大きさのほこらが傾いていた。


 祠とは神様などをまつる小規模な殿舎のことだ。それが車のバンパーが当たった拍子に草むらの奥に移動してしまっていたのだ。


「どうしよう・・・・・・村長の父に謝って来ます」すでにわたしは泣き顔になっていた。


「いや待て。そんなことをして撮影許可が取り消しにでもなったらどうする」


 佑樹はディレクターの顔になっていた。即座に異議を唱えたのだ。


「そうですよ。ちゃんと破損した箇所を直しておけばバレやしませんて」沢村さんもそれに同調する。


 祠には観音開きの扉がある。扉は変色した白い和紙できっちりと封印されていた。その中にきっとご神体が祀られているのだろう。神様ごめんなさい。決して故意ではなかったのです。どうかお許しを。


「直せるのか?」佑樹が沢村さんを見る。


「だってもともと草むらに隠れてるぐらいですよ。幸い屋根は壊れてないみたいだし。外れたところをちゃちゃっとボンドとガムテープで貼り付けときゃ分かりゃしませんて。お酒とかお供え物とか置いてちゃんと拝んでおけばいいんじゃないですかね」


「なるほど。そう言えば亮さん、カメラマンの前は大道具でしたよね」


「実はおやじが昔、宮大工やってまして」


「そりゃあ心強い。すぐにやってみよう」佑樹は文字どおりわたしを勇気づけようとしてくれていたのだろうか。「捨てる神ありゃ拾う神ありって本当だな。なっちゃん、だいじょうぶだって。黙ってればすべて解決、問題ないさ」


 でもそのときわたしの頭の中ではある疑問が沸き起こっていた。


「せえの」佑樹と沢村さんは押しくら饅頭みたいに傾きかけた祠をもとあった場所に押し戻そうとしていた。


 わたしはへこんだワンボックスの後部バンパーをぼんやりと眺めていた。言い訳なんかじゃない。いくらわたしでも、ブレーキとアクセルを踏み間違えるなんて・・・・・・。


「なんだこれ?」


 佑樹が地面をアゴで指して何か言っている。


「土台じゃないですかね。このあたり地盤が緩いのかも」


 祠のあった場所には錆びた鉄板が敷かれていた。


「基礎の代りかな」


「たぶんそうだと思います」


 それに、そもそもわたしはシフトを


「ちょっと。なっちゃんも手伝えよ」


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